日本で5件目の世界遺産として(文化遺産としては3件目)京都府京都市・宇治市、滋賀県大津市の2県3市に点在する構成資産17件(寺13、神社3、城1)から成る古都京都の文化財(京都市,宇治市,大津市)が1994年、世界遺産として登録されました。その中で宇治市のお寺、平等院についてみていきたいと思います。
H.平等院
建造物、庭園目録(世界遺産登録一覧より)
H1 鳳凰堂中堂(国宝指定年月日1897.12.28 建立年代1053 - 本尊阿弥陀如来像を安置する堂宇)
H2 鳳凰堂翼廊(北)(国宝指定年月日1897.12.28 建立年代1053 - 中堂の北につながる廊 )
H3 鳳凰堂翼廊(南)(国宝指定年月日1897.12.28 建立年代1053ー 中堂の南につながる廊 )
H4 鳳凰堂尾廊(国宝指定年月日1897.12.28 建立年代1053- 中堂の後方につながる廊 )
H5 観音堂( 重要文化財指定年月日1902.04.17 建立年代13世紀中頃 - 十一面観音立像を本尊とする堂 )
Ha 平等院庭園( 名勝指定年月日1922.03.08 建立年代11世紀中頃 - 鳳凰堂とその前面の池を中心とした浄土式の庭園)
関連資料
世界遺産一覧表記載推薦提案書(文化庁)
文化遺産オンライン(文化庁)
平等院について
794年桓武天皇は奈良から京都へ遷都しました。これにより交流軸のコースは大和川から淀川に移り、大阪から京都への淀川ルートが水運交流の主軸となり、その先の琵琶湖まで交流軸は続きました。平安京に都が遷都されると、宇治には貴族の別荘が造られるようになりました。平等院も最初は別荘でしたが、1052年に藤原頼通により寺院として改められました。1053年に、阿弥陀堂(現在の鳳凰堂)が造られ、12世紀初めまでに、阿字池を中心とする浄土庭園と諸伽藍が造営されました。
1331年に戦火により鳳凰堂を除く伽藍は焼失し、15世紀後半に伽藍再興と鳳凰堂の修理が行われ、17世紀後半にも修理が行われました。その後、1902〜1906年に鳳凰堂の半解体修理・1950〜1957年解体修理(創建当初の姿に復原されるとともに、創建時より14回におよぶ修理が施されていることが判明)が行われました。
平等院参拝について
所在地 | 〒611-0021 京都府宇治市宇治蓮華116 0774-21-2861 |
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定休日 | 無休 |
営業期間 | 8時30分~17時30分(入園受付は15分前まで) 鳳翔館 9時~17時(入館受付は閉館の15分前まで) |
料金 | 大人 600円 中学・高校生 400円 小人 300円 (鳳翔館入館含む) ※身障者手帳をお持ちの方は、本人および介添人1名を半額 |
平等院の見どころ
庭園
庭園をゆっくり歩いて回るといろいろな表情の平等院が楽しめます。
阿弥陀如来坐像平安時代後期、定朝が寄木造りの技法により制作し、これにより日本独自の仏像技法「和様」が完成したとされています。信仰が深く、善行を積んだ最高級の善人を迎えることを示す「阿弥陀定印」を結び、穏やかな表情をしています。
平等院梵鐘
現在鐘楼に吊されている鐘は、寸分違わぬ姿で復元された二代目のものです。実物は鳳翔館で見ることができます。
鳳翔館
国宝の梵鐘、雲中供養菩薩像、鳳凰一対や重要文化財の十一面観音立像など見ることができます。宇治茶をじっくりお楽しみください。
内部拝観
浄土信仰の広まり
平安末期から鎌倉時代は武士や僧侶の権力争いが続き、天変地異による疫病と飢餓が流行りました。動乱の中、人々は末法の到来を恐れました。
末法とは
- ブッタ入滅(涅槃に入ることつまりブッタが亡くなった年)から500年ないし1000年の期間を正法といいブッタの教えがよく保たれ、正しい修行により覚りが得られる時代です。
- 次の500年ないし1000年は像法といい、教法・修業は行われますが、覚りが得られなくなる時代です
- 次の1000年は末法といい教えが説かれても修行するものがなく、覚りを開くものがいなくなった時代です。
- 最後に法滅といい仏法が滅びます
平等院が寺院として改められた1052年がブッタの入滅後1500年目にあたり、末法の初年となります。
この風潮を背景に広まってきたのが浄土信仰です。死後への不安から、天皇や貴族も仏教に帰依し、極楽往生を願いました。平等院鳳凰堂は極楽浄土の模写ともいわれ、その象徴のようなものだったのでしょう。