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2024年7月3日 お札が変わります

2024年7月3日に、一万円、五千円、千円の3券種の紙幣の肖像画などが一新されます。

なぜ定期的に新しい紙幣が発行されるのか

  1. 予想がつくと思いますが、偽造防止が主な理由です。これまでもだいたい20年毎に改刷されています。
  2. タンス預金の洗い出しとも言われています。超低金利政策が影響し、タンス預金は年々増え続けています。タンス預金が長期間に及ぶと、現金は死蔵化します。タンス預金が増えると金融機関の預金額は減っていき、融資の鈍化にもつながります。また、マネーロンダリングに使用されたり、脱税に使用されたりする可能性もあります。紙幣刷新することで、古い紙幣を新紙幣に替える人が増え、タンス預金も減るかもしれない、という事ですが、銀行預金をしても超低金利の中、その預金を消費に回す可能性は低いと考えられています。
  3. 新紙幣発行による経済効果が期待されます。しかし、自動販売機の改修なども含めた経済効果は、キャッシュレス化が進む中あまり期待できないとの声も聞かれます。

お札の歴史

わが国の貨幣は最初は金属で作られていました。紙幣が出回るようになったのは江戸時代からです。

江戸時代

1600年代三重県伊勢の商人の間で使われていた「山田羽書」

日本初の紙幣といわれ、江戸時代を通じて発行されていたようです。

1661年、福井藩は地域通貨に当る藩札「福井藩札(銀札)」を発行しました。 

藩札(はんさつ)は、江戸時代に各藩が独自に領内に発行した紙幣で、現存する藩札としては「福井藩札」が最古のものです。

明治時代

1868 年、日本最初の全国紙幣 「太政官札」発行
明治政府によって1868年から1872年5月まで発行された政府紙幣(不換紙幣)です。

1872年、新紙幣「明治通宝」を発行

政府は旧紙幣を回収し、流通している紙幣を統一するため、新紙幣「明治通宝」を発行しました。ドイツの印刷業者に原版の製造を依頼したため「ゲルマン紙幣」とも呼ばれていました。

1881年、デザインを一新した改造紙幣を発行

「明治通宝」の偽造対策として発行された改造紙幣で、わが国最初の肖像画入りの政府紙幣です。神功皇后の肖像が描かれていて、一円券・五円券・十円券の3種類がありました。

1885年、日本銀行が「日本銀行券」発行

銀貨と引換えのできる兌換銀券として、わが国ではじめて日本銀行券(「旧十円券」)が発行されました。

1899年、国立銀行紙幣と政府紙幣が通用停止となり、わが国の紙幣は日本銀行券に統一されました。

昭和

1942年、日本銀行法制定により、日本銀行券から兌換の文字が消えました。

これにより、銀貨と引換える兌換義務がなくなり、管理通貨制度へと移行しました。管理通貨制度とは通貨当局が自由に通貨発行量を調節できる制度で、今日も政府・日銀によっておこなわれています。

1938年には「臨時通貨法」が制定され、1946年には激しいインフレに見舞われ「新円切り替え」が行われるなど戦中・戦後の混乱の中様々なお札が登場しました。

1950年、新しく千円札が発行

この頃から紙質のよい、多色刷りの紙幣がつくられるようになりました。ここから銀行券の呼び名(シリーズ記号)*1にアルファベットが使われるようになります。

銀行券のシリーズ記号

  • 明治中期~1935年(昭和10年)頃まで 甲、乙、丙、丁
  • 1942年(昭和17年)頃~1945年(昭和20年)頃まで い、ろ
  • 1946年(昭和21年)以降 A、B、C、D、E

A券以降のお札の歴史

1946年 A百円券( 図柄は聖徳太子と法隆寺夢殿・西院伽藍全景)・A十円券(図柄は国会議事堂と鳳凰)・A五円券(図柄は彩紋のみ)・A一円券(図柄は二宮尊徳)

1947年 A十銭券(図柄は鳩)

1948年 A五銭券(図柄は梅)

1950年 B千円券 (図柄は聖徳太子と法隆寺夢殿)

1951年 B五十円券 (図柄は高橋是清と日本銀行本店本館)

1953年 B百円券 (図柄は板垣退助と国会議事堂)

1957年 C五千円券(図柄は聖徳太子と日本銀行本店本館)

1958年 C一万円券(図柄は聖徳太子と鳳凰)

1963年 C千円券(図柄は伊藤博文と日本銀行本店本館)

1969年 C五百円券(図柄は岩倉具視と富士山)

1984年 D一万円券(図柄は福澤諭吉と雉)・D五千円券(図柄は新渡戸稲造と富士山)・D千円券(図柄は夏目漱石と丹頂)

2000年 D二千円券(図柄は紫式部、守礼門と源氏物語絵巻「鈴虫」)

2004年 E一万円券(図柄は福澤諭吉と平等院鳳凰堂鳳凰像)・E五千円券(図柄は樋口一葉と尾形光琳筆「燕子花図」)・E千円券(図柄は野口英世と富士山、桜)

2024年予定

新紙幣に描かれる人物は以下の通り。

(現行紙幣→新紙幣)

・1万円:福沢諭吉 → 渋沢栄一
・5千円:樋口一葉 → 津田梅子
・1千円:野口英世 → 北里柴三郎

新紙幣に描かれる人物について

それでは新紙幣に描かれる人物はどのような人物か簡単に紹介しておきます。

渋沢栄一

  • 1840年3月16日藍玉の製造販売と養蚕を兼営し米、麦、野菜の生産も手がける豪農の長男として、武蔵国榛沢郡血洗島村(現埼玉県深谷市血洗島)で生まれた。
  • 1866年フランスへ渡航
  • 1869年(明治2年)
     1月 フランスで学んだ株式会社制度を実践することや、新政府からの拝借金返済のために静岡で商法会所を設立した。
     10月 大蔵省に入省。(民部省改正掛を率いて改革案の企画立案を行ったり、度量衡の制定や国立銀行条例制定に携わった。)
  • 1873年(明治6年)井上馨と共に退官
    退官後間もなく、官僚時代に設立を指導していた第一国立銀行(現:みずほ銀行)の頭取に就任(七十七国立銀行など多くの地方銀行設立を指導した。また、多種多様の企業の設立に関わり、その数は500以上といわれている)
  • 1912年「外人土地所有禁止法」に見られる日本移民排斥運動などで日米関係が悪化した際には、対日理解促進のためにアメリカの報道機関へ日本のニュースを送る通信社を立案。成功はしなかったが、これが現在の時事通信社と共同通信社の起源となった。
  • 1931年11月11日(満91歳没)

渋沢栄一は「渋沢財閥」を作らず「私利を追わず公益を図る」との考えを貫き通した。「日本資本主義の父」ともいわれる。

津田梅子

  • 1864年12月31日江戸牛込南御徒町(現在の東京都新宿区南町)に生まれる
  • 1871年 岩倉使節団に随行して渡米。(~1882年)
    伊藤博文への英語指導や通訳のため雇われて伊藤家に滞在
  • 1885年 伊藤に推薦され、学習院女学部から独立して設立された華族女学校で英語教師として教える
  • 1889年 再度留学(日本女性留学のための奨学金設立を発起し、公演や募金活動などを行う。)
  • 1892年 帰国し、再び華族女学校に勤める(自宅で女学生を預かるなど積極的援助を行う)
  • 1894年 明治女学院でも講師を務める
  • 1898年 女子高等師範学校教授を兼任する。
  • 1900年 に官職を辞する
  • 1900年 「女子英学塾」(現在の津田塾大学)を東京麹町区に開校、塾長となり、身分差のない女子教育を志向して、一般女子の教育を始める。
  • 1919年 塾長辞任する(このとき健康を損なっていて鎌倉で闘病)
  • 1929年8月16日(64歳没)

北里柴三郎

  • 1853年1月29日 肥後国阿蘇郡小国郷北里村(現・熊本県阿蘇郡小国町)に生まれる
  • 1869年 熊本医学校に入学
  • 1875年 東京医学校(現・東京大学医学部)へ進学
  • 1883年 医学士となる。在学中「医者の使命は病気を予防することにある」と確信、予防医学を生涯の仕事とする決意をし、「医道論」を書いた。
  • 1885年 ドイツベルリン大学へ留学
  • 1889年 世界で初めて破傷風菌だけを取りだす破傷風菌純粋培養法に成功 
  • 1890年 破傷風菌抗毒素を発見し世界の医学界を驚嘆させ、さらに血清療法という、菌体を少量ずつ動物に注射しながら血清中に抗体を生み出す画期的な手法を開発した。
  • 1890年 血清療法をジフテリアに応用し、同僚であったベーリングと連名で「動物におけるジフテリア免疫と破傷風免疫の成立について」という論文を発表
  • 1892年 帰国後、福澤諭吉の援助により私立伝染病研究所が設立され、初代所長となる。私立伝染病研究所は、その後国立伝染病研究所(現在の東大医科学研究所)となり、伝染病予防と細菌学に取り組む。
  • 1894年 ペストの蔓延していた香港に政府より派遣され、病原菌であるペスト菌を発見する
  • 1914年 研究所所長を辞し、新たに私費を投じて私立北里研究所(現・社団法人北里研究所。北里大学の母体)を設立。狂犬病、インフルエンザ、赤痢、発疹チフスなどの血清開発に取り組んだ。
  • 1917年 諭吉による長年の多大なる恩義に報いるため、慶應義塾大学医学部を創設し、初代医学部長、付属病院長となる(柴三郎は終生無給で慶應義塾医学部の発展に尽力した)
  • 1917年 全国規模の医師会として大日本医師会が誕生し柴三郎が初代会長となった。
  • 1923年 医師法に基づく日本医師会となり、柴三郎は初代会長としてその運営にあたった。
  • 1931年6月13日(78歳没) 

刷新の時期は2024年度とのことで、前回の変更から20年ぶりとなります。

福沢諭吉は、前回は刷新されなかったので約40年勤め上げたことになります。

 

*1:お札には明治以降、発行された銀行券を分類するために記号が付されており、改刷の都度変更されています。