ヘリテージ~受け継ぐべきもの

将来に遺したい日本の宝について

日本最古の瓦が残る「元興寺」~世界遺産「古都奈良の文化財」

元興寺

前身は、蘇我馬子が飛鳥に建立した日本初の本格的寺院・法隆寺です。平常遷都に伴い718年に現在地に新築移転されたのが元興寺です。世界文化遺産には史跡元興寺極楽坊境内という狭い空間の、旧僧坊遺構である国宝極楽堂(極楽坊本堂)と国宝禅室(極楽坊禅室)が登録され、他に五重小塔など貴重な寺宝が伝わっています。

元興寺の拝観について

住所
〒630-8392 奈良県奈良市中院町11番地
TEL:0742-23-1377 FAX:0742-23-1378
拝観時間
AM9:00~PM5:00(ただし入門はPM4:30まで)
拝観料
大人500円(秋季特別展期間中600円)
中学生/高校生300円
小学生100円
20名以上団体400円(秋季特別展期間中540円)
身障者それぞれ半額
※境内は飲食禁止です

元興寺の仏像

木造阿弥陀如来坐像(禅定院多宝塔本尊)

重要文化財 平安時代木造

元興寺に残る仏像の中でもっとも大きなもので、高さ157.3cm(反丈六と呼ばれるサイズ)のものです。頭と体幹をケヤキの一木造り、膝から前の部分は別の材で作って接合している。肩が大きく張り気味で、大きな肉髻とあいまって、全体的にどっしりとした風格を醸し出している。阿弥陀如来ははるか西のかなたの極楽浄土で現在も説法を続けているとされ、無量寿仏・無量光仏とも呼ばれます。一般に、瞑想の姿(定印)、初天法輪の姿(説法印)、通説法の姿(来迎印)の3形式があり、本像は両手とも第1指と第2指を稔じて下生の印とした来迎相、すなわち上品下生の姿の半丈六像です。阿弥陀如来は人々を極楽浄土に迎えるとき信仰の深さ(品)と善行の数(生)により9段階に分けて対応し、上品下生はランク3に該当します。

木造聖徳太子立像(十六才孝養像)

重要文化財 鎌倉時代

元興寺は聖徳太子への信仰が盛行し、南都の律僧達が極楽坊をその拠点としたことが太子像造立の契機でした。本像は孝養像と呼ばれるもので、角髪(日本の上古における貴族男性の髪型)を結い、靴を履いて柄香炉を持つ立像で、太子16歳の時、父用明天皇の病気平癒を祈る姿だといいます。1268年、仏師善春等によって作られ、眼清ら僧俗約5千人による勧進結縁 で出来あがった事情が像内納入品によって明らかにされています。1272年の太子生誕650年を記念して造立されたとおもわれます。

木造弘法大師坐像

重要文化財 鎌倉時代

元興寺は泰範や仲継、護命僧正など空海と関係の深い学僧がいました。空海は唐・青龍寺に留学して恵果阿闍梨から密教を相承して第8祖となりましたが、平安時代後期には真言宗宗祖として信仰されはじめ、鎌倉期の400年遠忌から単独の祖師像が造立されるようになります。木造弘法大師坐像は法輪館に安置されています。

元興寺の瓦

極楽堂と、その奥に立つ禅室の屋根には、飛鳥時代から使用されている日本最古の瓦(右)と古い瓦(左)とが隣り合わせで葺かれています。

 

 

元興寺周辺には昔ながらの町屋が並び、見どころもたくさんあります。奈良町資料館(私設)、地元の方に愛される庚申堂、石仏龕が安置されている十輪院などは是非訪れてみたい場所です。ゆっくりと奈良町を見て歩きたいです。

灯篭が凄い「春日大社」と「春日山原始林」~世界遺産「古都奈良の文化財」

春日大社

全国に約3,000社あるという春日大社の総本社。768年、平城京の守護と国民の繁栄を祈願するために創建された神社です。 以来、皇室から庶民まで幅広く信仰され、2018年、創建1250年を迎えました。本社に朱塗りの社殿が立ち並ぶほか、さまざまなご利益をいただける神社が森の中に点在しています。1998年、古都奈良の文化財として春日大社と春日山原始林が世界遺産として登録されました。

 春日大社基本情報

開門時間
3月~10月 6:30~17:30
11月~2月 7:00~17:00
本殿前特別参拝 9:00~16:00
  • 3月8日頃~3月13日、12月20日~1月7日、成人の日は終日拝観できません。
  • 毎月1日、11日、21日及び節分の日、2月17日、3月14日、3月15日、春分の日、4月3日、5月第3金曜日、5月5日、5月10日、8月7日、8月15日、秋分の日、10月9日、11月3日、11月23日、12月17日の午前中は拝観できません。
    (祭典都合により時間が前後する場合があります)

上記以外に臨時の祭典等により拝観できないことがあります。

拝観料(税込)
本殿前特別参拝: 初穂料500円
駐車場
バス・乗用車合わせて100台駐車可能
開場時間は
3月~10月 7:30~17:00
11月~2月 7:30~16:00
◎駐車料金 バ ス 3000円 乗用車 1000円
  バス回送 1000円 バイク 300円

住所:奈良市春日野町160
お問合せ:TEL(0742)22-7788/FAX(0742)27-2114

春日大社 見どころ

中門・御廊(ちゅうもん・おろう)

中門は御本殿の直前に立つ高さ約10mの楼門で、中門正面の唐破風(からはふう)は明治時代に取り付けられました。御廊はその左右に延びる約13mの鳥が翼を広げたような細長い建物です。

藤浪之屋(ふじなみのや)

屋内の数多くの灯篭は2月の節分、8月14日・15日の年3回、浄火をともします。この春日万燈籠を再現しようと、江戸時代まで神職の詰所であった藤波之屋が開放されました。

本殿

春日造の4棟が横一列に並び、第一殿からそれぞれ武甕槌命(たけみかづちのみこと)、経津主命(ふつぬしのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ)が祀られています。

萬葉植物園

約3万㎡の敷地に「万葉集」に詠まれている約300種の植物を栽培。園内の池には鯉が泳ぎ、4月下旬から5月上旬には20種200本の藤の花が咲きます。

開門時間
3月~11月 9:00~17:00(入園は16:30まで)
12月~2月 9:00~16:30(入園は16:00まで)
(諸行事により変更になる場合があります)
拝観料(税込)
大人 :500円/小人:250円
団体一般/400円
※大学生以下の団体料金設定はありません

国宝殿

春日大社は国宝352点、重要文化財971点を含む膨大な社宝を伝える文化財の宝庫です。国宝殿はそれらを時期別に展示するため、2016年にオープンしました。国宝殿1階には、カフェ・ショップ鹿音(KAON)が併設されていて、可愛いミュージアムグッズも販売しています。

開門時間
10:00~17:00(入館は16:30まで)

拝観料(税込) 
一般:500円/大学生・高校生:300円/中学生・小学生:200円
団体一般/400円
※大学生以下の団体料金設定はありません

夫婦大国社

本社の南にあり、ご夫婦の大國様(大國主命と須勢理姫命)をお祀りしている御社で、夫婦円満・家内安全・縁結びの神様としても有名です。縁結びのご神徳を戴こうと、「ハート絵馬」を納める人も数多く見られます。開門時間は9:00~16:30です。

春日荷茶屋(かすがにないぢゃや)

萬葉植物園の入り口前にある庭園喫茶です。名物は「万葉粥」で、具の内容は月替わりで万葉集にちなんだ野菜などが使われます。

春日山原始林

春日山は春日大社の神山として信仰の場であり、1000年以上も伐採が禁じられていたため、原始性を保ってきました。カシ、シイ類などの常緑広葉樹を主とした暖帯林を代表とし、温帯性、寒帯性の樹木も混生し800余種からなる多様な植物が育っています。また、モリアオガエル、ヒメハルゼミ、カスミサンショウウオなど珍しい動物が豊富に生息しています。都市近郊に接し原始性と特異な林相、学術的価値の高いことから、昭和30年に特別天然記念物に指定され、平成10年には世界遺産に登録されました。
※春日山原始林は、厳密な意味での原始林ではなく、或る程度人工の手が加えられてきた経緯があります。

よみがえった中金堂のある興福寺~世界遺産「古都奈良の文化財」

興福寺について

興福寺は法相宗の大本山と知られ、阿修羅像をはじめ数多くの国宝の仏像を所有し、建物の大半も国宝や重要文化財に指定され、国宝、重要文化財を日本一保有している寺院として知られています。710年平城遷都の際、藤原不比等の計画により創建、天皇や皇后、また藤原氏の人々の手によって保護され、そして栄えていきました。一方たびたび火災にあい伽藍を焼失しましたが、都度奈良時代の様式で再建されてきたため今も天平の面影を留めています。

 

興福寺 基本情報

奈良公園 興福寺 拝観料

【国宝館】
拝観時間
9:00~17:00(入館は16:45まで)
年中無休
拝観料
個人 :大人・大学生700円 中高生600円 小学生300円
団体30名以上 :大人・大学生600円 中高生500円 小学生200円
身障者 :大人・大学生350円 中高生300円 小学生150円
※身障者手帳を提示された場合(コピーは不可):ご本人様と介添1名まで半額。
※減免申請については直接国宝館へお問い合わせください。
※奈良市老春手帳(ななまるカード)のご提示で無料。
国宝館お問い合わせ → 0742-22-5370
【国宝館・東金堂連帯共通券】
拝観料
個人 :大人・大学生900円  中高生700円 小学生350円
(共通券の販売は16:00まで)
【東金堂】
拝観時間
9:00~17:00(入堂は16:45まで)
年中無休
拝観料
個人 :大人・大学生300円 中高生200円 小学生100円
 団体30名以上 :大人・大学生250円 中高生150円 小学生90円
 身障者 :大人・大学生150円 中高生100円 小学生50円
※身障者手帳を提示された場合(コピーは不可):ご本人様と介添1名まで半額。
※奈良市老春手帳(ななまるカード)のご提示で無料。
東金堂お問い合わせ → 0742-22-7781

興福寺の見どころ

中金堂

世界遺産の興福寺で中核施設の中金堂が奈良時代の様式、規模を踏襲して約300年ぶりに再建され、2018年10月から公開が始まっています(これまでは江戸時代の仮金堂でした)。木造建築としては屈指の大きさで、幅約37m、奥行き約23m、高さ約21mもあります。今回の再建は礎石などの史跡整備費用に国の補助はありましたが、中金堂は宗教施設に当たるため、約60億円全額を寄付などで集めるなどして、寺が工面しました。

興福寺 中金堂 本尊

中金堂の本尊は金色に輝く釈迦如来坐像。左右に脇侍の木造薬王菩薩・薬上菩薩立像が立ち、南円堂にあった木造四天王立像が周囲を固めています。

興福寺中金堂法相柱

法相柱は高さ10メートル、直径77センチ程度で、無著・世親から鎌倉時代を下限に法相の教えを確立・発展させてきた14人の祖師を、畠中光享画伯が華やかな天平時代の雰囲気を彷彿とさせる鮮やかな「群青」を背景に描いたものです。

興福寺 中金堂 その他

興福寺中金堂の材木は国産では賄えず、アフリカやカナダの大木を使用しています。また、瓦の数は7万枚で、世界各国から寄贈されました。

興福寺 国宝館

僧侶が食事をする食堂の跡地に1959年開館しました。外観は食堂・細殿の復元で、興福寺の名だたる寺宝を収蔵する宝物館です。数多くの国宝が安置されています。

阿修羅立像

阿修羅は帝釈天と戦いを繰り返すインドの暴悪神でしたが、釈迦に諭され改心したとされます。表情の異なる3つの顔は、悟りに至るまでの境地を表していると言われます。正面の顔は迷いを脱して悟りに達したようなひたむきな表情、右向きの顔は怒りに耐えているようでいて過去を悔いているようにも見える表情、左向きの顔は迷いの表情をしています。

八部衆 阿修羅は仏教を守る八部衆のひとり。八部衆は古代インドの神々が仏教に取り入れられたもので、国宝館には8体総てが揃っています。

千手観音立像

旧食堂の本尊で、館内の中心に祀られています。千手観音はあらゆる方法で人々を救済してくれる仏様です。

銅像仏頭

白鳳期に山田寺の一尊として造られ、鎌倉期に興福寺に迎えられましたが火災により胴体を焼失し、胴体だけが残り、白鳳彫刻の傑作として現在に至ります。

金剛力士立像

口を開けた阿形、閉じた吽形が対になる金剛力士は仁王とも呼ばれ、通常は門の左右に安置されます。

龍燈鬼立像

四天王に踏みつけられる邪気を独立させたユニークな像です。

興福寺 南円堂

江戸時代再建の日本最大の木造八角円堂です。堂内には本尊本尊不空羂索観音菩薩坐像と、四天王立像、法相六祖坐像が安置されています。

興福寺 北円堂

鎌倉初期の再建で、奈良時代の様式を随所に残しています。日本で最も美しい八角円堂とも言われています。堂内には無著・世親菩薩立像などが安置されていて、4月下旬から5月上旬と、10月下旬から11月上旬に特別開扉されます。

興福寺 五重塔

730年に光明皇后が建立。以降5階の焼失と再建を繰り返し、現存するのは室町時代再建のものです。高さ約50mで、国内に現存する五重塔で京都の東寺に次いで2番目に高く、奈良のシンボル的存在となっています。夜にはライトアップされ、暗闇に浮かぶ名塔はとても幻想的です。

興福寺その他

興福寺中金堂が2018年に再建され、北円堂の基壇から東を向くと中金堂・東金堂・五重塔が横一列に並んで見えます。この景色も見どころの一つと言えるでしょう。

奈良の大仏様がいる「東大寺」~世界遺産「古都奈良の文化財」

東大寺

 

正式名称は「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」といい、奈良時代に栄えた仏教の6つの宗派「南都六宗」のうち、華厳宗の大本山です。大仏殿は世界最大級の木造建築物で、聖武天皇の発願により743年盧舎那大仏(るしゃなだいぶつ)造立の詔を発令し、その大仏を安置する寺として751年に完成。以降次々と堂塔が建築され40年近くかかって伽藍が整いました。都が長岡へ移ったあとも歴代天皇の手厚い保護を受けて、興福寺とともに栄華を誇りました。2度の焼失により大部分が補修されています。現在の伽藍の多くは江戸時代に再興されたものです。

南大門、法華堂、鐘楼、金堂(大仏殿)、開山堂、転害門、本坊経庫の国宝7棟を含む、13棟が構成資産となっています。

基本情報

住所
〒630-8587 奈良市雑司町406-1
問合せ
TEL:0742-22-5511/FAX:0742-22-0808
休業日
無休
拝観・入館
料金(個人)
大人:600円 子供:300円
料金(団体)
一般団体(30名以上):550円
大学・専門学校生団体(30名以上):550円
高校生団体(30名以上、但し教職員は無料):500円
中学生団体(30名以上、但し教職員は無料):400円
小学生団体(30名以上、但し教職員は無料):200円
身障者割引
障害者手帳持参で大人300円、小学生150円
介添の方1人、同上
高齢者割引
老春手帳持参で無料
その他
料金は、大仏殿・法華堂・戒壇堂でそれぞれ必要です。
時間
11月~3月:午前8:00~午後5:00
4月~10月:午前7:30~午後5:30

リンク 東大寺公式ホームページhttp://www.todaiji.or.jp/

年中行事

除夜の鐘 1月1日午前0時~
先着順に8名づつ程の組になって綱をひきます。鐘は108回なので、800人余りの人が参加できますが、東大寺では人数分の記念の印刷物(整理券の代わり)が用意され、これを配布し終わると順番待ちの行列の最後尾となります。この印刷物は、12月31日の22時半頃配布を始め(配布時間は人の出具合を見て決める為、前後する可能性有り)整理券を手に入れても、列から離れて終了後に戻ってきた人は撞くことができませんので注意が必要です。
初詣 1月1日
元旦の0時より大仏殿中門が開扉され、1日の8時まで無料で参拝できます(元旦のみ)。また、大仏殿正面の桟唐戸が開かれ、そこから大仏さまのお顔を参拝することができます(これは8月15日の万灯供養会の夜とこの日の、年2回だけ)。
修正会 1月7日13:00~
「修正会」は、正月に祈修する法会(ほうえ)という意味で、前年を反省して悪を正し、新年の国家安泰、五穀豊穣などを祈願するものです。法要は13時から約1時間40分。予め大仏殿内の霊名所というところで申し込んでおくと(1件1000円、年末から受付)、この法要で祈願されたお札を送ってもらうことができます。
節分行事 2月節分の日
14時頃、本堂内での法要の後、二月堂の舞台の上から豆まきが行われます。その後、二月堂下の法華堂前広場に設置された特設の舞台から豆や鈴がまかれ、参拝者はこの広場で受けることができます。
修二会(しゅにえ) 3月1日~15日
修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」と言い、われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で、懺悔(さんげ)することを意味します。
聖武天皇祭 5月2日13:00~
756年 56歳で崩御された聖武天皇の御忌法要で、8時から聖武天皇が祀られている天皇殿で論議法要が行われます。
万灯供養会 8月15日19:00~22:00
盂蘭盆(うらぼん)の最終日、8月15日の夜、大仏さまにたくさんの灯籠をお供えして、万灯供養会がとりおこなわれます。大仏殿の万灯供養会は、お盆に帰省できない方々にもせめて御先祖の供養をしていただけるようにという趣旨で、昭和60年から始まりました。

秘仏開扉

・7月5日俊乗忌法要終了後(11時頃~16時頃まで/有料)

俊乗堂において俊乗房重源上人坐像(国宝)阿弥陀如来立像(重文)愛染明王坐像(重文)
・10月5日転害会終了後(10時頃~16時頃まで/有料)

勧進所八幡殿において僧形八幡神坐像(秘仏・国宝)、あわせて、勧進所阿弥陀堂の「五劫思惟阿弥陀坐像」及び、公慶堂の「公慶上人坐像」も拝観可能

・10月5日八幡殿での法要終了後(10時頃~16時まで/有料)

公慶堂において公慶上人坐像(重文)

・12月16日開山堂月例寺役法要終了後(10時頃~16時頃まで/有料)

 

開山堂において良弁僧正坐像 (秘仏・国宝)

 

・12月16日10時前~16時(入堂料:有料)

法華堂において執金剛神立像(秘仏・国宝)

・12月16日 9時~16時(入堂料:有料)

俊乗堂において俊乗房重源上人坐像(国宝)愛染明王坐像(重文)阿弥陀如来立像(重文)

東大寺の国宝

南大門

東大寺の正門です。高さ約25.5mあり、現在の建物は鎌倉時代の再建。門の左右には運慶が快慶ら一門を率いわずか69日で完成させたという金剛力士像が立ちます。また、扁額に記された「大華厳寺」の文字は正倉院に残る聖武天皇直筆の文書から文字を集めて写したものだそうです。

二月堂

お水取り(修二会)が行われる縣造りのお堂です。お水取り(修二会)は旧暦の2月に行われていたためこの名前で呼ばれるようになりました。境内東方の山裾に立ち、西に張り出した舞台からは奈良市が一望できます。

法華堂(三月堂)

東大寺の現存最古の建物です。もとは寄棟造りの正堂と礼堂が軒を接して建つ配置でしたが、鎌倉時代、礼堂を入母屋造りに改築して2棟をつなぎ、一棟にしたものです。時代の異なる建築が高い技術によって結ばれ、調和の取れた美しい姿を見せています。本尊の不空羂索観音像はじめ、堂内に安置されている10体の仏像はすべて奈良時代のものです。

金堂(大仏殿)

大仏を安置する東大寺の金堂(本堂)で、世界最大級の木造古建築です。創建以来2度焼失し、現在の建物は江戸時代中期再建のものです。このとき正面幅が創建時の3分の2に縮小されましたが、それでも幅約57m、奥行き約50m、高さ約48mもあります。

転害門

境内西北、正倉院の西側にあり、三間一戸八脚門の形式をもつ堂々とした門です。2回の戦火にも焼け残った寺内で数少ない建物で、天平時代の東大寺の伽藍建築を想像できる大変貴重な存在となっています。鎌倉時代に修理されていますが、基本的には奈良時代の建物です。

鐘楼 

東大寺の鐘楼は大仏殿と二月堂のほぼ中間地点にあります。吊られている梵鐘は国宝で大仏開眼と同年の752年の製作で、中世以前の梵鐘としては最大のもの(高385センチ、口径271センチ)です。現在の鐘楼は、重源上人に次いで大勧進職に就いた栄西が再建したものです。

開山堂 

東大寺の初代別当良弁僧正の像を祀るため、良弁堂ともよばれます。内陣の中央に八角造の厨子がすえられ、良弁僧正像が安置されています。通常は中へは入れませんが、良弁忌の12月16日のみ良弁像が秘仏開扉され、拝観することができます。

本坊経庫 

東大寺の校倉は3棟現存し、その中で規模が大きく保存状態も良好で、奈良時代東大寺の校倉建築を代表する建造物として貴重なものと言えます。もともと食堂跡北、上司にあった油倉を、東南院(元本坊)に移築したもので、東南院廃絶後に本坊経庫と呼ばれるようになりました。本坊経庫は通常非公開ですが、毎年5月2日の聖武天皇祭には外観の拝観が可能とのことです。

 

【法華堂(三月堂)】執金剛神立像 

東大寺法華堂の北隅の厨子に収められています。保存状態が非常に良く、奈良時代の彫刻の代表の一つとなっています。執金剛神は金剛力士が単独でまつられたもので、金剛杵を持ち、甲冑に身を固めています。作例は少なく、そういう意味でも貴重な存在と言えるでしょう。

【開山堂】良弁僧正坐像

開山堂に安置され、良弁忌の法要終了後、拝観することができます。

【俊乗堂】重源上人坐像 

重源は鎌倉時代の僧で、源平の争乱で焼失した東大寺を再建するために全国を巡って寄付を集めました。重源の死後その菩提を弔うためにこの像が造立されたと言われています。


【法華堂(三月堂)】梵天・帝釈天立像 

三月堂須弥檀の左右後方に安置されています。向かって右が梵天、左が帝釈天です。梵天が鎧をつけ、帝釈天のほうは鎧をつけていませんが、これは通例とは逆になっています。

【法華堂(三月堂)】不空羂索観音立像

法華堂に安置されています。八本の腕を持ち、合掌する両掌の間に水晶玉を挟み、銀製の宝冠には真珠や水晶などの宝石類が2万個以上もちりばめられ、頭上の天井には、蓮華型の天蓋が取り付けられています。

【法華堂(三月堂)】四天王立像

四方を守る守護神として、東大寺法華堂を守り続けています。

【法華堂(三月堂)】金剛力士立像

金剛力士像は、半裸で表現される場合と、甲をまとって表現されますが、法華堂の力士像は鎧をまとっています。

【法華堂(三月堂)】日光・月光立像 

本尊を祀る八角基壇の左右に安置され、向かって右が日光仏、左が月光仏です。

【戒壇堂】四天王立像

戒壇堂の四隅を守っています。

【南大門】金剛力士立像

南大門に立つこの像は運慶・快慶らの仏師による制作で、見上げた時に迫力が出るよう計算されています。

【奈良国立博物館】誕生釈迦仏立像及び灌仏盤

【八幡殿】僧形八幡神坐像

【金堂(大仏殿)】盧舎那仏坐像

高さ約15mの世界最大級の銅造の仏像です。奈良時代の造立時にはのべ約260万人が携わり(当時の国民の約半数)約500tもの銅が使われたといいます。平安時代末期と戦国時代に焼失し、大部分が修復されていますが、蓮華座には造立時のものが残り、細い線で無数の仏が刻まれています。2015年の調査で螺髪(頭のぶつぶつで、知恵の象徴)の数は492個であることがわかりました。盧舎那仏は宇宙そのものという仏で、世界に慈悲の光を照らし人々を悟りに導くとされます。

 

※大仏殿内東北の柱の一本には、大仏様の鼻の孔と同じ大きさの謎の穴が開いているといいます。そこをくぐりぬけることができれば厄除けになると言われています。

東大寺ミュージアム

東大寺の膨大な寺宝を収蔵・展示しています。

入館料
大人(大学生以上)600円(550円)
高校生600円(500円)
中学生600円(400円)
小学生300円(200円)
※( )は30名以上の団体料金です。
開館時間
4月~10月9時30分から17時30分
11月~3月9時30分から17時00分
※入館は閉館時間の30分前まで
休館日
なし(臨時休館日あり)

世界遺産(文化遺産)№7「古都奈良の文化財」

「古都奈良の文化財」の世界遺産登録基準(平成10年記載)

登録基準(2)(3)(4)(6)
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
具体的には、
(2) 古都奈良の文化財は日本建築と日本美術の進化のひときわ優れた証拠性を有しており、それらは中国と朝鮮との文化的つながりの結果であり後世の発展に重要な影響を与えることになった。
(3) 奈良の建築遺産は、奈良が首都であった時代に開花した日本文化の唯一の証左である。
(4) 奈良における皇室宮殿の配置と現存文化財の設計は、初期アジアの首都群の建築と都市設計に関するきわだった例である。
(6) 奈良の仏教寺院と神社は、ひときわ優れた形で宗教の連続的な力と影響を証明する。
 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 古都奈良の文化財

奈良は、710年から784年まで日本の首都であり、政治・経済・文化の中心として栄えました。この時代に中国(唐)との交流を通して日本文化の原型が形成され、首都が京都へ移った後も、大社寺を中心とした地域が宗教都市として存続し、繁栄しました。これらの文化遺産には宮跡・寺院・神社があります。世界遺産としての「古都奈良の文化財」には、以下のものがあります。

東大寺

〒630-8211 奈良県奈良市雑司町406−1

東大寺は、724年に即位し仏教を深く信仰した聖武天皇の発願で建立されました。743年に聖武天皇が盧舎那大仏(るしゃなだいぶつ)造立の詔を発令し、その大仏を安置する寺として751年に金堂(大仏殿)が完成、翌年には大仏が開眼し、奈良時代末までに大仏殿を中心とする大伽藍が築かれました。都が長岡へ移ったあとも歴代天皇の手厚い保護を受けて、興福寺とともに栄華を誇りました。その後平安末期と戦国時代の2度の戦乱に巻き込まれ、いずれも復興を遂げ、現在の伽藍の多くは江戸時代に再興されたものです。

興福寺

〒630-8213 奈良市登大路町48

興福寺は、前身の寺院が699年に創立されたのを起源とします。710年平城遷都に伴って藤原不比等により創建され、藤原氏とともに栄えました。藤原氏の氏寺ですが、主要堂塔の建立の発願は天皇や皇后によるものが多数をしめます。これは藤原氏と朝廷との密接な関係を示すもので、造営工事も朝廷の直営で行われました。たびたび火災にあって伽藍を焼失してきましたが、都度奈良時代の様式で再建されてきました。

春日大社境内

〒630-8212 奈良市春日野町160

春日大社の創立は、社伝では768年と伝えられますが、実際には奈良時代初めに遡ると考えられています。古くから神の降臨する山として神聖視されていた春日山・御蓋山の西麓に、藤原氏の氏神を祀ったもので、藤原氏や朝廷の崇敬を受けて繁栄しました。

春日山原始林

奈良市春日野町ほか

春日大社の東方に広がる、総面積約250haの春日山は大社の神山として841年に狩猟と伐採が禁止されたため、現在まで原始林が保たれてきました。明治になって国有地となり、奈良公園に編入された後、春日山原始林として1924年に天然記念物に、1955年には特別天然記念物に指定されました。また1998年には世界遺産にも登録されました

元興寺

〒630-8392 奈良市中院町11

前身は6世紀末蘇我馬子によって開かれた日本初の本格的寺院、法興寺(飛鳥寺)でしたが、平城遷都に伴い718年に現在地に移設され、元興寺と改められました。かつては南都七大寺の一つとして威勢を振い、現在の奈良市街の南東部を占めていました。寺域には、金堂・講堂・塔・僧房などが立ち並んでいましたが、現在では僧坊の一画が唯一現存しています。極楽坊はかつての元興寺僧坊の一部で、鎌倉時代に極楽堂と禅室に改築されました。境内からは無数の石仏と民俗資料が発見されて、法輪館には奈良時代の木造五重小塔・木造阿弥陀如来坐像・智光曼陀羅図・庶民信仰資料などが多数保存されています。

薬師寺

〒630-8563 奈良市西ノ京町457

薬師寺は680年に天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈り藤原京にて創建され、718年に藤原京から平城京に移されました。移転については、伽藍、仏像を全部そのまま移したという説と、寺院の名籍だけを移し、伽藍や仏像は新しく造立したという説があります。幾度かの火災にあって次々と焼失し、創建当時の姿を残すのは東塔のみです。しかし、昭和から平成にかけて西塔や中門、回廊、玄奘三蔵院伽藍、大講堂が落慶し、今も白鳳伽藍の復興を目指して再建が進められています。

唐招提寺

〒630-8032 奈良市五条町13-46

唐招提寺は、聖武天皇の招きに応じ、苦難の末、日本にやってきた唐僧・鑑真が戒律を学ぶための寺として759年に故新田部親王(天武天皇の第七皇子)の旧宅を賜り、そこを「唐律招提」と称し、戒院として教学の場を営むことになりました。教義上、立派な伽藍よりも、住むに足るだけの僧坊・食堂と、仏法を講じる講堂が何をおいても必要であったことから、これらの建物が最初に建てられ、鑑真の没後、奈良時代末に金堂が完成し、810年には五重塔が建立され、順次伽藍が整いました。平安時代初頭に伽藍全体が完成し、そのころ「唐律招提」から「唐招提寺」となりました。

平城宮跡

〒630-8577 奈良市佐紀町

710年、遷都により壮大な都市計画のもと、かつてない規模で道路・市街地・宮殿・寺院などが造営され、794年の平安京遷都後も寺社の多くは旧都に残されました。東西1.3km、南北1km、面積130haの内部には国の政治や儀式を執り行う大極殿・朝堂院、天皇の居所である内裏、行政機関である各役所などがありました。当時の宮殿や役所などの木造建築の遺構は今でも地下に良好に保存されています。

奈良の地形

奈良が都となっていたころ、奈良盆地には大きな湿地湖が広がっていました。大和川は奈良盆地から大阪湾に流れ出ていました(現在は人口の水路により堺市へ流れています)。そして、大阪平野の奥まで海と川が混じる湿地帯が広がっていました(大阪平野は当時は湿地帯だったようです)。中国大陸から生駒山麓まで船で簡単に移動ができる便利の良い土地だったようです。しかし、大和川流域は資源が少なく、人が増えると、この小さな奈良盆地の水と森林では支えきれるものではありませんでした。森林がの木が少なくなるとともに山は荒廃し、それに伴うように都は奈良から京都へ移っていったようです。(『日本史の謎は「地形」で解ける』より抜粋)


青い海に浮かぶ神社 「厳島神社」

厳島神社(平成8年記載)
 厳島神社は海上に立地し、周囲の景観と一体となり美しさを表現し、日本人の精神文化を理解するうえで貴重な存在です。また、建築物としても他に類を見ない独創的なものであり、建築様式は平安時代の様式を取り入れ、現在に伝えています。このようなことから世界遺産としての価値が認められたようです。

 世界遺産登録基準

登録基準(1)(2)(4)(6)
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
(1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。 

「厳島神社」 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

真実性・完全性

世界文化遺産の主な登録条件に資産の真実性・完全性の証明という項目があります。厳島神社では次の通りとなっています。

(1)意匠の真実性
厳島神社には修理再建が行われてきたものの、綿密な調査と類例研究の結果を踏まえ、さらに現状変更には、文化財保護審議会における厳密な討議と審査に基づく国の許可を必要としており、いささかも推定の部分はない。
(2)材料の真実性
厳島神社の社殿群は海上に立地し、背後に急傾斜の山をひかえているため、台風や土砂崩れ等による災害にたびたび見まわれ、新材に取り替えていますが、同じ形状の部材が建物の至る所で使われており、欠失・毀損した部材と同じ部材が他の部位に残存している為、毀損材の正確な復原を可能にし、やむなく取り外した当初材については、実測図をはじめ詳細な記録を作成し、かつ重要な部材は適切に保存している。
(3)技術の真実性
日本には伝統的に解体あるいは半解体という修理法があり、建物の組立にあたっては建物創建当初の加工技法を調査・研究し、取替部材を仕上げています。また、修理不可能な腐朽・毀損部材の取替えや欠失部分の復原の場合には伝統的な部材補修方法である根継ぎ法(柱の根元の腐朽部分)や矧木・継木法(毀損している箇所)の技術で修復を実施するなど、技術の真実さの保持にも最大の努力をはらっています。
(4)環境の真実性
推薦資産に含まれる国宝6棟重要文化財11棟3基の建造物のほとんどは、創建当初の位置を動いておらず、周囲の環境とともに良好に保存されています。この建造物の配置状況も重要な歴史資料と認識され、保存を図っています。

所在地及び面積

広島県佐伯郡宮島町に所在する厳島神社の建造物群と、それと一体となって資産の価値を形成している背後の瀰山を中心とする森林の区域が対象となっています。
[面積]        
資産区域面積 431.2 ha
緩衝地帯面積 2,634.3 ha
合計 3,065.5 ha

管理

指定建造物及びその立地する土地は、ともに宗教団体として活動している法人の財産であり、指定建造物群の後背地の都市公園地は国の財産となっています。

法律及び条例によるほとんどの指定区域では自然環境や歴史的環境など風致の保護・保全を目的とし、指定区域内の現状を変更する行為は制限され、あらかじめ国または広島県の許可を得なければならず、これら法律の規定に違反した場合は罰則が課せられます。

資産内容

[本社]
 本社は厳島神社の中心建物で、海上に展開する社殿群の中核をなしています。祓殿の左右から出て、曲折しながら東西にのびる廻廊に沿って附属舎が配置されています。
 本社の各建物は大鳥居、祓殿、拝殿、本殿、拝殿と本殿の間をつなぐ幣殿で、H字型の棟をもつ一棟の建物とし、祓殿の屋根も拝殿に接続させて全体が一連の屋根の下に覆われています。
[摂社客神社]
社殿群の構成は祓殿、本殿、拝殿、本殿と拝殿をつなぐ幣殿で、社殿全体を一連の屋根で覆っているのは本社と同じですが、社殿全体の規模はひとまわり小さくなっています。また、客神社では、廻廊が拝殿と祓殿の取り合い部分を通路のようにして通り抜けて、祓殿前面は直接海面に面していて平舞台にあたる板敷きがありません。
1 本社本殿・幣殿・拝殿 (国宝)
1-A 本社本殿(1899.04.05国宝指定)
市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命を祀る神殿。1571年[元亀2]の再建。
1-A-(1) 玉垣(1952.03.29国宝指定)
本殿を囲む屋根付きの板塀。上部に連子窓を開ける。
1-A-(2) 不明門(1952.03.29国宝指定)
本殿裏に建つ瓦葺の四脚門。1564年[永禄7]の再建であるが、扉は1241年[仁治2]の再建のものを使用。
1-B 本社幣殿(1899.04.05国宝指定)
本殿と拝殿の間を繋ぐ建物。
1-C 本社拝殿(1899.04.05国宝指定)
神霊を礼拝するための建物。内部は各柱筋に柱が立ち並び、逆W字形の天井をかける。1241年[仁治2]の再建。
1-C(1)L 左右内侍橋(左内侍橋)(1899.04.05国宝指定)
東廻廊から拝殿の縁に向かって架けられた、屋根付きの渡り廊下。
1-C(1)R 左右内侍橋(右内侍橋)(1899.04.05国宝指定)
西廻廊から拝殿の縁に向かって架けられた、屋根付きの渡り廊下。
2 本社祓殿(1899.04.05国宝指定)
祭礼に際し、祭の参加者のお祓いをする場所。1241年[仁治2]再建。
2-(1) 高舞台
神霊に奉納する舞楽を演ずる舞台。
2-(2) 平舞台
祓殿前に設けられた、儀式用の板敷き。
2-(3)L 左右楽房(左楽房)
舞楽を舞うための伴奏音楽(雅楽)演奏のための殿舎。
2-(3)R 左右楽房(右楽房)
同上
2-(4)L 左右門客神社本殿(左門客神社)
神社の入り口を守護する神霊を祀る神殿。内部の玉殿とそれを覆う社殿からなる。
2-(4)R 左右門客神社本殿(右門客神社)
同上
3 摂社客神社本殿・幣殿・拝殿(国宝)
3-A 摂社客神社本殿(1899.04.05国宝指定)
天忍穂耳命、活津彦根命、天穂日命、熊野橡樟日命、天津彦根命を祀る神殿。1241年[仁治2]の再建。1433年[永享5]に改修。
3-A-(1) 玉垣(1952.03.29国宝指定)
本殿を囲む屋根付きの板塀。上部に連子窓を開ける。
3-B 摂社客神社幣殿(1899.04.05国宝指定)
摂社客神社本殿と拝殿の間を繋ぐ建物。
3-C 摂社客神社拝殿(1899.04.05国宝指定)
神霊を礼拝するための建物。1241年[仁治2]の再建。1433年[永享5]に改修。
4 摂社客神社祓殿(国宝1899.04.05指定)
祭礼に際し、祭の参加者のお祓いをする場所。1241年[仁治2]の再建。1433年[永享5]に改修。
5 東廻廊(国宝1899.04.05指定)
本社祓殿から拝殿を囲むように屈曲し、北東の陸地との間を繋ぐ屋根付の廊下。16世紀後半に再建。入口は切妻造りで、屋根は檜皮葺[ひわだぶき]で、棟には棟瓦が載せてあります。
6 西廻廊(国宝1899.04.05指定)
本社祓殿から拝殿を囲むように屈曲し、西の陸地との間を繋ぐ屋根付の廊下。16世紀後半に再建。唐破風造り[からはふづくり]になっています。
7 朝座屋(1899.04.05重要文化財指定)
神官が朝の祭儀の前に参集する殿舎。
8 能舞台(1899.04.05重要文化財指定)
神霊に奉納する能を演じるための舞台。1680年[延宝8]建築。1827年[文政10]に改修。
8-(1) 橋掛
能楽屋と能舞台を繋ぐ演能のための屋根付きの橋。
8-(2) 能楽屋
能楽を演ずる人達の準備と控えのための建物。
9 揚水橋(1899.04.05重要文化財指定)
東回廊と南の陸地を結ぶ木造の橋。途中の張り出しは、昔ここから海水を汲んだ名残。
10 長橋(1899.04.05重要文化財指定)
西廻廊と南の陸地を結ぶ木造の橋。以前はこの橋を通って神に供える神饌を運んだ。
11 反橋(1899.04.05重要文化財指定)
西廻廊と南の陸地を結ぶ木造の橋。大きな弧を描き、朱塗りの高欄を設ける。
12 大鳥居(1899.04.05重要文化財指定)
海中に建つ、巨大な木造の鳥居で、屋根は檜皮葺。4本の控柱をもつ。1875年[明治8]の再建。
13 摂社大国神社本殿(1899.04.05重要文化財指定)
大国主命を祀る神殿。切妻造、妻入。16世紀後半の再建。
14 摂社天神社本殿(1899.04.05重要文化財指定)
菅原道真公を祀る神殿。入母屋造、妻入。住宅風の建築。神前で連歌の会を開いた。1556年[弘治2]の創建。
14-(1) 渡廊(1899.04.05重要文化財指定)
長橋と天神社本殿を結ぶ屋根付きの廊下。
15 五重塔(1900.04.07重要文化財指定)
檜皮葺屋根の五層塔婆。反りの強い軒や、尖った尾垂木は禅宗様の影響。1407年[応永14]の創建。
16 多宝塔(1901.08.02重要文化財指定)
こけら葺屋根の二層塔婆。上層の平面は円形につくる。1523年[大永3]の創建。
17 末社荒胡子神社本殿(1904.02.18重要文化財指定)
素盞鳴神を祀る神殿。漆塗の小社殿。1441年[嘉吉元]の再建。
18 末社豊国神社本殿(千畳閣)(1910.08.29重要文化財指定)
本瓦葺の巨大建築。軒先瓦に金箔を押す。天井や周囲の柱間装置は未完成。1587年[天正15]の創建。
19 摂社大元神社本殿(1949.02.18重要文化財指定)
大山祇神を祀る神殿。特殊な形式のこけら葺で有名。1523年[大永3]の再建。
20 宝蔵(1949.02.18重要文化財指定)
神宝を収蔵する蔵。高床式で、五角形断面の横材を組んで壁体を積み上げる。

(参考)世界文化遺産オンライン

 厳島神社の歴史

[厳島神社の起源]

神社の創建は 593年現在の広島県・宮島の地域を収めていた豪族・佐伯鞍職(さえき の くらもと)が、水の神とされる「市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)」のお告げを受け、現在の「御笠浜(みかさのはま)」に社殿を建立したのが厳島神社の始まりと伝わっていますが、はっきりと歴史の舞台に登場するのは811 年以降で、「日本後記」に「伊都岐嶋神」の名前が登場するのが神社名としては最初のものとなっているようです。以降、平安時代を通じて安芸の国の著名な神社として知られるようになったようです。

[平清盛による造営]

厳島にいつごろから社殿の建築が始まったかについては不明ですが、1168年(仁安3) 、神主である佐伯景弘が社殿の造営を行ったことを朝廷に報告している文書があり、そのなかで神殿などの建物の規模を大きくし、板葺の建築物の一部を檜皮葺に改めたとしています。そして、この造営が平清盛の後援を受けて行われたことは間違いなく、その後の厳島神社の社殿規模や配置の基準となったものと考えられます。
平清盛は、1146年に安芸守の任に就き、平家一門の隆盛とともに厳島神社も栄えて平家の氏神となりました。平家滅亡後も、鎌倉幕府や室町幕府、地元の領主大内氏や毛利氏、また、豊臣秀吉も篤く信仰し庇護してきました。

[その後の造営]

1207年と1223年2度の炎上や1325年大鳥居、大風により転倒するなどしばしば風水害を受けましたが、その時々の権力者や在地の有力者の崇敬を集め、都度復旧されています。また、1407年五重塔が建立されたのをはじめ1523年多宝塔が建立1556年毛利隆元により天神社を建立するなど、従来の社殿以外に新たな建造物も付け加えられ、社頭景観が形成されていきました。
大鳥居は1547年控え柱をもつ形式に改められ、その後も1561年、1739年としばしば再興していますが、最後は1850年に大風で破損した後、1875年に再興したのが現在の大鳥居となっています。
摂社客神社は1430年(永享2)から1433年(永享5) にかけて改修されました。

厳島神社拝観について

拝観は年中無休となっています。

嚴島神社拝観時間(開門~閉門)

1月1日  (0時00分 ~18時30分)

1月2日 ~1月3日(6時30分~18時30分)

1月4日 ~2月末日(6時30分~17時30分)

3月1日 ~10月14日(6時30分 ~18時00分)

10月15日 ~11月30日(6時30分 ~17時30分)

12月1日~12月31日(6時30分~17時00分)

※嚴島神社の廻廊は、高潮対策のため隙間の空いた構造となっているため、ハイヒール等、隙間に挟まる事がありますので、参拝時は履物に気をつけてください。

宝物館拝観時間(開門~閉門)

通年 (8時00分~17時00分)

宝物館料金

個人大人:神社300円/宝物館300円/共通割引500円

個人高校生:神社200円/宝物館200円/共通割引300円

個人中小学生:神社100円/宝物館100円/共通割引150円

団体大人:神社250円/宝物館250円/共通割引400円

団体高校生:神社150円/宝物館150円/共通割引200円

団体中小学生:神社70円/宝物館70円/共通割引100円

※嚴島神社と宝物館は、共通割引と団体割引があります。団体は各50名以上となります。(共通券購入は神社入口のみ)

※修学旅行に於いて、教員・写真業者・看護師は学生料金となります。

 

千畳閣料金

大人 100円/中小学生50円

※千畳閣には共通割引、団体割引はありません。

千畳閣拝観時間(開門~閉門)

通年 (8時30分~16時30分)

【厳島神社問合せ先】

〒739-0588
広島県廿日市市宮島町1-1
Tel:0829-44-2020 Fax:0829-44-0517

お問合せ時間 : 午前9時から午後4時まで

厳島神社の神様

「安芸の宮島」と呼ばれ平家が崇拝したことで知られる厳島神社の御祭神と言えば宗像三神。八百万の神の中でも三姉妹の女神はこの神だけです。美人の誉れが高く、海の神として全国でも多くの神社で祀られている神様です。

海は豊かな恵みをもたらす一方、荒れ狂い人命にかかる災害ももたらします。そのため海に暮らす人々は海に対して強い恐れと崇拝の意を表し、海を司る神を祀っていたようです。

厳島神社の御利益

宗像三神は多紀理姫命(別名:奥津島比売命、田心姫命)、市杵島姫命(別名:狭依毘売命※弁天様)、多岐津姫命(別名:湍津姫命、田寸津比売命)の三姉妹で、海の神、交通運輸の神、財福・技芸の神としての神格があります。

 

まとめ

宮島は昔から島全体が神とされ崇拝されてきました。この地にある1400年の歴史を誇る厳島神社は海の中に建ち、潮が満ちるとき海に浮かび上がるように美しさを増す、日本でも珍しい神社です。この神々しい存在はこれからもずっと、私たちの財産であり続けることでしょう。

日本で唯一の負の世界遺産「原爆ドーム」(平成8年記載)

原爆ドーム 

 

登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
基準(6)のみの適用で登録されているのは例外的なケースだが、比較的歴史の浅い負の世界遺産にはしばしば見られる傾向である。
 
『原爆ドーム出典』: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

資産の範囲

[面積]        

資産面積 0.4 ha
緩衝地帯面積 42.7 ha
合計 43.1 ha
広島県広島市中区国泰寺町1-6-34


資産の周辺地域は「平和記念公園」となっており、緩衝地帯を流れる河川は、河川法によって国が管理しています。ドームは、文化財保護法の規定により、国の史跡に指定されています。広島市の所有で、広島市により管理が行われていますが、平和記念公園の周囲については「原爆ドーム及び平和記念公園周辺建築物等美観形成要綱」が定められ、現状を変更する場合は、国の許可が必要で、復旧を行う場合でも国に届け出しなければいけません。広島市は、専門家を配置してドームの保存管理に当たらせるとともに、3年ごとに健全度調査を実施し、保存状況をチェックしています。

平和記念公園(原爆ドーム含む)の概要

広島に原爆が投下されたことはあまりにも有名ですが、原爆ドームは、その際破壊された「広島県産業奨励館」の残骸を、当時の姿のまま今日に伝える資産です。従い、人類が初めて被った核兵器の惨禍の跡を留める資産であり、人類が忘れることのできない歴史的記念的意義を有する資産として、世界遺産条約第1条の規定する記念工作物に該当しています。

公園内には広島市の管理事務所があり、文化財保護の担当機関である市教育委員会との連携を取りつつ、ドームの日常管理を行っています。
ドームをはじめ、犠牲者を慰霊する記念碑等には、それぞれ説明板が設けられ、平和記念公園内の広島平和記念資料館には、被爆の惨状を示す犠牲者の遺品等が多数展示されています。
諸種の国際交流活動のために広島国際会議場が設置されており、これまでに国連と軍縮シンポジウム、国連軍縮会議、世界平和連帯都市市長会議、女性国際平和シンポジウム等の多くの国際会議が開催されいます。
そのほか、公園内には、休憩施設が1箇所、公衆便所が5箇所、駐車場が2箇所設けられています。

原爆ドームの歴史

戦前
広島市は、中国山地から南流する太田川の三角州を中心に発達した都市であり、南は瀬戸内海に面し東・北・西は山地に囲まれ、伝統工業のほか軍需に結びついた近代工業が発達し、特に日露戦争を契機として、大量の軍需品の地元調達が行われたことなどによって、経済は活況を呈しました。1910年、広島県会は同県の産業振興のため、広島県物産陳列館の建築を決定し、設計をチェコ人の建築家ヤン・レツルに委嘱して1914年太田川の分流元安川の東岸に起工、1915年に竣工しました。その後、名称を広島県産業奨励館と改められています。ここは博物館・美術館の役割も果たし、広島の文化振興の場としても大きな役割を担っていました。
戦時

日本は1930年代から中国と戦争状態にあり、第2次世界大戦の開始後、1941年には太平洋及びアジア各地に戦域を拡大していきました。1945年になると、アメリカ軍による本土爆撃の激化や沖縄上陸によって、日本の敗色は濃くなっていきました。アメリカ・イギリス・中国によるポツダム宣言発表の後、8月6日広島市に原子爆弾が投下されました。テニアン島を発進した米軍 B29爆撃機3機が広島市上空に侵入し、午前8時15分に原子爆弾を投下しました。爆弾は上空約 580メートルで爆発し、爆風と猛火により、爆心地から半径約2キロメートル以内の建物は木造も鉄筋コンクリートもすべて全壊・全焼し、半径約2.8 キロメートル以内の建物が全壊、半径約4キロメートル以内の建物が半壊しました。これは、当時の広島市のほとんど全域が半壊以上の損害を受けたということです。
「広島県産業奨励館」は、広島市内の元安川東岸に建つ、一部鉄骨を使用した煉瓦造の建築で、全体は3階建て、石材とモルタルで外装が施され、正面中央部分は5階建ての階段室、その上に銅板の楕円形ドームが載せられていました。原爆により、建物 の屋根や床はすべて破壊され、壁は建物の大部分において1階の上端以上が全て倒壊しましたが、爆風が上方からほとんど垂直に働いたため、本屋の中心部は奇跡的に倒壊を免れましたが、この建物の中にいた約30名の職員は全員即死しました。

このときの被害状況として、約14万人が死亡し(1945年12月末まで、広島市調査)、負傷者は数知れず、戦後50年を経過した今日もなお、放射線の後遺症に苦しむひとがいます。
8月8日ソ連が日本に宣戦を布告、8月9日長崎市に原子爆弾が投下され、日本はポツダム宣言を受諾して、8月15日第2次世界大戦は終結しました。
戦後 
第2次世界大戦後、広島市の復興が進む中で、爆心地近くに唯一残された旧広島県産業奨励館の残骸は、頂上の円蓋鉄骨の形から、いつしか人々によって原爆ドームと呼ばれるようになりました。1953年、広島市の申請に基づき、県から市に譲与され、1966年に広島市議会がドームの保存を決議しました。
ドームは2回の保存工事を経て、被爆当時の惨禍の姿をそのまま今日に伝えています。ドームを基軸とする平和記念公園の建設は、1950年から始まり、1964年に完成しました。平和記念公園には、原爆死没者慰霊碑(正式名称:平和都市記念碑)をはじめ、原爆供養塔、原爆の子の像等の犠牲者を悼む多くの慰霊碑が設けられており、また広島平和記念資料館において、多数の遺品等が展示されています。


参考:文化遺産オンライン

まとめ

原爆ドームは、人類史上初めて使用された核兵器の惨禍を如実に伝えるものであり、時代を超えて核兵器の究極的廃絶と世界の恒久平和の大切さを訴え続ける人類共通の平和記念碑です。統計によると、資料館への来訪者は年間約140万人、うち約45万人が平和学習のために訪れる修学旅行生、約7万人が外国人だといいます。ここに訪れたことのない人でも、ここの映像や写真を見ていることでしょう。
原爆ドームの存在が、戦争を憎み、再び、未来永劫この惨劇を繰り返してはならないと世界に向けて発信していると感じますし、これからもずっとその存在価値を発揮してほしいと思います。

※タイトルで負の世界遺産としていますが、この「負の」と謳われているのは日本だけです。世界的には「負の」という考え方はありませんのでここに記載しておきます