ヘリテージ~受け継ぐべきもの

将来に遺したい日本の宝について

これからの世代に残したいもので最初に思いついたのは世界遺産だった

世界遺産は私たちが過去から受け継ぎ、未来へ残すべき大切な宝です。 そこで世界文化遺産について調べてみたいと思いました。
世界文化遺産は文化遺産と自然遺産があり、文化遺産は世界遺産のうちの一つということがわかりました。日本では慣例的に自然遺産を世界自然遺産と呼び、文化遺産を世界文化遺産と呼んでいるようです。

世界遺産とは

世界遺産はどのようなものなのかもう少し具体的に調べてみたいと思います。
「1972年、ユネスコ総会で採択された『世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約』(世界遺産条約)に基づいて世界遺産リスト(世界遺産一覧表)に登録された、文化財、景観、自然など、人類が共有すべき顕著な普遍的価値を持つ物件のことで、内容によって文化遺産、自然遺産、複合遺産の3種類に分けられる」事がわかりました。ちなみに無形文化遺産については世界遺産とは扱いが違うという事です。

つまり、2018年に登録された来訪神などは世界遺産とは扱いが違うのだということがわかります。こちらは「無形文化遺産」で、無形文化財の扱いについては2003年にユネスコで採択されたようです。今まで混同していましたが、物件ではないものは無形文化財だということが理解できます。

世界遺産の登録まで

世界遺産に登録されるには、いくつもの手続きや調査が必要なことは分かります。例えば、これから登録予定の「百舌鳥もず・古市ふるいち古墳群」はどのように世界遺産に登録されるのでしょう。
まず、2018年時点で世界遺産条約締約国が193か国あり、各国で暫定リストが作成されているようです。世界遺産一覧表に登録されるには、21か国の委員国で構成される「世界遺産委員会」での決定が必要となります。しかしその前に、専門家などで構成される諮問委員会が調査し
(ア)記載 : 世界遺産一覧表に記載するもの
(イ)情報照会 : 追加情報の提出を求めた上で次回以降に再審議するもの
(ウ)記載延期 : より綿密な調査や推薦書の本質的な改定が必要なもの(再度イコモスの審査を受ける必要があるもの)
(エ)不 記 載 : 記載にふさわしくないもの
の勧告を「世界遺産委員会」に提出し、委員会ではそれを踏まえたうえでの決定となります。
現在、「世界遺産一覧表」への記載に向け、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」及び「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」について、ユネスコ世界遺産センターへ推薦書を正式に提出しています。

文化遺産の種類

世界遺産について簡単に調べてきました。そこでまず、文化遺産についてみていきたいと思います。文化遺産には下記のような種類があります。

記念物(記念工作物)

「建築物、記念的意義を有する彫刻及び絵画、考古学的な性質の物件及び構造物、金石文、洞穴住居並びにこれらの物件の組合せであって歴史上、芸術上又は学術上顕著な普遍的価値を有するもの(文化遺産 (世界遺産) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)」と定義されます。少しわかりにくいですね。そこで日本での文化遺産について調べてみると下記のような記述がありました。

日本における記念物の扱い(文化財保護法第2条第1項第4号より)

「貝づか、古墳、都城跡、城跡、旧宅その他の遺跡で我が国にとって歴史上又は学術上価値の高いもの、庭園、橋梁、峡谷、海浜、山岳その他の名勝地で我が国にとって芸術上又は観賞上価値の高いもの並びに動物(生息地、繁殖地及び渡来地を含む。)、植物(自生地を含む。)及び地質鉱物(特異な自然の現象の生じている土地を含む。)で我が国にとつて学術上価値の高い遺跡、名勝地、動植物および地質鉱物を「記念物」としています。」

これを見ると、お寺などの庭園などは記念物の扱いになるようです。

建造物群

「独立し又は連続した建造物の群であって、その建築様式、均質性又は景観内の位置のために、歴史上、芸術上又は学術上顕著な普遍的価値を有するもの(文化遺産 (世界遺産) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)」と定義されます。
日本では法隆寺地域の仏教建造物、姫路城など多くの建造物が世界遺産に登録されています。

遺跡

「人工の所産(自然と結合したものを含む。)及び考古学的遺跡を含む区域であって、歴史上、芸術上、民俗学上又は人類学上顕著な普遍的価値を有するもの(文化遺産 (世界遺産) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)」と定義されます。
この分類の代表として、クンタ・キンテ島と関連遺跡群(ガンビア)、キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群(タンザニア)、フィリピン・コルディリェーラの棚田群などがあげられています。

すべての文化遺産がこの3種類に分かれるのでしょうか。それでは今回登録される予定の「百舌鳥もず・古市ふるいち古墳群」は記念物と言う事でしょうか。こうしてみていくとどんどん疑問がわいてきます。

世界遺産(文化遺産)の登録基準について

世界遺産に登録されるには以下の登録基準に一つ以上あてはまらなければなりません。「百舌鳥もず・古市ふるいち古墳群」の登録基準は2・3・4のようです。

(1) 人類の創造的才能を表現する傑作。 
この基準は、創造的才能を発揮した個人に帰する物件に適用されるのが一般的ですが、制作者も制作年代も定かではない物件であっても、適用されることがあります。
例)タージ・マハル(インド)、シドニー・オペラハウス(オーストラリア)、プレアヴィヒア寺院(カンボジア)、アントニ・ガウディの作品群、建築家ヴィクトル・オルタの主な都市邸宅群 (ブリュッセル)、ティヤの石碑群(エチオピア)など
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。 
交易上の要衝など、文化交流に寄与した文化遺産にも適用されます。
例)シルクロード長安-天山回廊の交易路網(中国、カザフスタン、キルギス)、コローメンスコエの主昇天教会(ロシア)、シュパイアー大聖堂(ドイツ)、ホレズ修道院(ルーマニア)、ゲガルド修道院とアザト川上流域(アルメニア)、スウェルの鉱山都市(チリ)、王立展示館とカールトン庭園(オーストラリア)など
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
考古遺跡や人類化石遺跡などにも適用されています。
例)ブリッゲン(ノルウェー)、アルタの岩絵(ノルウェー)、ミュスタイアのザンクト・ヨハン修道院(スイス)、ベルン旧市街(スイス)、ブトリント(アルメニア)、ヘラクレスの塔(スペイン)、ベニ・ハンマードの城塞(アルジェリア)、メサ・ヴェルデ国立公園(アメリカ合衆国)、ナスカとフマナ平原の地上絵(ペルー)、モヘンジョダロ(パキスタン)、南アフリカの人類化石遺跡群(南アフリカ共和国)など
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。 
例)ルーゴのローマ城壁(スペイン)、レヴォチャ歴史地区、スピシュスキー城及びその関連する文化財(スロバキア)、フォントネーのシトー会修道院(フランス)、ラ・ショー=ド=フォンとル・ロックル(スイス)、クロンボー城(デンマーク)、ペタヤヴェシの古い教会(フィンランド)、バハラ城塞(オマーン)、アブ・メナ(エジプト)、ビニャーレス渓谷(キューバ)、グアラニーのイエズス会伝道所群(ブラジル・アルゼンチン)など
(5) ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。 
例)クルシュー砂州(ロシア / リトアニア)、マドリウ=ペラフィタ=クラロ渓谷(アンドラ)、ホッローケーの古い村落とその周辺(ハンガリー)、ヴェーガ群島(ノルウェー)、アシャンティの伝統的建築物群(ガーナ)、オマーンの灌漑システム・アフラジ(オマーン)など
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。 
例)原爆ドーム(日本)、ゴレ島(セネガル)、アウシュヴィッツ強制収容所(ポーランド)、リラ修道院(ブルガリア)、独立記念館(アメリカ合衆国)、ランス・オ・メドー国定史跡(カナダ)など
(参考:文化遺産 (世界遺産) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)


登録に当たっては複数の基準が適用されることが多く、6項目全てが適用された物件は莫高窟(中国)、泰山(中国)、ヴェネツィアとその潟(イタリア)の3件のみです。

日本の世界遺産

日本では2022年1月現在25件登録されています。ちなみに自然遺産は5件となっています。日本の世界遺産についてはこれからもすこしずつ見ていきたいと思いますのでここでは件数のみの記載とします。
ちなみに2021年7月現在,世界遺産は文化遺産897件,自然遺産218件,複合遺産39件を含む1,154件で、今後まだまだ増えていくと思われます。また、登録されても、登録基準を満たさなくなったものは削除されることもあるので登録されたからといってそのままではいけません。登録前に保存の観点でも審査基準が設けられているようです。
世界遺産に限ったことではありませんが、歴史的財産や美しい自然を守っていかなければいけないと強く思いました。

日本で最初に世界遺産に登録された「法隆寺地域の仏教建造物」

日本では1993年12月、法隆寺地域の仏教建造物(奈良県)と姫路城(兵庫県)が世界遺産(文化遺産)に最初に同時登録されました。ここでは法隆寺地域の仏教建造物(奈良県)についてみていきたいと思います。

法隆寺地域の仏教建造物の登録基準

(平成5年記載)登録基準(1)(2)(4)(6)

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
(1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
具体的には、
(1) 法隆寺の建造物群が、木造建築としての構造・配置両観点から傑作である。
(2) 同建造物群が仏教伝来直後の仏教建築物で、日本の宗教建築に深い影響を及ぼした。
(4) 同建築物群は、中国文化への順応、日本の寺院建築の配置、および、結果的に日本独特の様式を確立した代表的な例である。
(6) 日本への仏教の流入、および聖徳太子の仏教奨励が、同地域への仏教の浸透に際立った特徴を示している。
法隆寺地域の仏教建造物 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これは、法隆寺が細かな装飾や外観などさまざまな点で木造建築の傑作であり、仏教建造物としてわが国では最初の時期のものであり、その後の宗教建築に大きな影響を与えていること、中国伝来の寺院建築ではあるが、そこに日本独特の様式が採用されていること。そしてわが国の仏教の浸透に法隆寺が重要な役割を果たしたことが基準になったという事でしょう。

具体的な物件は法隆寺と法起寺です。登録地域の面積は、構成資産 15.3ヘクタール、それを保護する緩衝地帯 570.7ヘクタール合計586.0ヘクタールとなっています。詳しくは世界遺産一覧表記載推薦提案書(文化庁)のサイトで確認できます。

国宝・重要文化財指定建造物目録

法隆寺は、西院と東院と子院群で構成されており、世界遺産に登録されているのは47棟。そのうち8世紀以前に建造された金堂、五重塔、中門、回廊は、現存する世界最古の木造建造物です。

法隆寺西院

西院では、回廊に囲まれて東西に金堂・塔が配置され、左右非対称となっています。この配置は、創建以後多少の改変はありましたが、創建当初の名残を残しているという事です。さらに付属する建造物も現存しているため、古代仏教寺院の構成の全貌がほぼ完全に残っています。現在、金堂や塔をはじめとして15棟が国宝に、6棟が重要文化財に指定されています。金堂は遅くとも680年ごろまでに完成し、それに続いて五重塔・中門・回廊、710年ごろには伽藍全体が完成しています。

1.金堂

世界最古の木造建造物で、西院伽藍最古の建築です。 内部は土築の仏壇を構え、中の間、東の間、西の間に分かれ(これらの間に仕切はありません)、それぞれ釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来を本尊として安置されています。
重要文化財指定年月日:1897年12月28日、国宝指定年月日:1951年6月9日

2.五重塔

日本最古の塔である五重塔は、五重目の軸部が初層の半分の大きさになっています。一番下の初重の内部には、東面・西面・南面・北面の4つの方角それぞれに塑造の群像(粘土の彫刻の事)が安置されています(塔本四面具)。心柱の下にある心礎には、仏舎利が納められているようです。
重要文化財指定年月日:1897年12月28日、国宝指定年月日:1951年6月9日

3.中門

中門は現在入り口として使われていません。中門の左右には日本最古の金剛力士立像が安置されています。大きく口を開いて右に立つのが阿形像。口を閉じてやや左下をにらみつけて左に立つのが吽形像です。
重要文化財指定年月日:1897年12月28日、国宝指定年月日:1951年6月9日

4.回廊

回廊は東側の鐘楼、中央の大講堂、西側の経蔵、五重塔と金堂を囲んでいます。法隆寺の回廊は左右対称ではありません。このことによりバランスがよく見えるのだそうです。また、この回廊の柱は上下の太さが異なる「エンタシス」というスタイルになっています。これもバランスを考えての事と思われます。
重要文化財指定年月日:1899年4月5日、国宝指定年月日:1951年6月9日

5.大講堂

法隆寺の建物の中でもひときわ大きい大講堂では、法隆寺伝統の行事が開かれています。大講堂の須弥壇上(仏教寺院において本尊を安置する場所)には薬師三尊像と四天王像「薬師三尊像」と「四天王像」が安置されています。
重要文化財指定年月日:1899年4月5日、国宝指定年月日:1951年6月9日

6.経蔵

経蔵は楼造りの堂舎であり、現存する楼造の建物のなかでは日本最古と言われています。天文や地理学を日本に伝えたという百済の学僧、観勒僧正坐像が安置されています。
重要文化財指定年月日:1899年4月5日、国宝指定年月日:1951年6月9日

7.鐘楼

経蔵と対称位置に建ち、時を知らせる梵鐘を奉納されている建物です。925年、大講堂とともに落雷により焼失し、現在の鐘楼は経蔵の様式にならって平安時代中期に再建されたものです。
重要文化財指定年月日:1899年4月5日、国宝指定年月日:1951年6月9日

8.上御堂

このお堂は奈良時代、天武天皇の皇子である舎人親王の発願によって建立したといわれていますが、定かではありません。当初の建物は、台風で倒壊したことを伝える記録があり、現在の建物は鎌倉時代に再建されたものです。堂内には平安時代の釈迦三尊像と室町時代の四天王像が安置されています。
重要文化財指定年月日:1898年12月28日

9.南大門

法隆寺には大門が三ヶ所あり、その中で一番大きな門です。正面玄関にあたる門で、現在みることのできる南大門は室町時代中期に再建されました。平安時代より以前では、現在の中門あたりに造営されていたと云われていますが、寺域の拡大により現在の場所に移されたと言われます。創建時のものは、1435年に焼失してしまい、現在の南大門は1438年に再建されました。一重の門で、本柱四本の前後にそれぞれ控え柱が合わせて八本ある八脚門で、屋根は室町様式の単層入母屋造りとなっています。
重要文化財指定年月日:1901年3月27日、国宝指定年月日:1953年3月31日

10.西円堂

峯の薬師と呼ばれ、薬師如来像を安置する八角円堂の西円堂があります。現在の建物は1250年に再建されています。 堂内中央の薬師如来像を取り囲むように十二神将像が、また東面には千手観音像、北面には不動明王像が安置されています。また、西円堂の内部の薬師如来坐像の周囲には、刀剣や鏡が安置されているようです。
重要文化財指定年月日:1901年3月27日、国宝指定年月日:1955年2月2日

11.聖霊院

聖徳太子の尊像(平安末期)を安置するために、東室の南端部を改造したのがこの聖霊院です。このときの聖霊院は東室の一部でしたが、弘安七年(1284)に全面的に建て替えられ、現在の姿になりました。聖霊院の内部には聖徳太子及び眷属像、如意輪観音半跏像、地蔵菩薩立像が安置されています。例年・3月22日の聖徳太子の命日の時に特別に一般公開されます。
重要文化財指定年月日:1901年3月27日、国宝指定年月日:1952年11月22日

12.東室

西院伽藍の東西には、それぞれ東室・西室という南北に長い建物があります。東室は法隆寺西院回廊の東側に位置する僧房で、法隆寺に住む僧が生活していた建物です。基本的には奈良時代の建築で、現在の建物は、1284年(弘安7年)にやや規模を大きくして新造されたものです。
重要文化財指定年月日:1942年6月26日、国宝指定年月日:1965年5月29日

13.食堂

もとは政所という法隆寺の寺務所であったといわれますが、平安時代に多数の僧侶が食事をする食堂としてとして使われるようになりました。細殿とともに双堂と言われる建築様式を今に伝えています。
重要文化財指定年月日:1901年3月27日、国宝指定年月日:1952年11月22日

14.細殿

食堂と並んで双堂と言われる建築様式。食堂は国宝、細殿は重要文化財に指定されている。
重要文化財指定年月日:1901年3月27日

15.東大門 

「中ノ門」ともよばれるこの門は、かつては鏡池の東側に南向きで造営されていたようですが、平安時代に西院と東院の間に移設されてきたようです。 この門は奈良時代の三棟造りという様式の門です。(三棟造りとは門またはその他の建築で、棟とその両脇の母屋桁から棟下に向けて垂木を打ち流し、下から見ると山形が2つ連なった姿に見える造り方のことです。)
重要文化財指定年月日:1904年2月18日、国宝指定年月日:1952年11月22日

16.三経院・西室 

三経院は、聖徳太子の撰と伝えられる法華経・勝鬘経・維摩経の三経の注釈書の総称で「三経義疏」にちなんで付けられた名称で、僧の住まいである西室の南端部を改造して建てられました。三経院には、阿弥陀如来座像、持国天、多聞天立像が安置されています。西室では毎年、夏安居の3ヶ月間(5月16日~8月15日)、三経の講義を行っています。
重要文化財指定年月日:1908年4月23日、国宝指定年月日:1955年2月2日

17.妻室 

東室の東に建つ細長い建物。東室と同様に僧坊としての建物です。本来は東室小子房といい、東室の大房と一組をなしているようです。大房には上位の僧侶が住み、小房にはその僧侶に仕える者が住んでいたようです。
重要文化財指定年月日:1942年6月26日

18.綱封蔵 

聖霊院の東に建つ、奈良時代から平安初期までの倉庫。この倉は当初は綱封蔵ではありませんでしたが、平安時代から鎌倉時代初頭の間に境内にもう1つあった綱封蔵が倒壊したために、その時から綱封蔵になったものと考えられます。部材の材質や手法から、建立年代は平安時代中ごろと推定されます。双倉として現存する例は東大寺正倉院宝庫とこの綱封蔵の二棟だけですが、本来の双倉の姿で残るのは、法隆寺の綱封蔵だけです。
重要文化財指定年月日:1942年12月22日、国宝指定年月日:1967年6月15日

19.大湯屋 

法隆寺の住職の住居である「本坊・西園院」の奥、築地塀で囲まれた内側にあります。湯屋とは、簡単に言うと昔の「お風呂」がある施設となっており、僧侶たちがここで「身を清める」ための沐浴を行っていたとされています。
重要文化財指定年月日:1942年12月22日

20.大湯屋表門 

大湯屋の北側、築地塀にあります。築地塀は粘土を突き固めて作った塀の事で単に築地とも言います。
重要文化財指定年月日:1942年12月22日

21.大垣 

南大門の左右に伸びています。粘土を突き固めて作った築地塀で、西院大垣 3棟と東院大垣 3棟 があります。
重要文化財指定年月日:1943年6月9日

法隆寺東院

8世紀前半に建設した伽藍で、13世紀には、夢殿と伝法堂以外の建造物は建替えられています。現在の建造物はこのときのものです。夢殿をはじめ3棟が国宝、6棟が重要文化財に指定されています。

22.夢殿 

高僧の行信が、奈良時代に聖徳太子の遺徳を偲んで斑鳩宮跡に建立した八角円堂です。高い基壇の上に立つ八角円堂の夢殿は東院の本堂で、元は「仏殿」と呼ばれていましたが、平安時代ごろから「夢殿」と呼ばれるようになりました。現在の堂は1230年に大改造を受け、屋上の宝珠露盤などに天平の面影を残しています。八角円堂の中央の厨子には、救世観音像を安置し、その周囲には聖観音菩薩像、乾漆の行信僧都像、平安時代に夢殿の修理をされた道詮律師の塑像(平安時代)なども安置しています。
重要文化財指定年月日:1897年12月28日、国宝指定年月日:1951年6月9日

23.南門 

東院礼堂の南側に位置する別名不明門ともいい、あかずの門となっています。 1459年建立。
重要文化財指定年月日:1900年4月7日

24.四脚門 

東院四脚門は鎌倉時代の建立で、夢殿がある東院伽藍の入り口にあたります。四脚門とは日本の門の建築様式のひとつで、門柱の前後に控柱を2本ずつ、左右合わせて4本立てたもので四足門とも呼ばれます。
重要文化財指定年月日:1900年4月7日

25.礼堂 

夢殿を囲む回廊の南に位置する堂が礼堂です。現在の礼堂は鎌倉時代に再建されたもので、昭和の修理時に旧形式に復原されています。
重要文化財指定年月日:1900年4月7日

26.廻廊 

夢殿を囲むように回廊があります。回廊南側に礼堂、北側に舎利殿が立っています。
重要文化財指定年月日:1900年4月7日

27.鐘楼 

下層に覆いをつける袴腰形式としては現存する日本最古のものです。内部には「中宮寺」と陰刻された奈良時代の梵鐘が吊るされ、舎利殿の舎利を奉出するときや、東院伽藍で法要が営まれる時の合図として撞かれています。
重要文化財指定年月日:1900年4月7日、国宝指定年月日:1955年2月2日

28.伝法堂 

伝法堂は聖武天皇の夫人である橘古那可智の住宅を仏堂に改造したものです。内陣は中の間、東の間、西の間に分かれ、それぞれ乾漆造阿弥陀三尊像が安置されています。他に梵天・帝釈天立像、四天王立像、薬師如来坐像、釈迦如来坐像、弥勒仏坐像、阿弥陀如来坐像も安置されています。
重要文化財指定年月日:1900年4月7日、国宝指定年月日:1951年6月9日

29.舎利殿・絵殿 

絵殿には、摂津国(現在の大阪府)の絵師である秦致貞(はたのちてい、はたのむねさだ)が延久元年(1069年)に描いた「聖徳太子絵伝」の障子絵(国宝)が飾られていました。太子の生涯を描いた最古の作品ですが、明治11年(1878年)、当時の皇室に献上され、現在は「法隆寺献納宝物」として東京国立博物館の所蔵となっています。代わりに「聖徳太子絵伝」が飾られています。舎利殿には聖徳太子が2歳の春に東に向って合掌した際、掌中から出現したという舎利(釈迦の遺骨)を安置しています。舎利殿と絵殿で1棟。
重要文化財指定年月日:1900年4月7日

30.大垣 

西院大垣 3棟と東院大垣 3棟 があります。
重要文化財指定年月日:1943年6月9日

法隆寺子院その他の建造物

子院に関する資料はあまりないようですが、平安時代末期には既に存在していたようです。当初 の子院 は、子院 を囲む築地 もなく坊合のみで生囲などで周囲 をめ ぐらしていたと考えられます。1261年になると寺内の大整備が行われ、子院の築地が築かれました。16世紀から17世紀にかけて最も盛んに子院が建設されました。子院の建造物のうち、13世紀から17世紀にかけて建造された本堂・客殿・門など17棟が重要文化財に指定されています。

31.北室院本堂

重要文化財指定年月日:1904年2月18日

32.北室院表門

重要文化財指定年月日:1911年4月17日

33.北室院太子殿

重要文化財指定年月日:1943年6月9日

34.地蔵堂

重要文化財指定年月日:1908年4月23日

35.新堂

重要文化財指定年月日:1911年4月17日

36.宗源寺四脚門(勧学院表門)

重要文化財指定年月日:1921年4月30日

37.福園院本堂

重要文化財指定年月日:1942年6月26日

38.西園院客殿

重要文化財指定年月日:1942年12月22日

39.西園院上土門

重要文化財指定年月日:1942年12月22日

40.西園院唐門

重要文化財指定年月日:1943年6月9日

41.宝珠院本堂

重要文化財指定年月日:1942年12月22日

42.薬師坊庫裡

重要文化財指定年月日:1943年6月9日

43.中院本堂

重要文化財指定年月日:1947年2月26日

44.律学院本堂

重要文化財指定年月日:1976年5月20日

45.旧富貴寺羅漢堂

重要文化財指定年月日:1971年12月28日

46.東南隅子院築垣

重要文化財指定年月日:1943年6月9日

47.西南隅子院築垣

重要文化財指定年月日:1943年6月9日

法起寺

法起寺は7世紀に創建された寺院ですが、いまは三重塔のみが残っており、同時代の法隆寺西院建造物と共通する特徴を備える建物です。ただ、着工年は法隆寺の五重塔の方が古く、世界最古の木造の塔は法隆寺の五重塔とされていますが、三重塔としては世界最古となります。

48.三重塔

「法起寺三重塔露盤銘」という史料により、創建は706年だということがわかっています。建立後は、何度も大修理が行われたため、建立当初の形式が明らかでないところもありますが、昭和45年から50年にかけての解体修理の際、それまでの研究成果を踏まえた復元がされ、現在に至っています。
初重内部は土間で四天柱と八角の心柱を立て、四天柱の上に肘木と斗を組んでいますが、二重以上は骨組がいっぱいに組まれています。初重にある仏壇は近世のもので、法隆寺の五重塔のような須弥山が作られた形跡や古い仏壇の痕跡がないので、当初の状況は明らかではありません。

法隆寺について

飛鳥時代、百済から仏教が伝わり、廃仏派(物部氏)と崇仏派(蘇我氏)は衝突を繰り返しました。戦いは蘇我氏の勝利に終わり、ここから蘇我氏の独裁政治が始まりました。蘇我氏は強大な力を背景に女帝を誕生させました。それが推古天皇で、その時に摂政(政治のすべてを任された)の地位についたのが厩戸皇子(聖徳太子)です。厩戸皇子(聖徳太子)は仏教をより盛んにするために法隆寺(別名斑鳩寺)を建築しました。建立に関しては諸説あるものの、聖徳太子こと厩戸皇子が建立したことはほぼ間違いがないようです(「聖徳太子が、じつは存在しなかった」という学説が唱えられて以来、いままでは「聖徳太子」と書かれていたのが、最近の教科書では「厩戸王子(聖徳太子)」という表現に変わっているようです)。

法隆寺の国宝(美術品)

世界遺産として登録されているのは建造物ですが、他にも法隆寺が保有している国宝は美術品として20件あります。文化財の数え方は「件数」で、例えば「木造四天王立像」は四体まとめて一件と数えます。

彫刻

(仏像は重要文化財のうち彫刻に分類されます。仏像は大きく「如来」「菩薩」「明王」「天部」の4グループに分類されます。このほか神像や高僧像などもあります)
乾漆行信僧都坐像(所在夢殿)…行信は法隆寺東院の復興に尽力した奈良時代の僧で、乾漆(乾漆とは石膏などで型を作り、麻布を貼り合わせて作る技法です)の仏像です。
乾漆薬師如来坐像(西円堂安置)…乾漆の仏像で、薬師如来は病気をいやしてくれる如来です。
塑造塔本四面具(五重塔安置)…東面が菩薩と維摩居士の問答、西面が釈迦仏舎利、南面が弥勒浄土、北面が釈迦涅槃(釈迦の入滅)の様子を塑造(粘土で作られた彫刻の事)の群像で表しています。
塑造道詮律師坐像(所在夢殿)…道詮は法隆寺夢殿を再興し、法隆寺の学問振興に力を注いだ僧で、律師とは僧官の職位です。塑像の高僧像です。
銅造阿弥陀如来及両脇侍像(伝橘夫人念持仏) 木造厨子…伝橘夫人が身辺に置き私的に礼拝するための仏像で、木造の厨子(仏像などを安置する仏具の一種)に阿弥陀三尊像が安置されています。中央に阿弥陀如来像左に勢至菩薩右に観音菩薩三体一組で阿弥陀三尊像といいます。
銅造観音菩薩立像(夢違観音)…夢違観音は通称で正式には聖観音で、人々の願いに応じて姿を変えます。聖観音は観音菩薩の基本的な姿です。
銅造釈迦如来及両脇侍像〈止利作/(金堂安置)〉…銅像の阿弥陀三尊像です。
銅造薬師如来坐像(金堂安置)…銅像の薬師如来像です。
木造観音菩薩立像(九面観音)…頭上に九面ありあらゆる方向を見て人々を救います。(通常十一面だと思うのですが、なぜ九面なのかわかりませんでした)
木造観音菩薩立像(夢殿安置)…通称「救世観音」とも呼ばれます。これも聖観音です。
木造観世音菩薩立像(百済観音)…聖観音です。
木造四天王立像(金堂安置)…日本最古の四天王像で、南東に持国天、南西に増長天、北西に広目天、北東に多聞天がたっています。
木造釈迦如来及両脇侍坐像(上堂安置)…木造の阿弥陀三尊像です。
木造聖徳太子〈山背王、殖栗王/卒末呂王恵慈法師〉坐像(聖霊院安置)…正装の聖徳太子像です。笏を持ち、豪華な冠を付けていることから正装であることがわかります。
木造地蔵菩薩立像…地蔵菩薩は地獄など、あらゆる世界を巡って人々を救う菩薩です。
木造毘沙門天立像(金堂安置)・ 木造吉祥天立像(金堂安置)…毘沙門天・吉祥天はともに天部で仏教の敵から守るために働きます。毘沙門天は福徳と戦闘の神で北方を守護する多聞天の別名です。吉祥天は五穀豊穣をもたらす美しき女神です。
木造薬師如来及両脇侍坐像(講堂安置)…木造の薬師三尊像です。薬師如来像の左に月光菩薩・右に日光菩薩が配置されています。一般的には薬師如来像を坐像、月光菩薩・日光菩薩を立像となっていますが、ここの像はともに坐像となっています。

工芸品

玉蟲厨子…仏教工芸品で装飾に玉虫の羽を使用していることからこの名前が付けられたようです。
黒漆螺鈿卓…黒漆の卓(細長いちゃぶ台のようなもの)です。
四騎獅子狩文錦…錦織物で、染織物としてはとても大きなもののようです。

法隆寺の基本情報

住所
〒636-0115 生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
TEL/FAX
0745-75-2555 / 0745-75-0102
拝観時間
2/22~11/3 :午前8時~午後5時
11/4~2/21 :午前8時~午後4時半
※閉館時間が近づくと入れない施設がございます。
拝観料
西院伽藍内/大宝蔵院/東院伽藍内共通
個人料金(1名に付き)
一般1,500円 / 小学生750円
団体料金(30名以上 1名に付き)
一般1,200円 / 大学・高校生1,050円 中学生 900円 / 小学生600円
※生徒人数が30名に満たない小学校、中学校は、減免申請書(見本参照)を拝観窓口に当日提出すると団体扱いになります。
減免申請書には、教育委員会、または学校長の公印が必要です。

法起寺の基本情報

住所
〒636-0102 生駒郡斑鳩町岡本1873
TEL
0745-75-5559
拝観時間
2月22日~11月3日:午前8時30分~午後5時
11月4日~2月21日:午前8時30分~午後4時30分
拝観料

個人料金(1名に付き)
一般300円 / 小学生200円
団体料金(30名以上 1名に付き)
一般250円 / 大学・高校生200円 / 中学生150円 / 小学生100円

沖縄の世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」について

世界遺産沖縄の「琉球王国のグスク及び関連遺産群」(平成12年記載)について

小さな島国だった琉球は、14世紀後半から18世紀末の間、中国、韓国、東南アジアと日本との仲介貿易で大きな役割を演じ、その特徴を表す文化遺産群として、「グスク」と呼ばれる城塞建築が集中する沖縄本島中部を中心に、国頭から島尻にかけて9つ(今帰仁城跡、座喜味城跡、勝連城跡、中城城跡、首里城跡、園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽)の遺産が登録されました。重要文化財2棟、史跡7、内特別名勝1つが含まれています。

琉球王国のグスク及び関連遺産群

登録基準(2)(3)(6)
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。

 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

  「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産

資産名所 所在地
説 明
今帰仁城(なきじんじょう)跡 今帰仁(なきじん)村

1429年までおよそ100年続いた三山鼎立時の北山王統の居城でした。三山は北部地域を北山、中部地域を中山、南部地域を南山がそれぞれ支配したため三山鼎立の時代と言われています。1416年(1422年説もある)に中山の尚巴志によって滅ぼされました。落城後は、中山は北部地域の管理のために監守を今帰仁グスクに設置し、1422年以後監守の居城として利用されました。

 

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座喜味城跡(ざきみじょう) 読谷村(よみたんそん)

中山軍の今帰仁城攻略に参加した護佐丸によって15世紀前期に築かれたグスクです。護佐丸は当初、座喜味の北東約4kmにある山田グスクに居城していましたが、1416年(1422年の説もある)中山の尚巴志の今帰仁城攻略に参戦し、その直後、首里城より眺望可能な丘陵上に築城したといわれています。北山が滅びた後も沖縄本島西海岸一帯に残存していた旧北山勢力を監視するという役目を担っていました。

 

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中城城跡(なかぐすくじょう) 中城村、北中城村

勝連城主である阿麻和利を牽制するために、王命によって座喜味城から移ってきた護佐丸が、勝連の攻撃に備えて、三の郭と北の郭を増築し、完成させた城(グスク)です。護佐丸滅亡後、中城城は王府の直轄地となり、琉球王国の王権が安定化していく過程で重要な役割を果たしました。

 

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勝連城(かつれんじょう)跡 うるま市

海外貿易により勝連に繁栄をもたらした阿麻和利が居城したとして有名な勝連城の築城は13~14世紀頃、眺望のきく北から西、さらに南側は険阻な断崖を呈した地形を利用して築城されています。城主の阿麻和利は、1458年に中城城の護佐丸を滅ぼした後、反旗を翻し、国王の居城である首里城を攻めますが、逆に滅ぼされてしまいました。

 

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首里城跡 那覇市

尚・巴志王が北山・中山・南山の三山を統一し琉球王朝が成立した後は、1879年まで琉球王国の居城として王国の政治・経済・文化の中心的役割を果たしました。首里城が造られた年代は明らかではありませんが、これまでの発掘調査などの成果から、14世紀中葉から後半のものであることが判明しています。 
首里城は沖縄戦を含め4度焼失しています。戦後、跡地は琉球大学のキャンパスとなっていましたが、大学移転後、1715年から1945年までの姿を基に復元事業が推進され2019年1月に完成。しかし2011年10月31日に5度目の焼失となりました。
ただ、世界遺産に登録されているのは首里城跡となっています。つまり、本殿の下の「遺構」、石積みの部分に世界遺産の価値が認められているのであって、地上の建物の焼失をもって世界遺産としての価値を失ったことにはなりません。

 

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玉陵(たまうどぅん) 那覇市

国王が祖先崇拝信仰を国内統治に利用するために、1501年頃尚真王が父尚円王の遺骨を改葬するために築かれ、その後、第二尚氏王統の陵墓となったと言われています。墓室は三つに分かれ、中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋となり、東室には洗骨後の王と王妃を安置、西室は王族など限られた家族が葬られました。

 

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識名園(しきなえん) 那覇市

琉球王家最大の別邸の庭園として、国王一家の保養や外国使臣の接待などに利用されました。1799年につくられ、王族の保養の場としてだけなく、中国皇帝の使者である冊封使を饗応する場所としても利用されるなど、国の外交面において重要な役割を果たしました。第二次世界大戦で大きな被害を受けましたが、遺構調査に基づき復元整備されました。

 

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園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん) 那覇市

1519年に創建された日本、中国の両様式を取り入れた琉球独特の石造の門で、出入り口として人が通る門ではなく、王家の拝所として使用されました。木の扉以外は琉球石灰岩で作られています。この石門も第二次世界対大戦で破壊されましたが、復旧作業により再建されたものです。

 

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斎場御嶽 知念村

「御嶽」とは琉球の信仰における祭祀などを行う施設で「斎場御嶽」は、王国最高の御嶽とされ、中央集権的な王権を信仰面、精神面から支える国家的な祭祀の場として重要な役割を果たしました。 御嶽の創設年は定かではありませんが、15世紀前半には国王がこの御嶽に巡幸していたようです。 戦前までは、男子禁制であった聖地ですが、現在では多くの人が参拝に訪れています。

 

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琉球は、1429年に最初の王が誕生してから、1879年明治政府によって沖縄県が設置されるまで琉球諸島を中心に栄えた王国でした。その特色を如実に反映している文化遺産が城(グスク)です。

琉球王家最大の別邸「識名園(しきなえん)」

識名園とは

1799年に造営された琉球王家最大の別邸です。1941年、国の名勝に指定されましたが、1945年第二次世界大戦で甚大な被害を被り、1976年に再指定されました。2000年には国の特別名勝に指定され、日本庭園文化において琉球地方で確立した独自の庭園デザインを示す貴重な事例として「設計された文化的景観」に該当するとして同年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとしてユネスコの世界遺産に登録されました。

1975年から1996年まで、遺構調査に基づいた綿密な修復工事が行われました。

識名園(しきなえん)が果たした役割

王家別邸の林泉庭園として1799年に築庭され、首里城の南にあることから南苑ともよばれました。王族の保養の場としてだけなく、中国皇帝の使者である冊封使を饗応する場所としても利用され、国の外交面において重要な役割を果たしました。

識名園の建造物

庭の地割には17~18世紀の日本庭園の影響が、池の建物には中国の影響がそれぞれ伺えますが、全体的には琉球独自の構成や意匠を主体としています。池を中心とする廻遊式の庭園で、池の周囲に御殿・築山・花園が置かれ、池には小島が2つあり、中国式のアーチ型の橋が架かっています。小島のひとつには中国風の六角堂が建てられています。池を廻遊する園路には高低差がつけられ視野に変化を付ける工夫が施されています。

正門

王族や中国皇帝の命をうけた冊封使はこの門から出入りしていました。屋門(ヤージョウ)と呼ばれる瓦屋根をのせた門構えとなっていて、当時は非常に格式の高い屋敷にのみ許されていました。

番屋

番人の詰所でした。

育徳泉

池の北岸西部にある識名園の池の水源のひとつで、冊封正使・趙文楷の筆になる二つの石碑が建っています。ここに生える淡水産の紅藻類「シマチスジノリ」は国の天然記念物です。

御殿

当時の王国の上流階級にだけ許された赤瓦葺の木造平屋建てで、軒などに琉球地方独特の民家風の趣が取り入れられています。御殿には15の部屋があり、雨や湿気に強い槙の木で作られています。

池/六角堂

識名園の池は「心」の字を模した形をしていて、「心字池」と呼ばれます。池の小島に六角形のあずまやが建てられています。中国風の建築で、屋根の形や瓦を黒く色付けているところからその様子がうかがえます。

中国風の石橋

池の中にある小島に大小2つの石橋があり、ともに橋の中央が高くなったアーチ形の中国風のデザインとなっています。

識名園(しきなえん)の見学について

住所
〒902-0072 沖縄県那覇市字真地421-7

Google マップ

 電話
098-855-5936
観覧時間
4月1日~9月30日 午前9時~午後6時(入場締め切り 午後5時30分)
10月1日~3月31日 午前9時~午後5時30(入場締め切り 午後5時)
休園日
毎週水曜日
(その日が休日又は「慰霊の日」(6月23日)のときは、その翌日)
観覧料
大人:400円(団体320円)
小人(中学生以下):200円(団体160円) 
※団体扱いは20名以上。
※小学校就学未満かつ保護者同伴時の場合無料。

園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)

園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)

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写真AC様より使わせていただきました

首里城歓会門と守礼門との間にあり、国王が各地を巡航する旅に出る際必ず拝礼した場所であり、また聞得大君(きこえおおきみ)の最高神女(のろ)即位式の時も、まず最初に拝礼したといわれ、いわば国家の聖地で、形は門になっていますが人が通る門ではなく、いわば神への「礼拝の門」ともいうべき場所です。八重山の竹富島出身の西塘(にしとう)という役人が築造したものと伝えられています。中央に掲げられている扁額から第二尚氏王統の尚真王の時代、1519 年に築造されたことが分かります。

扁額には「首里の王おぎやかもいがなし御代にたて申候、正徳十四年己卯十一月二十八日」と書かれています。このおぎやかもいというのが尚真王の神号*1です。

1933年1月23日旧国宝に指定されましたが、沖縄戦の戦禍によって王城などとともに一部が破壊し、指定解除されました。その後、1957年に復元され、さらにその後解体修理し1986年に完成しました。園比屋武御嶽石門は1972年にあらためて国の重要文化財に指定され、2000年11月首里城跡などとともに、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産(文化遺産)にも登録されました。

施設情報

【住所】
〒903-0816 沖縄県那覇市首里真和志1-7 付近 首里城公園内
【TEL】】
098-917-3501
【営業時間】
24時間見学可能
【料金】
入場無料

園比屋武御嶽石門の構造

日本と中国の木造建築に見られる様式をすべて石造り(琉球石灰岩)で表現しています。軒は石造りながら垂木を張り出し、屋根は木造板葺きを表しています。屋根の両妻から軒先までは日本の寺院に良く見かける曲線を持つ和風、棟飾りは火焔宝珠(かえんほうじゅ)やシャチをかたどった鴟尾(しび)が配されるなど中国的要素も兼ね備ええています。アーチ門も一見すると石をかみ合わせた構造に見えますが、石の弓型状に削った手の込んだものです。さらに、両側の石しょうが中央に向かってすぼまり、床は中央で盛り上がって、目の錯覚を利用した遠近法が用いられています。

王統ゆかりの神を祀る森

石門の背後には自然に生まれた、御嶽(うたき)と呼ばれる聖地が広がります。琉球の祈りのかたちは、日本とは違い、人々にとって神聖な場所は寺や神社ではなく、石や木に宿るとされます。この御嶽には、王家ゆかりの島である伊平屋島の神「田の上のソノヒヤブ」を分霊してまつっています。人々は石門ではなくこの御嶽に祈りを捧げています。

 

 

 

 

*1:王に即位するときに神女から神の託宣として授けられる名前の事

人工的建造物のない神の宿る場所「斎場御嶽」

斎場御嶽せーふぁうたき について

斎場御嶽は琉球の祖神アマミキヨが国始めに作った七御嶽のひとつとされています。「斎場」とは「霊威の高い聖なる場所」「最高位」の意で、「御嶽」とは琉球の信仰における祭祀などを行う施設で「聖地」の総称です。「斎場御嶽」は、王国最高の御嶽とされ、中央集権的な王権を信仰面、精神面から支える国家的な祭祀の場として重要な役割を果たしました。御嶽の創設年は定かではありませんが、15世紀前半には国王がこの御嶽に巡幸していたようです。 人工的な建造物はなく、うっそうとした樹木とむきだしの岩山そのものが神の宿る存在として拝まれていました。戦前までは、男子禁制であった聖地ですが、現在では多くの人が参拝に訪れています。2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコ世界遺産に登録されました。

斎場御嶽参拝について

斎場御嶽は神聖な場所なので、訪れる際は、聖地であることを忘れず、敬う心構えでお祈りしましょう。また、沖縄の昔からの言い伝えで、神聖な場所のものを持ち帰ると不幸が訪れると言われているそうです。

【住所】南城市知念字久手堅270-1
【TEL】098-949-1899

斎場御嶽の入場チケットは現地では販売されていないので、「南城市地域物産館」であらかじめ購入しておきましょう。

◆営業時間(開館時間)◆
【3月~10月】9:00~18:00(最終入館:17:30)
【11月~2月】9:00~17:50(最終入館:17:00)
◆入場チケット販売時間◆
【3月~10月】9:00~17:15まで
【11月~2月】9:00~16:45まで
◆入場料◆
大人(高校生以上):300円
小人(小・中学生):150円
団体:200円(※20名以上)
◆斎場御嶽休息日◆
自然保護の観点から毎年2回、旧暦5月1日〜3日、および旧暦10月1日〜3日を休息日としています。
【2021年】6月10日~6月12日 / 11月5日~11月7日

 ※身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳の交付を受けている方は、券売所窓口にて手帳を提示すると無料となります。

 

王国時代の斎場御嶽

琉球王国の最高神女(のろ)である聞得大君(きこえおおきみ)は国の祭祀をまとめる重要な役割を担っており、王族の女性がその地位に就きます。国の最高神職に就任する重要な儀式である「お新下り」の祭祀場としての主会場が斎場御嶽です。首里城から出発し、南風原・与那原・佐敷を経由して斎場御嶽に着くまでの各地方の神役(かみやく)たちが参列する国の大きな行事でした。また、国家の繁栄や五穀豊穣を祈願して国王が御嶽を巡礼する「東御廻り(あがりうまーい)」の重要な参拝地でもありました。国の吉凶を占う儀式も行われた、琉球王国最高の聖地です。

斎場御嶽の見どころ

  1. 緑の館・セーファ
    御嶽に入る前に琉球王国の歴史とともに斎場御嶽の概要についてビデオ視聴ができます。注意事項の確認、神聖な場所であることを再認識することができます
  2. 御門口(ウジョウグチ)
     斎場御嶽に入る参道の入口で、その入口の右側には6つの香炉が置かれ、内部にある拝所の数を示しています。かつてはここから先は神事をする人しか入ることができなかったので、それ以外の人はここで6つの香炉に向かって祈りを捧げていました。
  3. 大庫理(ウフグーイ)
    石畳の参道を登っていくと、隆起した巨大な岩があります。大広間や一番座という意味をもつ、祈りの場所です。首里城の部屋と同じ名前を持つ拝所の一つ
  4. 寄満(ユインチ)
    第2の拝所で、王府の言葉で「台所」を意味しますが、ここでの意味は、当時貿易で栄えた琉球王国に寄せられ、満ちた交易品の数々が集まった場所とされています。首里城の部屋と同じ名前を持つ拝所 
  5. シキヨダユルアマガヌビーとアマダユルアシカヌビーの壺
    第3、第4の拝所です。三角岩の手前には二本の鍾乳石があり、その真下に「シキヨダユルとアマダユルの壷」が置かれています。この鍾乳石から滴る水滴は聖なる水とされていて、シキヨダユルアマガヌビーは聞得大君の就任儀式用の霊水として、アマダユルアシカヌビーは、首里に運び王子の健康祈願に使われました。
  6. 三庫理(サングーイ)
    2枚の巨岩が寄りかかってできた三角の岩の奥から光が差し込み幻想的な雰囲気があります。右側にみえる香炉付近は、チョウノハナと呼ばれる拝所です。琉球王国最高の神女「聞得大君(きこえおおきみ)」と関係がある場所と言われ触ることは禁止されています。この岩の隙間を抜けると、左手に久高島が望める場所となります。
  7. 神の島「久高島」
    歴代の琉球国王たちは時折、久高島で参拝しており今でもこの島では神秘的な祭事が行われています。男性禁止の場所が残っていたり、島にある石や貝殻を島外に持ち出すことが禁止されていたりと島には神様が宿っていると考えられています。

まとめ

「斎場御嶽」はパワースポットだと聞いたことがありますが、ここは観光気分で行くことは許されない場所のように感じました。斎場御嶽は今でも沖縄の人々にとって神の宿る大切な祈りの場です。緑の館・セーファで注意事項をきちんと確認し、できればガイドさんと一緒に周るのが安心なようです。

 

世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつ玉陵

玉陵(たまうどぅんについて

玉陵は第二尚氏の一族を葬った墓です。1501年頃、尚真王が父尚円王の遺骨を改葬するために築かれ、その後、第二尚氏王統の陵墓となったと言われています。国王が祖先崇拝信仰を国内統治に利用するために、墓を造ったと推測されています。

墓の構造

全体のつくりは、当時の板葺き屋根の宮殿を表した石造建造物になっています。墓は首里城をモデルにしたといわれ、前面にレリーフが施された高欄がめぐり、墓室は三つに分かれ、中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋となり、創建当初の東室には洗骨後の王と王妃を安置、西室は王族など限られた家族が葬られていました。 墓庭は、ほぼ中央部で東西に二分され、清めのためのサンゴ片が敷かれています。16世紀初頭の琉球地方において確立された独自の石造建物の意匠を示す貴重な事例です。沖縄戦で大きな被害を受けましたが、1974年から3年余りの歳月をかけ、修復工事が行われ、往時の姿を取り戻して今日に至っています。

1972年5月に玉陵墓室石牆(たまうどぅんぼしつせきしょう)が国指定有形文化財建造物に、玉陵は国指定記念物史跡に指定、2000年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されました。2018年12月には、玉陵が建造物として正式に国宝に指定、沖縄県内で建造物の国宝指定は初となります。

施設情報

【住所】〒903-0815沖縄県那覇市首里金城町1-3

【電話番号(問い合わせ)】098-885-2861

【営業時間】9時~18時

【定休日】無休

【利用料金】大人 300円、小人 150円

※小学校就学前は無料(保護者同伴に限る)

奉円館(ほうえんかん

世界遺産 玉陵の歴史をはじめ、玉陵の内部の様子などの説明があります。玉陵見学前にチェックすると良いようです。

玉陵のシーサー

墓室の屋根には3体の直立シーサーが立っています。すべて入口門の方向を見て守り神の役目を果たしています。直立のシーサーは沖縄でも珍しいそうです。