ヘリテージ~受け継ぐべきもの

将来に遺したい日本の宝について

青い海に浮かぶ神社 「厳島神社」

厳島神社(平成8年記載)
 厳島神社は海上に立地し、周囲の景観と一体となり美しさを表現し、日本人の精神文化を理解するうえで貴重な存在です。また、建築物としても他に類を見ない独創的なものであり、建築様式は平安時代の様式を取り入れ、現在に伝えています。このようなことから世界遺産としての価値が認められたようです。

 世界遺産登録基準

登録基準(1)(2)(4)(6)
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
(1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。 

「厳島神社」 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

真実性・完全性

世界文化遺産の主な登録条件に資産の真実性・完全性の証明という項目があります。厳島神社では次の通りとなっています。

(1)意匠の真実性
厳島神社には修理再建が行われてきたものの、綿密な調査と類例研究の結果を踏まえ、さらに現状変更には、文化財保護審議会における厳密な討議と審査に基づく国の許可を必要としており、いささかも推定の部分はない。
(2)材料の真実性
厳島神社の社殿群は海上に立地し、背後に急傾斜の山をひかえているため、台風や土砂崩れ等による災害にたびたび見まわれ、新材に取り替えていますが、同じ形状の部材が建物の至る所で使われており、欠失・毀損した部材と同じ部材が他の部位に残存している為、毀損材の正確な復原を可能にし、やむなく取り外した当初材については、実測図をはじめ詳細な記録を作成し、かつ重要な部材は適切に保存している。
(3)技術の真実性
日本には伝統的に解体あるいは半解体という修理法があり、建物の組立にあたっては建物創建当初の加工技法を調査・研究し、取替部材を仕上げています。また、修理不可能な腐朽・毀損部材の取替えや欠失部分の復原の場合には伝統的な部材補修方法である根継ぎ法(柱の根元の腐朽部分)や矧木・継木法(毀損している箇所)の技術で修復を実施するなど、技術の真実さの保持にも最大の努力をはらっています。
(4)環境の真実性
推薦資産に含まれる国宝6棟重要文化財11棟3基の建造物のほとんどは、創建当初の位置を動いておらず、周囲の環境とともに良好に保存されています。この建造物の配置状況も重要な歴史資料と認識され、保存を図っています。

所在地及び面積

広島県佐伯郡宮島町に所在する厳島神社の建造物群と、それと一体となって資産の価値を形成している背後の瀰山を中心とする森林の区域が対象となっています。
[面積]        
資産区域面積 431.2 ha
緩衝地帯面積 2,634.3 ha
合計 3,065.5 ha

管理

指定建造物及びその立地する土地は、ともに宗教団体として活動している法人の財産であり、指定建造物群の後背地の都市公園地は国の財産となっています。

法律及び条例によるほとんどの指定区域では自然環境や歴史的環境など風致の保護・保全を目的とし、指定区域内の現状を変更する行為は制限され、あらかじめ国または広島県の許可を得なければならず、これら法律の規定に違反した場合は罰則が課せられます。

資産内容

[本社]
 本社は厳島神社の中心建物で、海上に展開する社殿群の中核をなしています。祓殿の左右から出て、曲折しながら東西にのびる廻廊に沿って附属舎が配置されています。
 本社の各建物は大鳥居、祓殿、拝殿、本殿、拝殿と本殿の間をつなぐ幣殿で、H字型の棟をもつ一棟の建物とし、祓殿の屋根も拝殿に接続させて全体が一連の屋根の下に覆われています。
[摂社客神社]
社殿群の構成は祓殿、本殿、拝殿、本殿と拝殿をつなぐ幣殿で、社殿全体を一連の屋根で覆っているのは本社と同じですが、社殿全体の規模はひとまわり小さくなっています。また、客神社では、廻廊が拝殿と祓殿の取り合い部分を通路のようにして通り抜けて、祓殿前面は直接海面に面していて平舞台にあたる板敷きがありません。
1 本社本殿・幣殿・拝殿 (国宝)
1-A 本社本殿(1899.04.05国宝指定)
市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命を祀る神殿。1571年[元亀2]の再建。
1-A-(1) 玉垣(1952.03.29国宝指定)
本殿を囲む屋根付きの板塀。上部に連子窓を開ける。
1-A-(2) 不明門(1952.03.29国宝指定)
本殿裏に建つ瓦葺の四脚門。1564年[永禄7]の再建であるが、扉は1241年[仁治2]の再建のものを使用。
1-B 本社幣殿(1899.04.05国宝指定)
本殿と拝殿の間を繋ぐ建物。
1-C 本社拝殿(1899.04.05国宝指定)
神霊を礼拝するための建物。内部は各柱筋に柱が立ち並び、逆W字形の天井をかける。1241年[仁治2]の再建。
1-C(1)L 左右内侍橋(左内侍橋)(1899.04.05国宝指定)
東廻廊から拝殿の縁に向かって架けられた、屋根付きの渡り廊下。
1-C(1)R 左右内侍橋(右内侍橋)(1899.04.05国宝指定)
西廻廊から拝殿の縁に向かって架けられた、屋根付きの渡り廊下。
2 本社祓殿(1899.04.05国宝指定)
祭礼に際し、祭の参加者のお祓いをする場所。1241年[仁治2]再建。
2-(1) 高舞台
神霊に奉納する舞楽を演ずる舞台。
2-(2) 平舞台
祓殿前に設けられた、儀式用の板敷き。
2-(3)L 左右楽房(左楽房)
舞楽を舞うための伴奏音楽(雅楽)演奏のための殿舎。
2-(3)R 左右楽房(右楽房)
同上
2-(4)L 左右門客神社本殿(左門客神社)
神社の入り口を守護する神霊を祀る神殿。内部の玉殿とそれを覆う社殿からなる。
2-(4)R 左右門客神社本殿(右門客神社)
同上
3 摂社客神社本殿・幣殿・拝殿(国宝)
3-A 摂社客神社本殿(1899.04.05国宝指定)
天忍穂耳命、活津彦根命、天穂日命、熊野橡樟日命、天津彦根命を祀る神殿。1241年[仁治2]の再建。1433年[永享5]に改修。
3-A-(1) 玉垣(1952.03.29国宝指定)
本殿を囲む屋根付きの板塀。上部に連子窓を開ける。
3-B 摂社客神社幣殿(1899.04.05国宝指定)
摂社客神社本殿と拝殿の間を繋ぐ建物。
3-C 摂社客神社拝殿(1899.04.05国宝指定)
神霊を礼拝するための建物。1241年[仁治2]の再建。1433年[永享5]に改修。
4 摂社客神社祓殿(国宝1899.04.05指定)
祭礼に際し、祭の参加者のお祓いをする場所。1241年[仁治2]の再建。1433年[永享5]に改修。
5 東廻廊(国宝1899.04.05指定)
本社祓殿から拝殿を囲むように屈曲し、北東の陸地との間を繋ぐ屋根付の廊下。16世紀後半に再建。入口は切妻造りで、屋根は檜皮葺[ひわだぶき]で、棟には棟瓦が載せてあります。
6 西廻廊(国宝1899.04.05指定)
本社祓殿から拝殿を囲むように屈曲し、西の陸地との間を繋ぐ屋根付の廊下。16世紀後半に再建。唐破風造り[からはふづくり]になっています。
7 朝座屋(1899.04.05重要文化財指定)
神官が朝の祭儀の前に参集する殿舎。
8 能舞台(1899.04.05重要文化財指定)
神霊に奉納する能を演じるための舞台。1680年[延宝8]建築。1827年[文政10]に改修。
8-(1) 橋掛
能楽屋と能舞台を繋ぐ演能のための屋根付きの橋。
8-(2) 能楽屋
能楽を演ずる人達の準備と控えのための建物。
9 揚水橋(1899.04.05重要文化財指定)
東回廊と南の陸地を結ぶ木造の橋。途中の張り出しは、昔ここから海水を汲んだ名残。
10 長橋(1899.04.05重要文化財指定)
西廻廊と南の陸地を結ぶ木造の橋。以前はこの橋を通って神に供える神饌を運んだ。
11 反橋(1899.04.05重要文化財指定)
西廻廊と南の陸地を結ぶ木造の橋。大きな弧を描き、朱塗りの高欄を設ける。
12 大鳥居(1899.04.05重要文化財指定)
海中に建つ、巨大な木造の鳥居で、屋根は檜皮葺。4本の控柱をもつ。1875年[明治8]の再建。
13 摂社大国神社本殿(1899.04.05重要文化財指定)
大国主命を祀る神殿。切妻造、妻入。16世紀後半の再建。
14 摂社天神社本殿(1899.04.05重要文化財指定)
菅原道真公を祀る神殿。入母屋造、妻入。住宅風の建築。神前で連歌の会を開いた。1556年[弘治2]の創建。
14-(1) 渡廊(1899.04.05重要文化財指定)
長橋と天神社本殿を結ぶ屋根付きの廊下。
15 五重塔(1900.04.07重要文化財指定)
檜皮葺屋根の五層塔婆。反りの強い軒や、尖った尾垂木は禅宗様の影響。1407年[応永14]の創建。
16 多宝塔(1901.08.02重要文化財指定)
こけら葺屋根の二層塔婆。上層の平面は円形につくる。1523年[大永3]の創建。
17 末社荒胡子神社本殿(1904.02.18重要文化財指定)
素盞鳴神を祀る神殿。漆塗の小社殿。1441年[嘉吉元]の再建。
18 末社豊国神社本殿(千畳閣)(1910.08.29重要文化財指定)
本瓦葺の巨大建築。軒先瓦に金箔を押す。天井や周囲の柱間装置は未完成。1587年[天正15]の創建。
19 摂社大元神社本殿(1949.02.18重要文化財指定)
大山祇神を祀る神殿。特殊な形式のこけら葺で有名。1523年[大永3]の再建。
20 宝蔵(1949.02.18重要文化財指定)
神宝を収蔵する蔵。高床式で、五角形断面の横材を組んで壁体を積み上げる。

(参考)世界文化遺産オンライン

 厳島神社の歴史

[厳島神社の起源]

神社の創建は 593年現在の広島県・宮島の地域を収めていた豪族・佐伯鞍職(さえき の くらもと)が、水の神とされる「市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)」のお告げを受け、現在の「御笠浜(みかさのはま)」に社殿を建立したのが厳島神社の始まりと伝わっていますが、はっきりと歴史の舞台に登場するのは811 年以降で、「日本後記」に「伊都岐嶋神」の名前が登場するのが神社名としては最初のものとなっているようです。以降、平安時代を通じて安芸の国の著名な神社として知られるようになったようです。

[平清盛による造営]

厳島にいつごろから社殿の建築が始まったかについては不明ですが、1168年(仁安3) 、神主である佐伯景弘が社殿の造営を行ったことを朝廷に報告している文書があり、そのなかで神殿などの建物の規模を大きくし、板葺の建築物の一部を檜皮葺に改めたとしています。そして、この造営が平清盛の後援を受けて行われたことは間違いなく、その後の厳島神社の社殿規模や配置の基準となったものと考えられます。
平清盛は、1146年に安芸守の任に就き、平家一門の隆盛とともに厳島神社も栄えて平家の氏神となりました。平家滅亡後も、鎌倉幕府や室町幕府、地元の領主大内氏や毛利氏、また、豊臣秀吉も篤く信仰し庇護してきました。

[その後の造営]

1207年と1223年2度の炎上や1325年大鳥居、大風により転倒するなどしばしば風水害を受けましたが、その時々の権力者や在地の有力者の崇敬を集め、都度復旧されています。また、1407年五重塔が建立されたのをはじめ1523年多宝塔が建立1556年毛利隆元により天神社を建立するなど、従来の社殿以外に新たな建造物も付け加えられ、社頭景観が形成されていきました。
大鳥居は1547年控え柱をもつ形式に改められ、その後も1561年、1739年としばしば再興していますが、最後は1850年に大風で破損した後、1875年に再興したのが現在の大鳥居となっています。
摂社客神社は1430年(永享2)から1433年(永享5) にかけて改修されました。

厳島神社拝観について

拝観は年中無休となっています。

嚴島神社拝観時間(開門~閉門)

1月1日  (0時00分 ~18時30分)

1月2日 ~1月3日(6時30分~18時30分)

1月4日 ~2月末日(6時30分~17時30分)

3月1日 ~10月14日(6時30分 ~18時00分)

10月15日 ~11月30日(6時30分 ~17時30分)

12月1日~12月31日(6時30分~17時00分)

※嚴島神社の廻廊は、高潮対策のため隙間の空いた構造となっているため、ハイヒール等、隙間に挟まる事がありますので、参拝時は履物に気をつけてください。

宝物館拝観時間(開門~閉門)

通年 (8時00分~17時00分)

宝物館料金

個人大人:神社300円/宝物館300円/共通割引500円

個人高校生:神社200円/宝物館200円/共通割引300円

個人中小学生:神社100円/宝物館100円/共通割引150円

団体大人:神社250円/宝物館250円/共通割引400円

団体高校生:神社150円/宝物館150円/共通割引200円

団体中小学生:神社70円/宝物館70円/共通割引100円

※嚴島神社と宝物館は、共通割引と団体割引があります。団体は各50名以上となります。(共通券購入は神社入口のみ)

※修学旅行に於いて、教員・写真業者・看護師は学生料金となります。

 

千畳閣料金

大人 100円/中小学生50円

※千畳閣には共通割引、団体割引はありません。

千畳閣拝観時間(開門~閉門)

通年 (8時30分~16時30分)

【厳島神社問合せ先】

〒739-0588
広島県廿日市市宮島町1-1
Tel:0829-44-2020 Fax:0829-44-0517

お問合せ時間 : 午前9時から午後4時まで

厳島神社の神様

「安芸の宮島」と呼ばれ平家が崇拝したことで知られる厳島神社の御祭神と言えば宗像三神。八百万の神の中でも三姉妹の女神はこの神だけです。美人の誉れが高く、海の神として全国でも多くの神社で祀られている神様です。

海は豊かな恵みをもたらす一方、荒れ狂い人命にかかる災害ももたらします。そのため海に暮らす人々は海に対して強い恐れと崇拝の意を表し、海を司る神を祀っていたようです。

厳島神社の御利益

宗像三神は多紀理姫命(別名:奥津島比売命、田心姫命)、市杵島姫命(別名:狭依毘売命※弁天様)、多岐津姫命(別名:湍津姫命、田寸津比売命)の三姉妹で、海の神、交通運輸の神、財福・技芸の神としての神格があります。

 

まとめ

宮島は昔から島全体が神とされ崇拝されてきました。この地にある1400年の歴史を誇る厳島神社は海の中に建ち、潮が満ちるとき海に浮かび上がるように美しさを増す、日本でも珍しい神社です。この神々しい存在はこれからもずっと、私たちの財産であり続けることでしょう。

日本で唯一の負の世界遺産「原爆ドーム」(平成8年記載)

原爆ドーム 

 

登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
基準(6)のみの適用で登録されているのは例外的なケースだが、比較的歴史の浅い負の世界遺産にはしばしば見られる傾向である。
 
『原爆ドーム出典』: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

資産の範囲

[面積]        

資産面積 0.4 ha
緩衝地帯面積 42.7 ha
合計 43.1 ha
広島県広島市中区国泰寺町1-6-34


資産の周辺地域は「平和記念公園」となっており、緩衝地帯を流れる河川は、河川法によって国が管理しています。ドームは、文化財保護法の規定により、国の史跡に指定されています。広島市の所有で、広島市により管理が行われていますが、平和記念公園の周囲については「原爆ドーム及び平和記念公園周辺建築物等美観形成要綱」が定められ、現状を変更する場合は、国の許可が必要で、復旧を行う場合でも国に届け出しなければいけません。広島市は、専門家を配置してドームの保存管理に当たらせるとともに、3年ごとに健全度調査を実施し、保存状況をチェックしています。

平和記念公園(原爆ドーム含む)の概要

広島に原爆が投下されたことはあまりにも有名ですが、原爆ドームは、その際破壊された「広島県産業奨励館」の残骸を、当時の姿のまま今日に伝える資産です。従い、人類が初めて被った核兵器の惨禍の跡を留める資産であり、人類が忘れることのできない歴史的記念的意義を有する資産として、世界遺産条約第1条の規定する記念工作物に該当しています。

公園内には広島市の管理事務所があり、文化財保護の担当機関である市教育委員会との連携を取りつつ、ドームの日常管理を行っています。
ドームをはじめ、犠牲者を慰霊する記念碑等には、それぞれ説明板が設けられ、平和記念公園内の広島平和記念資料館には、被爆の惨状を示す犠牲者の遺品等が多数展示されています。
諸種の国際交流活動のために広島国際会議場が設置されており、これまでに国連と軍縮シンポジウム、国連軍縮会議、世界平和連帯都市市長会議、女性国際平和シンポジウム等の多くの国際会議が開催されいます。
そのほか、公園内には、休憩施設が1箇所、公衆便所が5箇所、駐車場が2箇所設けられています。

原爆ドームの歴史

戦前
広島市は、中国山地から南流する太田川の三角州を中心に発達した都市であり、南は瀬戸内海に面し東・北・西は山地に囲まれ、伝統工業のほか軍需に結びついた近代工業が発達し、特に日露戦争を契機として、大量の軍需品の地元調達が行われたことなどによって、経済は活況を呈しました。1910年、広島県会は同県の産業振興のため、広島県物産陳列館の建築を決定し、設計をチェコ人の建築家ヤン・レツルに委嘱して1914年太田川の分流元安川の東岸に起工、1915年に竣工しました。その後、名称を広島県産業奨励館と改められています。ここは博物館・美術館の役割も果たし、広島の文化振興の場としても大きな役割を担っていました。
戦時

日本は1930年代から中国と戦争状態にあり、第2次世界大戦の開始後、1941年には太平洋及びアジア各地に戦域を拡大していきました。1945年になると、アメリカ軍による本土爆撃の激化や沖縄上陸によって、日本の敗色は濃くなっていきました。アメリカ・イギリス・中国によるポツダム宣言発表の後、8月6日広島市に原子爆弾が投下されました。テニアン島を発進した米軍 B29爆撃機3機が広島市上空に侵入し、午前8時15分に原子爆弾を投下しました。爆弾は上空約 580メートルで爆発し、爆風と猛火により、爆心地から半径約2キロメートル以内の建物は木造も鉄筋コンクリートもすべて全壊・全焼し、半径約2.8 キロメートル以内の建物が全壊、半径約4キロメートル以内の建物が半壊しました。これは、当時の広島市のほとんど全域が半壊以上の損害を受けたということです。
「広島県産業奨励館」は、広島市内の元安川東岸に建つ、一部鉄骨を使用した煉瓦造の建築で、全体は3階建て、石材とモルタルで外装が施され、正面中央部分は5階建ての階段室、その上に銅板の楕円形ドームが載せられていました。原爆により、建物 の屋根や床はすべて破壊され、壁は建物の大部分において1階の上端以上が全て倒壊しましたが、爆風が上方からほとんど垂直に働いたため、本屋の中心部は奇跡的に倒壊を免れましたが、この建物の中にいた約30名の職員は全員即死しました。

このときの被害状況として、約14万人が死亡し(1945年12月末まで、広島市調査)、負傷者は数知れず、戦後50年を経過した今日もなお、放射線の後遺症に苦しむひとがいます。
8月8日ソ連が日本に宣戦を布告、8月9日長崎市に原子爆弾が投下され、日本はポツダム宣言を受諾して、8月15日第2次世界大戦は終結しました。
戦後 
第2次世界大戦後、広島市の復興が進む中で、爆心地近くに唯一残された旧広島県産業奨励館の残骸は、頂上の円蓋鉄骨の形から、いつしか人々によって原爆ドームと呼ばれるようになりました。1953年、広島市の申請に基づき、県から市に譲与され、1966年に広島市議会がドームの保存を決議しました。
ドームは2回の保存工事を経て、被爆当時の惨禍の姿をそのまま今日に伝えています。ドームを基軸とする平和記念公園の建設は、1950年から始まり、1964年に完成しました。平和記念公園には、原爆死没者慰霊碑(正式名称:平和都市記念碑)をはじめ、原爆供養塔、原爆の子の像等の犠牲者を悼む多くの慰霊碑が設けられており、また広島平和記念資料館において、多数の遺品等が展示されています。


参考:文化遺産オンライン

まとめ

原爆ドームは、人類史上初めて使用された核兵器の惨禍を如実に伝えるものであり、時代を超えて核兵器の究極的廃絶と世界の恒久平和の大切さを訴え続ける人類共通の平和記念碑です。統計によると、資料館への来訪者は年間約140万人、うち約45万人が平和学習のために訪れる修学旅行生、約7万人が外国人だといいます。ここに訪れたことのない人でも、ここの映像や写真を見ていることでしょう。
原爆ドームの存在が、戦争を憎み、再び、未来永劫この惨劇を繰り返してはならないと世界に向けて発信していると感じますし、これからもずっとその存在価値を発揮してほしいと思います。

※タイトルで負の世界遺産としていますが、この「負の」と謳われているのは日本だけです。世界的には「負の」という考え方はありませんのでここに記載しておきます

武家政権の威厳の象徴「二条城」

日本で5件目の世界遺産として京都府京都市・宇治市、滋賀県大津市の2県3市に点在する構成資産17件(寺13、神社3、城1)から成る古都京都の文化財(京都市,宇治市,大津市)が1994年、世界遺産として登録されました。なお、文化遺産としては3件目となります。 その中で二条城にじょうじょうについてみていきたいと思います。

二条城

二条城は1603年、徳川幕府が京都御所の守護と将軍上洛の時の宿泊所として造営し、1626年に天守、本丸御殿及び二の丸御殿に係る大規模な拡張、修復工事が行われ、現在の規模となりました。現在の二の丸御殿はこの修復工事によるものです。天守は層塔式のもので、家康時代のものは伏見城に移し、改めて家光が築造したとされますが、1750年に天守が、1788年には本丸御殿等が焼失しました。1863年 家茂上洛のため二の丸御殿などが修復されました。
1867年には大政奉還の舞台となり、1871年には京都府所管とされました。次いで1884年に宮内省所管の離宮となり、1887年に二の丸御殿の屋根葺替等の大修理が行われ、1894年には1847年建設の旧桂宮御殿が本丸内に移築され、1939年に京都市に賜され、1949から1961年にかけて二の丸御殿の遠侍及び車寄、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院、本丸御殿の屋根修理、二の丸御殿台所、御清所の半解体修理、及び、その他の門、櫓、土蔵等については破損状況に応じて修理が行われました。さらに、1973から1990年には本丸御殿と櫓門の半解体修理、及び二の丸御殿唐門等の屋根修理が行われ、1972年以降現在まで二の丸御殿障壁画の模写が行われており、元の剥がれやすい障壁画と交換されています。
二の丸御殿の6棟が国宝に、二の丸庭園が特別名勝に指定されているほか、旧桂宮御殿を移した本丸御殿や東大手門など計22棟の建造物が重要文化財に指定され、世界遺産に登録されています。

世界遺産 建造物、庭園目録

Q1 本丸櫓門 重要文化財指定年月日1939.10.28 建立年代1625-1626 

本丸から二の丸への通路にあたる門 

Q(1) 袖塀 重要文化財指定年月日1939.10.28 建立年代1625-1626 

本丸櫓門に接続する塀 

Q2 本丸御殿玄関 重要文化財指定年月日1944.09.05 建立年代1847 

公式の出入口 

Q3 本丸御殿御書院 重要文化財指定年月日1944.09.05 建立年代1790-1793 

公式の対面所となる殿舎 

Q4 本丸御殿御常御殿 重要文化財指定年月日1944.09.05 建立年代1849 

平常の住居 

Q5 本丸御殿台所及び雁之間 重要文化財指定年月日1944.09.05 建立年代1847 

本丸にある台所 

Q6 二の丸御殿唐門 重要文化財指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半 

二の丸への入口 

Q7 二の丸御殿築地 重要文化財指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半 

唐門の東西につながる塀 

Q8 二の丸御殿遠待及び車寄 国宝指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半 

城へ参上した大名の控室及び玄関です。欄間彫刻などで装飾された入母屋造檜皮葺の車寄と、大きな妻飾りを正面に見せる遠侍で構成され、遠侍は城へ参上した大名の控室である虎の間と、朝廷からの使者を迎える勅使の間等から成っている。

Q9 二の丸御殿式台 国宝指定年月日1939.10.28建立年代 17世紀前半 

老中の詰所で、将軍に対する用件や献上品の取りつぎをする場であり、式台の間と老中の間とから成る。

Q10 二の丸御殿大広間 国宝指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半 

将軍の公式の対面の場で、最も格の高い上段の間から序列的に二の間、三の間、警護の武士の控えた槍の間とから成る。上段の間は床を一段上げ、二重折上格天井とし、床の間、違棚、付書院、帳台構を配した書院造の典型的座敷飾をみせている。

Q11 二の丸御殿蘇鉄の間 国宝指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半 

大広間と黒書院の間の金箔貼壁の渡廊

Q12 二の丸御殿黒書院 国宝指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半 

親藩大名等との私的な対面所であり、大広間と同様の書院造であるが規模が小さくなっている。

Q13 二の丸御殿白書院  国宝指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半 

将軍の休憩所。つまり居間と寝室です。規模が二の丸御殿黒書院よりさらに小さい書院造で、障壁画が淡彩の山水画となるなど装飾が落ち着いたものとなっている。 

Q(2) 付属之間 国宝指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半

白書院から張り出した室 

Q(3) 黒書院白書院間渡廊 国宝指定年月日1952.03.29 建立年代17世紀前半

白書院と黒書院をつなぐ廊 

Q14 二の丸御殿台所 重要文化財指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半

台所となる大規模な殿舎 

Q15 二の丸御殿御清所 重要文化財指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半

公式の儀式の際の料理をまかなう殿舎 

Q(4) 廊下 重要文化財指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半 

台所と御清所をつなぐ廊 

Q16 二の丸東大手門 重要文化財指定年月日1939.10.28 建立年代1662

二条城の正門 

Q(5) 名門塀 重要文化財指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半 

石垣上に長屋をもつ城壁 

Q17 二の丸北大手門 重要文化財指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半 

北側の門 

Q(6) 多門塀 重要文化財指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半

石垣上に長屋をもつ城壁 

Q18 二の丸西門 重要文化財指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半 

西側の門 

Q(7) 多門塀 重要文化財指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半 

石垣上に長屋をもつ城壁 

Q19 二の丸東南隅櫓 重要文化財指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半 

城郭の東南の隅に立てた櫓 

Q(8) 多門塀 重要文化財指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半 

石垣上に長屋をもつ城壁 

Q20 二の丸東南隅櫓北方多門塀 重要文化財指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半

東南隅櫓と東大手門の間を塞ぐ塀 

Q21 二の丸西南隅櫓 重要文化財指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半

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西南隅櫓

城郭の西南の隅に立てた櫓 

Q(9) 多門塀 重要文化財指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半 

石垣上に長屋をもつ城壁 

Q22 二の丸土蔵 重要文化財指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半 

二の丸御殿台所の北に立つ土壁の蔵 

Q23 二の丸土蔵(北) 重要文化財指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半

二の丸西北部内堀の外辺に立つ土壁の蔵 

Q24 二の丸土蔵 (南) 重要文化財指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半 

二の丸西南部内堀の外辺に立つ土壁の蔵 

Q25 二の丸鳴子門 重要文化財指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半

内堀の東側外に位置する門 

Q(10) 袖塀 重要文化財指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半 

鳴子門に接続する塀 

Q26 二の丸桃山門 重要文化財指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半 

二の丸西方南の仕切門 

Q27 二の丸北中仕切門 重要文化財指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半 

二の丸北部の東西を仕切門 

Q28 二の丸南中仕切門 重要文化財指定年月日1939.10.28 建立年代17世紀前半

二の丸南部の東西を仕切門 

Qa 二条城二の丸庭園

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二の丸庭園

二の丸御殿の西側に大広間から眺められるように造られ、屈曲の多い池を地表面から低く下げて掘り、その法面や護岸に多数の派手な石組を配するとともに、池中に三つの島、奥に三段の滝を設けた池泉廻遊式の庭園であり、その力強い意匠は豪壮な建築群とよく調和している。 
特別名勝指定年月日1939.11.30 建立年代17世紀前半
力強い石組みを持つ池庭 

※( )付の数字で示された建造物は、国宝もしくは重要文化財に指定された建造物に付随するものとして、国が指定した文化財である


武家風書院造を代表する二の丸御殿の主要部は遠侍及び車寄、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の各殿舎がつながった複合体であり、二の丸庭園の池に沿って雁行形に配されている。これらは一殿舎一機能の関係をつくりながら表から奥へと序列化され、内部においても、床の高さや天井の形態、座敷飾等によって各室が差異をつけながら配置されている。各室は部屋の目的に応じて障壁画が描かれ、欄間彫刻、飾金具、花熨斗形の釘隠し等が豪華に金飾されるなどの意匠が凝らされている。

関連資料

世界遺産一覧表記載推薦提案書(文化庁)

文化遺産オンライン(文化庁)

入城案内

所在地

〒604-8301 京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
TEL 075-841-0096 FAX 075-802-6181

開城時間


午前8時45分~午後4時(閉城 午後5時)

7~8月
午前8時~午後5時(閉城 午後6時)
9月
午前8時~午後4時(閉城 午後5時)
  入城料/二の丸御殿観覧料 展示収蔵館観覧料 (入城料のみ)
一般 1,030円 200円 (620円)
一般団体(30名以上) 830円 (520円)
中高生 350円
小学生 200円
  • ※小学生未満は無料です。
  • ※一般の方で、入城後、二の丸御殿や展示収蔵館の観覧券を購入される方は、総合案内所又は展示収蔵館にて購入できます。(展示収蔵館では展示収蔵館観覧券のみ販売しています。)

この他入城料金の割引もあります。詳しくは公式ホームページにてご確認ください。

ライトアップ

城内の桜が次々と咲き、約一か月間、桜が楽しめます。

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ライトアップされた二の丸庭園

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夜間観覧では、重要文化財の唐門や桜などライトアップされます。

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昼間の二条城も魅力的ですが、夜の二条城は幻想的で引き込まれます。一度は見ていただきたいと思います。

鹿苑寺(通称:金閣寺)と慈照寺(通称:銀閣寺)

日本で5件目の世界遺産として京都府京都市・宇治市、滋賀県大津市の2県3市に点在する構成資産17件(寺13、神社3、城1)から成る古都京都の文化財(京都市,宇治市,大津市)が1994年、世界遺産として登録されました。なお、文化遺産としては3件目となります。 その中で鹿苑寺(通称:金閣寺)と慈照寺(通称:銀閣寺)についてみていきたいと思います。

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金閣寺

M 鹿苑寺(通称:金閣寺)

鹿苑寺は、鎌倉時代に造られた貴族の別荘を将軍を退いた足利義満が譲りうけ、別邸北山殿に造り替えたもので、義満の死後、遺言により夢窓疎石を開山とする禅寺鹿苑寺となりました。舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的には「金閣寺」と呼ばれています。

金閣を建て、山上に展望所を建てるなど西芳寺にならった構成をとっています。公家文化、武家文化、仏教文化が調和した華麗な建築であり、義満の権威と王朝への憧れを示しているようです。  

応仁の乱(1467〜1477)で大きな打撃を被り、江戸時代には寺院組織によって金閣及び庭園の修理がなされています。1950年には火災により、義満の時代から唯一残っていた金閣が焼失(当時国宝、焼失により指定解除)しましたが、庭園を構成する重要な庭園建築として1955年に1904年の修理事業において作成された詳細な図面を用いて再建されました。さらに、1987年には修理工事が施され、1988〜1990年には消防施設を中心とした防災工事がされ、放水銃等が完備されました。 

 

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世界遺産登録一覧より

鹿苑寺庭園 

特別名勝指定年月日:1925.10.08

建立年代:14世紀

衣笠山を借景に、鏡湖池に様々の名石を据えた池庭です。池に向かって三層の豪華な舎利殿があります。

関連資料

世界遺産一覧表記載推薦提案書(文化庁)

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参拝について

〒603-8361 京都市北区金閣寺町1

時間
午前9:00〜午後5:00
※特別拝観時は時間が異なることもあります
休日
年中無休
参拝料金
大人(高校生以上):400円/小・中学生:300円
※特別拝観時は料金が異なることもあります。

N 慈照寺(通称:銀閣寺)

足利義政が1482年東山山麓に造営した別邸東山殿を、義政の死後、臨済宗の寺院となり義政の法号慈照院にちなんで慈照寺と名付けられました。銀閣寺の名前の由来は江戸時代、金閣寺に対し、銀閣寺と呼ばれるようになったといわれています(金閣寺は金箔が貼られていますが銀閣に銀箔は貼られていません)。東山殿も西芳寺をモデルに、池を囲むように観音殿(銀閣)、持仏堂(東求堂)等の建物が建てられ、文化人のサロンとして賑わっていました。

16世紀中期に兵火のために一時荒廃しましたが、17世紀中期に方丈、庫裏等を再建し、庭園、諸堂の修理がされました。18世紀中期には東求堂、後期には銀閣、方丈等の修理、19世紀前期にも東求堂の修理が行われ、19世紀後半に東求堂、方丈、銀閣の修理、庭園の整備が行われました。1914年に銀閣の半解体修理が行われ、1965年に行われた東求堂の解体修理に伴う調査によって創建当初の姿が判明し復原されています。庭園については、1931年、山腹に石組、敷石等が発掘され、1987年にお茶の井庭園として復原整備されています。

庭園が特別名勝に、銀閣及び東求堂が国宝に指定され世界遺産にも登録されています。

世界遺産登録一覧より

N1 銀閣 

国宝指定年月日:1900.04.07

建立年代:1489年

別荘の中心となる楼造りの建物で、下層は書院風、上層は仏堂風につくられ、屋根は宝形造、柿葺で頂部に鳳凰の飾りがある二層の楼閣です。

N2東求堂 

国宝指定年月日:1903.04.15

建立年代:1486年

約7m四方の入母屋造、檜皮葺の守護仏をまつる持仏堂と、将軍の書斎を兼ねた建物で、背面東側の4畳半の部屋「同仁齋」に設けられている付書院と違棚は現存する最古のものであり、書院造の源流と位置づけられています。

Na 慈照寺庭園 

特別名勝指定年月日:1925.10.08

錦鏡池と銀閣を中心に多くの名石、樹木があしらわれた廻遊式の庭園で、石組の細部などにきめ細かい趣向が凝らされています。15世紀から16世紀の戦国時代に荒廃していたものを1615年に改修したものと考えられている。

関連資料

世界遺産一覧表記載推薦提案書(文化庁)

文化遺産オンライン(文化庁)

参拝について

〒606-8402 京都府京都市左京区銀閣寺町2

参拝時間
夏季 (3月1日~11月30日) 午前8:30~午後5:00
冬季 (12月1日~2月末日) 午前9:00~午後4:30
※特別拝観時は時間が異なることもあります
休日
年中無休
参拝料金
大人(高校生以上):500円/小・中学生:300円

臨済宗相国寺派

臨済宗(臨濟宗、りんざいしゅう)は、日本仏教においては禅宗(臨済宗・曹洞宗・黄檗宗)の一派です。禅宗では、釈迦が悟りを開いた瞑想法である「座禅」を体験することで悟りの可能性を目覚めさせ、悟りの境地に達することを目指します。最初に日本に禅を伝えたのは栄西禅師の臨済宗です。

相国寺派は1382年、夢窓疎石により始まり、本山は足利義満により建立された京都の相国寺です。鹿苑寺(金閣寺)と慈照寺(銀閣寺)も相国寺派に属しています。

本願寺(西本願寺)と真宗大谷派(東本願寺)

日本で5件目の世界遺産として京都府京都市・宇治市、滋賀県大津市の2県3市に点在する構成資産17件(寺13、神社3、城1)から成る古都京都の文化財(京都市,宇治市,大津市)が1994年、世界遺産として登録されました。なお、文化遺産としては3件目となります。 その中で本願寺についてみていきたいと思います。

本願寺

現在の本願寺は1633年頃に整えられたものです。以後、1657年に黒書院建立、17世紀末に南能舞台建立、1760年に本堂再建と諸建物が随時建立されるとともに、1811年、1848年、1861年、1911年に主要堂宇の修復が行われ、近代には、1909年飛雲閣、1927年北能舞台、1953年黒書院及び伝廊、1959年書院、1984年本堂の解体、半解体修理をはじめとする修理事業が行われています。現在、本願寺には桃山文化を代表する建造物や庭園が残り、聖人自筆の著述や影像等の法宝物、建造物など、宗教的にも歴史的にも価値の高い重要な文化財が数多くあります。書院、黒書院及び伝廊、唐門、北能舞台、飛雲閣が国宝に、大書院庭園が特別名勝に指定されているほか、日本における最大級規模の木造建築である本堂、大師堂、能舞台、鐘楼、浴室、玄関・浪之間・虎之間・太鼓之間の建造物が重要文化財に、滴翠園が名勝に指定され、世界遺産に登録されています。

世界遺産登録一覧より

飛雲閣 

国宝指定年月日1897.12.28 建立年代17世紀 

門主休息の楼閣で、滴翠園の池に面して建つ三層の楼閣で、京都三名閣(金閣・銀閣)の一つです。変化に富んだ屋根(三層は起りのある(凸型に勾配の中心がふくらんでいる屋根)宝形、二層は起りのある寄棟の三方に軒唐破風付、初層は反りのある(凹型に勾配の中心がへこんでいる屋根)入母屋を基本に北面西側に入母屋、東側の舟入りには唐破風造)や、さまざまな形態を配した窓など奇趣に富み、桃山時代の粋を集めた造りと言えるでしょう。 

唐門 

国宝指定年月日1898.12.28 建立年代17世紀前半 

対面所への最も格式の高い入口の屋根は入母屋造りで、最も格調高い檜皮葺平入りの屋根を持つ四脚門を基本に、前後の軒を大きな唐破風とし、多くの彫刻や飾金具によって豪華に飾られています。別名「日暮らし門」とも呼ばれています

書院 

国宝指定年月日1898.12.28 建立年代1618 

1618年に建てられた、豪壮華麗な書院造の様式の代表的なもので、公的な接客の場である対面所と私的な場である白書院とから構成されています。対面所の一部は畳を取り除くと能舞台となる構造となっています。

玄関、浪之間、虎之間、太鼓之間

重要文化財指定年月日1904.02.18 建立年代17世紀前半 

書院への入口及び御成りの場となる殿舎です。

 浴室

重要文化財指定年月日1908.08.01 建立年代17世紀前半 

数寄屋風の浴室となっています。

  • 廻廊 
    重要文化財指定年月日1908.08.01 建立年代17世紀前半
    浴室と飛雲閣をつなぐ廊下 

北能舞台 

国宝指定年月日1908.08.01 建立年代1581 

1581年に造られた書院の北側にある現存する最古の能舞台。一般の能舞台が切妻造であるのと異なり、入母屋造の破風を正面に向けている。

鐘楼

重要文化財指定年月日1910.08.29 建立年代1618 

梵鐘をつるす建物 

能舞台

重要文化財指定年月日1910.08.29 建立年代16世紀後半 

能、狂言の舞台 

  • 橋掛 
    重要文化財指定年月日1910.08.29 建立年代16世紀後半 
    楽屋から舞台への通路

本堂 

重要文化財指定年月日1913.04.14 建立年代1760 

中央に阿弥陀如来の木像、両脇にインド・中国・日本の七高僧の内、龍樹菩薩・天親菩薩・曇鸞大師・道綽禅師・善導大師・源信和尚の六師を、両余間に法然聖人と聖徳太子の影像を安置しています。(阿弥陀堂)

大師堂

重要文化財指定年月日1913.04.14 建立年代1636

中央に親鸞聖人の木像、両脇に本願寺歴代宗主の影像を安置し、両余間には十字名号(帰命尽十方無碍光如来)と九字名号(南無不可思議光如来)を安置しています。(御影堂)

黒書院 

国宝指定年月日1913.04.14 建立年代1657 

1657年完成と伝えられる法主の住房と考えられています。黒書院は茶の湯のための部屋を含む数寄屋風書院の代表的な遺構で、中心となる一の間・二の間には、畳床、付書院、透彫のある違棚、欄間をはじめとする書院造の要素がしつらえてあります。

伝廊

国宝指定年月日1913.04.14 建立年代1657 

伝廊は黒書院と対面所をつなぐ複廊です。

本願寺大書院庭園

特別名勝指定年月日1934.12.28 建立年代17世紀前半

虎渓の庭と呼ばれる大書院の東側にある枯山水式庭園で、滝、渓流、海を表した単純明快な構成ですが、色石やソテツを用いるなど派手で大胆な桃山時代の豪華さが表れています。 

滴水園

名勝指定年月日1958.06.12 建立年代17世紀前半

飛雲閣と黄鶴台とを主景とする池庭と隣接する茶庭からなる庭園

関連資料

世界遺産一覧表記載推薦提案書(文化庁)

文化遺産オンライン(文化庁)

拝観について

本願寺はどなたでもお参りできます。公式サイトで本日の予定(本日の法話など)を確認してから行くと良いでしょう。

https://www.hongwanji.kyoto/

〒600-8501
京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町
TEL (075)371-5181(代)
FAX (075)371-5310


本願寺は秀吉の命に応じ、寺基を度々移転していました。最後に京都六条堀川の地(現在の西本願寺)に移転して間もなく顕如上人が他界し、長男・教如(きょうにょ)上人が跡を継ぎましたが、三男の准如(じゅんにょ)上人にあてた譲状があり、末子の准如が本願寺住職を継職すべきとのことから、教如上人は隠退して裏方と呼ばれました。その後、教如上人は徳川家康に接近し、家康から烏丸七条に寺地を寄進されここに御堂を建立しました。ここに、覚如上人以来、親鸞聖人の法統を護持してきた本願寺は、教如上人が継職された東本願寺の起源で、この時から本願寺が西と東に分立することとなりました。

東本願寺

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東本願寺

「東本願寺」という通称は、「本願寺」(「西本願寺」)の東に位置するためにこう呼ばれるようになりました。正式名称は「真宗本廟」です。

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修復中でした

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修復完了御影堂門

2013年1月、御影堂門の修復が開始され、2015年12月に完了したそうです。これは完了後の門です。

高さ約28mの入母屋造・本瓦葺き・三門形式の二重門。京都三大門の一つ。

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御影堂

建築面積において世界最大の木造建築物で、境内のほぼ中心に位置する和様の道場形式の堂宇です。

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阿弥陀堂

御影堂の南側に位置する仏堂で、本尊・阿弥陀如来を安置する本堂です。御影堂の半分くらいの大きさです。

東本願寺は御影堂、阿弥陀堂以外は非公開です。

拝観について

開門閉門時間
3~10月 5:50~17:30
11月~2月 6:20~16:30
住所: 〒600-8505  京都市下京区烏丸通七条上る
代表電話 :TEL 075-371-9181
※電話受付時間:午前8時30分から午後5時まで (土曜・日曜・祝日・年末年始等の休日を除く)
参拝接待所(参拝に関する問い合わせ) :TEL 075-371-9210
※電話受付時間:午前9時から午後5時まで (年中無休)
※繁忙期は、時間帯によって電話に出られないことがあるようです。

 

庭園と龍安寺

日本で5件目の世界遺産として京都府京都市・宇治市、滋賀県大津市の2県3市に点在する構成資産17件(寺13、神社3、城1)から成る古都京都の文化財(京都市,宇治市,大津市)が1994年、世界遺産として登録されました。なお、文化遺産としては3件目となります。 その中で龍安寺についてみていきたいと思います。 

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知足の蹲踞

 

O.龍安寺

龍安寺は藤原北家の流れを汲む徳大寺実能の別荘の地を細川勝元が譲り受け禅寺としました。その後、戦乱や火災により焼失し、現在の本堂は1606年建立の西源院方丈を1797年に移築したものです。今では枯山水の石庭で世界的に知られています。

世界遺産登録一覧より

O1 本堂 

重要文化財指定年月日1967.06.15 建立年代1606

釈迦如来像を安置した中心建物で、1797年の火災で焼失したため塔頭の西源院の方丈を移築して現在に至っています。

O(1) 玄関 

重要文化財指定年月日1967.06.15 建立年代1606

本堂の正面入口

Oa 竜安寺方丈庭園 

特別名勝指定年月日1924.12.09 建立年代15世紀

三方を築地塀に囲まれた枯山水の平庭で、矩形(長方形)の白砂に5群15個の石組から成る石庭で、15世紀中期には造られていたようです。自然を狭い空間に圧縮し抽象化して表現をする枯山水庭園の極限的な姿であり、世界でも有名な石庭となっています。

Ob 竜安寺庭園 

 名勝指定年月日1955.02.03 建立年代13世紀

境内南側に広がる鏡容池を中心とした庭で、山門をくぐると左手に見えてきます。江戸時代後期に刊行された京都に関する地誌「都名所図会」によると、当時は石庭よりもこちらの方が有名だったようです。

※( )付の数字で示された建造物は、国宝もしくは重要文化財に指定された建造物に付随するものとして、国が指定した文化財である

参考資料

世界遺産一覧表記載推薦提案書(文化庁)

文化遺産オンライン(文化庁)

石庭

 

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石庭の模型

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石庭

拝観について

拝観時間
3月1日~11月30日:8:00a.m - 5:00p.m.
12月1日~2月末日:8:30a.m - 4:30p.m.
拝観料:
大人・高校生 500円
 小・中学生 300円

龍安寺の石庭は、どの位置から眺めてみても、必ず1つは石が隠れて見えない様に設置されています。これは自らの足りない部分を見つめなおすようにとの意味があるようです。

鏡容池

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睡蓮の花、わかるでしょうか

鏡容池はオシドリの名所として知られており、春は桜、秋には紅葉やカエデ、夏にはスイレンが咲き四季を花で感じることができます。鏡容池へ行ったら北側に橋が架かっていますので、中央の弁天島にも行くことができます。

まとめ

龍安寺ではシンプルな「石庭」として知られる枯山水の方丈庭園と四季を色で感じることのできる「鏡容池を中心とした池泉回遊式庭園」二種類の対照的な庭園が楽しめます。この二つの庭園を鑑賞することで、その時の自分のありようがわかるような気がします。どちらに心惹かれるかも、その時々で変わってくるように思えました。

京都嵐山地区と「天龍寺」

日本で5件目の世界遺産として京都府京都市・宇治市、滋賀県大津市の2県3市に点在する構成資産17件(寺13、神社3、城1)から成る古都京都の文化財(京都市,宇治市,大津市)が1994年、世界遺産として登録されました。なお、文化遺産としては3件目となります。 その中で天龍寺についてみていきたいと思います。

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天龍寺

 天龍寺について

後醍醐天皇の菩提を弔うため1339年に禅寺として創建されました。名勝嵐山や渡月橋、天龍寺の西側に広がる亀山公園などもかつては境内地で、広大な寺域と壮麗な伽藍を誇っていましたが、度重なる火災や被災に見舞われるなどの逆境の中、天龍寺は復興を続けてきました。その中で、夢窓疎石が作庭に携わった天龍寺庭園が残り、特別名勝に指定されています。

拝観について

参拝時間
8時30分 ~ 17時30分(北門は9時開門・17時閉門)
※10月21日~3月20日:8時30分~17時(北門は9時開門・16時30分閉門)
参拝料
  • 庭園(曹源池・百花苑) 高校生以上:500円 /小・中学生:300円/ 未就学児 :無料
    受付時に障害者手帳を提示された方は、本人および介護者1名まで100円引き
  • 諸堂(大方丈・書院・多宝殿) 庭園参拝料に300円追加 ※行事等により諸堂参拝休止日あり  
    諸堂参拝休止日:2019年10月29-30日 など
  • 法堂「雲龍図」特別公開 一人500円(上記通常参拝料とは別)
     ※土日祝日のみ[春秋は毎日公開期間あり]  9時~17時(10月21日~3月20日は16時 閉門)

世界遺産登録一覧より

天竜寺庭園

特別名勝指定年月日1923.03.07 建立年代14世紀中頃

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庭園

 わが国で最初の史跡・特別名勝指定となります。大堰川を隔てた嵐山や、庭園西に位置する亀山を庭の一部であるかのように取り込み、圧倒的なスケールを描き出した借景式庭園です。居室から見た曹源池中央正面は石だけによって、水がさも落ちているように表現された枯滝石組という形態で、竜門瀑、石橋、岩島といった石組を立てたダイナミックでしかも繊細な趣の池庭で、この石組の手法は後の枯山水庭園に影響を与えています。

関連資料

  • 世界遺産一覧表記載推薦提案書(文化庁)
  • 文化遺産オンライン(文化庁)

嵐山を散歩

嵐山羅漢

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嵐山羅漢

約70体の像が並んでいます。立っていたり座っていたり、よく見ると表情も様々で怒っているのか笑っているのか、思わず立ち止まって眺めてしまいました。阪神・淡路大震災以降に建てられ始めたそうで、その供養の意味も込められているのかもしれません。

竹林の小径

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竹林の小径

 私が京都観光で一番観たかったのがこの竹林。私の住む地域にはこのような竹はなく、もちろん竹林もありません。前に山形で竹林を生まれて初めて見たときの感動が蘇りました。

渡月橋

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渡月橋

嵐山と言えば渡月橋は欠かせません。嵐電で終点の嵐山で降りたらここに向かい河原でゆっくりと計画を練ります。ここは店が開く時間には混みだすので、この日は早い時間に行動してみました。混みだすとたくさんの観光客に行く手を阻まれます。そういう自分も観光客なのですが。

嵐山公園 亀山地区 展望台

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嵐山公園展望台より

本当はトロッコ列車にも乗ってみたかったのですが混んでいて乗ろうと思ったら1時間以上待たなければならないとの事。う~ん仕方ない。電車はあきらめて竹林を歩くことにしました。ということで頑張って登りました。真夏には無理でしょうがこの時期だと何とか登りきることができ絶景も観ることができました。

御髪神社

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御髪神社

御髪(みかみ)神社は日本でただ一つ髪をお護りする神社です。と書いていました。髪が不安な方は是非行ってみてください。

 

秋は紅葉がきれいで歩くのも苦になりません。気候も歩くには丁度良い加減で健康にもよさそう。秋の嵐山散策おすすめです。