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現存天守で最大・最高の「姫路城」~日本最初の世界遺産

日本の世界遺産(文化遺産)
日本では1993年12月、法隆寺地域の仏教建造物(奈良県)と姫路城(兵庫県)が世界文化遺産に最初に同時登録されました。

世界遺産についてはこちらの記事で説明しています。

 

goldsky.biz

 

姫路城

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姫路城「フリー写真素材 フォトック様より」

姫路城の世界遺産への登録基準

登録基準は以下のとおりです。
(平成5年記載)登録基準(1)(4)

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
  • (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。 
  • ユネスコ世界遺産センターによれば、この基準の適用理由は「姫路城は木造建築の傑作」であり、「実用的機能と優れた美的外観とを兼ね備えている」ことなどである。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。 
  • 同じくこちらの基準の適用理由は、「日本の木造城郭建築の最高点を示しており、重要な特徴を全て無傷で保存している」ことである。
なお、上述の通り、ICOMOSの勧告の時点では封建制の象徴という側面も評価されており、それによる基準 (3) の適用が勧告されていたが、正式登録では採用されなかった。
姫路城 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

登録地域の面積は、資産面積 107ヘクタール、緩衝地帯面積 143ヘクタール合計250ヘクタールとなっています。詳しくは世界遺産一覧表記載推薦提案書(文化庁)のサイトで確認できます。

形が優美で白壁で統一された姿が、羽を広げた白鷺のようだと別称「白鷺城」ともよばれます。日本の城の中でも、木造の城郭建築群と城壁・土塀から構成される構造物が特に良く残っています。 江戸時代初期に建てられた天守や櫓が建築当時のままの状態で残っており、外郭地域とあわせて、保存・整備が進められています。姫路城は、82件の建造物が世界遺産の構成資産として登録されています。

姫路城の世界遺産への構成資産

1.大天守
大天守は南面を正面とし、外観5重・地上6階地下1階の7階建で、入母屋破風・千鳥破風・唐破風が層をなし、3つの小天守と渡櫓で繋がれて連立式天守郭を構成しています。我が国の城郭建築の最盛期を代表する建築物であり、白漆喰塗りの城壁の美しさから白鷺城とも呼ばれています。姫路城は1601年から9年かけて建てられ、大天守は1609年に建てられたものです。
重要文化財指定年月日:1931.01.19(昭和6.01.19) 国宝指定年月日: 1951.06.09(昭和26.06.09)
2.東小天守
大天守の北に位置し9メートルの石垣の上に立つ、外観3重の地上3階、地下1階の4階建てとなっています。建設当初は「うしとらのすみやぐら」と呼ばれていました。姫路城は1601年から9年かけて建てられ、東小天守は1609年に建てられたものです。傷みが少なく、昭和の大修理を経ても築城当時に近い状態のままのようです。
重要文化財指定年月日:1931.01.19(昭和6.01.19) 国宝指定年月日: 1951.06.09(昭和26.06.09) 
3.乾小天守
建設当初は「いぬいやぐら」と呼ばれていました。乾小天守は3つの小天守の中で最も規模が大きく、西側に大きく張り出した石垣の上に建てられています。外観は軒唐破風 ・千鳥破風と三重目の火打窓が建物を飾り、装飾性の乏しい東小天守とは対照的です。大天守の西北に位置し外観3重、地上4階地下1階の5階建て。東面は「ロの渡櫓」に、南面は「ハの渡櫓」に接続しています。窓に格子もなく開放的なのが特徴です。 姫路城は1601年から9年かけて建てられ、乾小天守は1609年に建てられたものです。
重要文化財指定年月日:1931.01.19(昭和6.01.19) 国宝指定年月日: 1951.06.09(昭和26.06.09) 
4.西小天守
大天守の西南に位置し外観3重、地上3階地下2階の5階建て。東面は「ニの渡櫓」で大天守に、北面は「ハの渡櫓」で小天守につながっていて、地階東面に「水六門」を備えて出入口となっています。南面は中央に軒唐破風を設け、3重に黒漆塗り・錺金具打ちの火灯窓を2所設けられています。 姫路城は1601年から9年かけて建てられ、西小天守は1609年に建てられたものです。
重要文化財指定年月日:1931.01.19(昭和6.01.19) 国宝指定年月日: 1951.06.09(昭和26.06.09) 
5.イの渡櫓
南面で大天守に、北面で東小天守に接続し、建物の高さ9.03メートル、高さ8.88メートルの石垣の上に位置しています。 姫路城は1601年から9年かけて建てられ、イの渡櫓は1609年につくられたものです。
重要文化財指定年月日:1931.1.19
6.ロの渡櫓
東小天守と乾小天守をつなぐ天守曲輪では一番長い渡櫓です。建設当初は「北の長屋」と呼ばれていました。  姫路城は1601年から9年かけて建てられ、ロの渡櫓は1609年につくられたものです。
重要文化財指定年月日:1931.1.19
7.ハの渡櫓
南面で西小天守に、北面で乾小天守に接続し、建物の高さ9.167メートル、高さ10.061メートルの石垣の上に位置しています。  姫路城は1601年から9年かけて建てられ、ハの渡櫓は1609年につくられたものです。
重要文化財指定年月日:1931.1.19
8.ニの渡櫓
東面で大天守に、西面で西小天守に接続し、建物の高さ9.679メートル、建物面積56.784平方メートル(17.177坪)。 姫路城は1601年から9年かけて建てられ、ニの渡櫓は1階に水五門を設け、水五門や1階の材が大天守と西小天守の石垣にとりつく状態から、天守群の中で最後(1609年)につくられたものと考えられます。
重要文化財指定年月日:1931.1.19
9.菱の門
入城口を入ったすぐ目の前に現れる門で、姫路城最大の門。姫路城入城口の顔ともいえる代表的な門です。見た目は豪華ですが、西に門番部屋が控え、上層階には、多数の兵が籠もることができる部屋が3部屋用意されるという実戦的な構造でもあります。  姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、菱の門がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
10.菱の門東方土塀
菱の門から東に延びる塀で、東へ行くにしたがって、地盤が傾斜し下がることで、石垣が段々と高くなっていきます。菱の門の厳重な防御と石垣の高さで、内部の三国堀曲輪への侵入を防いでいることがわかります。延長88.7mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が47か所あります。姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、菱の門東方土塀がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
11.菱の門西方土塀
菱の門南西隅から南方へ延びる塀で、延長70.8m、銃を構えるため備えられた小さな窓が4か所あります。 姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、菱の門西方土塀がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
13.いの門
菱の門をくぐった正面に位置する場所にある門です。これは城内の門としては小さな門です。両開きの門の扉を開いた際、雨などからの保護のため、門の柱の内側に控柱を2本立てそれぞれを貫でつなぎ、それぞれに小さな切妻屋根がかけられた「高麗門」という形式の作りになっています。 姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、いの門がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
14.いの門東方土塀
いの門脇の石垣より以東部分は高さが低くなっています。 菱の門南西隅から南方へ延びる塀で、延長106.2m、補強のための控壁5か所、銃を構えるため備えられた小さな窓が33か所あります。 姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、いの門東方土塀がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
15.ろの門
姫路城内の三国掘の北、いの門の先に位置しています。いの門などと同様に高麗門となっています。姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、ろの門がいつつくられたかは確認できませんでした。 
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
16.ろの門東方土塀
延長14.2mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が8か所あります。 姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、ろの門東方土塀がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
17.ろの門西南方土塀
延長140.0mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が28か所あります。 姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、ろの門西南方土塀がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
18.はの門
門と櫓が合体した「櫓門」と呼ばれるスタイルの門です。司令塔の役目をもった重要な門で「はの門」は柱で支えられ、石垣を崩しても倒れない構造になっています。 姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、はの門がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
19.はの門東方土塀
延長24.2mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が4か所あります。 姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、はの門東方土塀がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
20.はの門南方土塀
延長34.7mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が12か所あります。姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、はの門南方土塀がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
21.はの門西方土塀
延長8.4mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が3か所あります。姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、はの門西方土塀がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
22.にの門
姫路城でも最高レベルの防御力、攻撃力を誇り、門は門柱、冠木、大戸からくぐり戸まで一面鉄板で覆われています。 姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、にの門がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
23.にの門東方下土塀
延長26.1mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が6か所あります。姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、にの門東方下土塀がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
24.にの門東方上土塀
延長25.7mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が10か所あります。姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、にの門東方上土塀がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
25.水の一門
2本の柱とその上部を連結する冠木で、切妻造りの屋根を支えた平入りの簡素な棟門という形式の門です。見かけは小さな門ですが、守りの備えは十分です。「水の門」は、この先、水の六門まで6つ連続し天守台の水を確保するためで、水の一門から五門までの細長い区域は「水曲輪」とも呼ばれます。姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、水の一門がいつつくられたかは確認できませんでした。 
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
26.水の一門北方築地塀
水ノ一門に向かって右側にあり、通称油塀とも言います。門の屋根の高さよりはるかに高く、延長5.2mあります。 姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、水の一門北方築地塀がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
27.水の一門西方土塀
延長11.5mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が4か所あります。姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、水の一門西方土塀がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
28.水の二門
水の一門が片開き扉だったのに比べて、こちらは両開き扉となっています。水の一門同様小さな門となっています。天守閣への最短ルートなので、敵兵の進行速度を遅らせるためと考えられます。 姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、水の二門がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
29.ニの櫓
多聞櫓 一重一階の櫓。水ノ二門に付随するように西側に建てられている櫓でカギ型に折れています。姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、ニの櫓がいつつくられたかは確認できませんでした。 
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
30.ニの櫓南方土塀
延長29.3mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が12か所あります。姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、ニの櫓南方土塀がいつつくられたかは確認できませんでした。 
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
31.水の五門南方土塀
延長36mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が13か所あります。姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、水の五門南方土塀がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
32.イの渡櫓南方土塀
延長12.3mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が9か所あります。姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、イの渡櫓南方土塀がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
33.イの渡櫓
平櫓 一重一階  姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、イの渡櫓がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
34.ロの渡櫓
平櫓 一重一階  姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、ロの渡櫓がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
35.ハの渡櫓
多聞櫓 一重一階  姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、ハの渡櫓がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
36.ニの渡櫓
多聞櫓 一重一階  姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、ニの渡櫓がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
37.ホの櫓
二重櫓 二重二階隅櫓  姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、ホの櫓がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
38.ヘの渡櫓
多聞櫓 折曲一重一階  姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、ヘの渡櫓がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
39.への門
門内側から外に出る門で、への門は高麗門としては小規模で、扉に潜り戸が開けられています。 姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、への門がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
40.への門西方土塀
延長4mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が1か所あります。 姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、への門西方土塀がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
41.への門東方土塀
延長13.6mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が2か所あります。姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、への門東方土塀がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
42.との一門
素木(しらき)造りで、門扉は縦格子の半透かし扉ですの古風な門で置塩城からの移築物ともいわれています。 姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、との一門がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
43.との一門東方土塀
延長20.1mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が9か所あります。姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、との一門東方土塀がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
44.トの櫓
姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、トの櫓がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
45.トの櫓南方土塀
延長8.6mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が3か所あります。姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、トの櫓南方土塀がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
46.との二門
との二門は高麗門で、との一門と対で「枡形門」を形成しています。 姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、との二門がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
47.との二門東方土塀
延長6.5mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が2か所あります。姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、との二門東方土塀がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
48.との四門
この門も高麗門となっています。 姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、との四門がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
49.との四門東方土塀
延長13.6mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が2か所あります。姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、との四門東方土塀がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
50.との四門西方土塀
延長7.6mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が5か所あります。姫路城は1601年から9年かけて建てられましたが、との四門西方土塀がいつつくられたかは確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
51.ちの門
大天守の東側天守台に隣接する小さな曲輪に面する棟門です。門をくぐると内側の左手に番所が隣接され、ここで一人か二人ぐらいの番人が詰めていたものと思われます。 姫路城は1601年から9年かけて建てられました。ちの門はその間につくられたと思われますが、その時期は確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
52.井郭櫓
平櫓 一重一階  姫路城は1601年から9年かけて建てられました。井郭櫓はその間に造られたと思われますが時期については確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
53.井郭櫓南方土塀
延長18.4mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が6か所あります。姫路城は1601年から9年かけて建てられました。井郭櫓南方土塀はその間に造られたと思われますが時期については確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
54.折廻り櫓
多聞櫓 二重二階  姫路城は1601年から9年かけて建てられました。折廻り櫓はその間に造られたと思われますが時期については確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
55.備前門
柱や梁がすべて鉄板で覆われ、厳重な防御体制が施されています。 姫路城は1601年から9年かけて建てられました。備前門はその間に造られたと思われますが時期については確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
56.帯の櫓
多聞櫓 一重一階で約23mの石垣の上にコの字に建てられています。 姫路城は1601年から9年かけて建てられました。帯の櫓はその間に造られたと思われますが時期については確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
57.帯郭櫓
二重二階で一階二階ともに3部屋に区切られ、一階には石打棚があります。 姫路城は1601年から9年かけて建てられました。帯郭櫓はその間に造られたと思われますが時期については確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
58.帯郭櫓北方土塀
延長16.6m、補強のための控壁2か所、銃を構えるため備えられた小さな窓が5か所あります。 姫路城は1601年から9年かけて建てられました。帯郭櫓北方土塀はその間に造られたと思われますが時期については確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
59.太鼓櫓
平櫓 矩折一重一階  姫路城は1601年から9年かけて建てられました。太鼓櫓はその間に造られたと思われますが時期については確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
60.太鼓櫓北方土塀
延長35mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が16か所あります。姫路城は1601年から9年かけて建てられました。太鼓櫓北方土塀はその間に造られたと思われますが時期については確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
61.太鼓櫓南方土塀
延長92mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が13か所あります。姫路城は1601年から9年かけて建てられました。太鼓櫓南方土塀はその間に造られたと思われますが時期については確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
62.りの門
帯曲輪と門外に広がる上山里丸をつなぐ、もっとも狭まった部分をおさえる門で、小さな高麗門でへノ櫓と一緒になって要衝をしっかりと締めています。「慶長四ねん 大工五人」と書かれた墨書が発見されており、本物と認められ、1599年に建てられたものであることが判明しています。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
63.チの櫓
二重櫓 二重二階  姫路城は1601年から9年かけて建てられました。チの櫓はその間に造られたと思われますが時期については確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
64.リの一渡櫓
多聞櫓 二重二階  姫路城は1601年から9年かけて建てられました。リの一渡櫓はその間に造られたと思われますが時期については確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
65.リの二渡櫓
多聞櫓 矩折一重一階地下一階  姫路城は1601年から9年かけて建てられました。りの門はその間に造られたと思われますが時期については確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
66.ぬの門
扉、柱、冠木などはすべて鉄板で覆われた二重櫓門です。一層目は鉄格子窓、二層目は出格子窓。東側石垣に巨石を置き鏡石としています。 姫路城は1601年から9年かけて建てられました。ぬの門はその間に造られたと思われますが時期については確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
67.ロの櫓
多聞櫓 折曲一重一階  姫路城は1601年から9年かけて建てられました。ロの櫓はその間に造られたと思われますが時期については確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
68.ロの櫓西方土塀
延長11.3mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が5か所あります。姫路城は1601年から9年かけて建てられました。ロの櫓西方土塀はその間に造られたと思われますが時期については確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
69.ロの櫓東方土塀
延長7.6mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が2か所あります。姫路城は1601年から9年かけて建てられました。ロの櫓東方土塀はその間に造られたと思われますが時期については確認できませんでした。
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
70.化粧櫓
二重櫓 二重二階 17世紀初め
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
71.化粧櫓南方土塀
延長14.2mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が3か所あります。17世紀初め
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
72.カの渡櫓
多聞櫓 一重二階櫓  17世紀初め
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
73.ヌの櫓
多聞櫓 二重二階櫓  17世紀初め
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
74.ヨの渡櫓
多聞櫓 一重一階櫓  17世紀初め
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
75.ルの櫓
多聞櫓 二重二階櫓  17世紀初め
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
76.タの渡櫓
多聞櫓 一重一階櫓  17世紀初め
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
77.ヲの櫓
多聞櫓 二重二階櫓  17世紀初め
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
78.タの渡櫓
多聞櫓 一重一階櫓  17世紀初め
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
79.ワの櫓
二重櫓 二重二階隅櫓  17世紀初め
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
80.ワの櫓東方土塀
延長54.5mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が27か所あります。 17世紀初め
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
81.カの櫓
二重櫓 二重二階隅櫓  17世紀初め
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)
82.カの櫓北方土塀
延長70.9mで、銃を構えるため備えられた小さな窓が32か所あります。17世紀初め
重要文化財指定年月日:1931.12.14(昭和6.12.14)

以上が世界遺産に登録されている姫路城の建造物の一覧です。

関連資料

豊臣秀吉が中国攻めを開始した際黒田官兵衛から提供された姫路城は、関ケ原の戦い以降徳川家康の命を受け池田輝政の時代に本格的に大改修されました。

入城料

個人
大人(18才~):1000円
小人(小学生・中学生・高校生): 300円
団体(30人~)
大人:800円
小人:240円
姫路城・好古園共通券
大人(18才~):1040円
小人(小学生・中学生・高校生):360円

※小学校就学前は無料です。
※小学校・中学校・高校の教育旅行については、生徒15人につき引率教師1人は無料となります。
※障害者手帳をお持ちの方は、本人と介助者1名が無料となります。ただし、車いす利用の場合は、本人と介助者3名までが無料となります。

開城時間
9時~16時(閉門は17時)
※夏季(4月27日~8月31日)は9時~17時(閉門は18時)
休城日
12月29日・30日
所在地
〒670-0012 姫路市本町68番地
問い合せ先
(姫路城管理事務所)
電話 079-285-1146
FAX 079-222-6050

日本の城について

ここで少しだけ日本の城について説明しておきます。

天守の形式

戦国の戦いでは城は天守に攻め込まれれば落城とする暗黙のルールがありました。そのためいかに天守を守るかが重要で、天守の形式によりその方法が垣間見えるようです。

  • 独立式天守 天守を単独で建てたもので、もともとはこの形が主流。(弘前城・丸岡城 他)
  • 複合式天守 天守の入り口を守るために付櫓を附属したもの。(犬山城・彦根城 他)
  • 連結式天守 入り口のみならずさらに防衛力を高めるために左右に小天守や櫓を繋げたもの。(松本城)
  • 連立式天守 さらに対角線上にも櫓を作り中央部を口の字型にし、天守曲輪を作ったもの。(姫路城・和歌山城)

城郭用語

城郭用語は普段使わないためちょっとわかりずらいと思います。そこで代表的なものだけ説明しておきます。

大手門

城の正面を「大手」裏面を「(からめ)()」と言います。 大手門は表門にあたり、裏の門を搦手門と言います。ちなみに門の形式で一番格式高いものは2階建ての櫓門です。

曲輪

城内に設けられた平たんなスペースの事で、郭(くるわ・かく)も同じ意味です。また、本丸などの丸も同じ意味で使われます。

狭間

狭間は壁や塀に設けられた攻撃用の穴で、弓を射る「弓狭間」と鉄砲を撃つ「鉄砲狭間」があります。

石落とし

1階の床を張り出すように設置され、石垣を登ってくる敵に石を落としたり鉄砲を放ったりする装置です。

破風

天守や櫓の壁面を彩る三角形の屋根を妻部分の事です。「入母屋破風」「切妻破風」「千鳥破風」などがあります。「唐破風」は神社などに使われ、格式が高い形状となります。

さまざまな用途の建造物の総称です。二十櫓が一般的で三重櫓は幕府系の城に限られました。天守のない城では天守の代用にもなっているようです。

もともと城は「軍事的目的のために建てられ、敵を防ぐための建造物」でした。城の構造を見るとそれがよくわかります。天守閣が城の象徴のように感じられますが、実は天守閣のないものも多く存在し、天守閣=城というわけではありません。天守は敵を見るためには優れていましたが、敵からの目標を定めやすいため防御には向かず、あえて天守を設けない城もあったようです。

まとめ

歴史を紐解くとお城が戦いの最後の砦であることは納得のいくものですが、こうしてみるともっと奥が深いものだと認識させられます。