ヘリテージ~受け継ぐべきもの

将来に遺したい日本の宝について

神社建築として現存最古の宇治上神社

日本で5件目の世界遺産として京都府京都市・宇治市、滋賀県大津市の2県3市に点在する構成資産17件(寺13、神社3、城1)から成る古都京都の文化財(京都市,宇治市,大津市)が1994年、世界遺産として登録されました。なお、文化遺産としては3件目となります。 その中で宇治市の神社、宇治上神社についてみていきたいと思います。

I.宇治上神社

宇治上神社の始まりは明らかではありませんが、平等院鳳凰堂完成後は平等院の鎮守として崇拝されてきました。宇治上神社は平等院と宇治川をはさんで向かい合わせとなっており、正面は平等院の方を向き、背後には森林が広がっています。

世界遺産登録一覧より

本殿、拝殿、摂社春日社本殿からなります。1908年に拝殿、1910年には本殿の解体修理が実施され、その後、本殿、拝殿とも2回の屋根葺替が行われています。

I1 本殿 

国宝指定年月日:1902.04.17  建立年代:11世紀後半
建立年代は明らかではありませんが、本殿は一間社流造の内殿が三棟が並んでいて、祭神はそれぞれ左殿が菟道稚郎子命(仁徳天皇の異母弟にあたります)、中殿が応神天皇 (第15代天皇で菟道稚郎子命の父)、右殿が仁徳天皇(第16代天皇)となっています。内殿の規模や細部はそれぞれ異なり、建立年代も左殿、中殿、右殿の順に古く、およそ11世紀後半から12世紀前半にかけての造営で神社建築の最古の建築です。
I2 拝殿 

国宝指定年月日:1902.07.31 建立年代:13世紀前半
鳥居をくぐり、参道を歩き、階段をあがると見えるのが、住宅建築に近い趣をもつ本殿の前の一段低くなったところに建つ横長の拝殿です。13世紀前半建立で、現存する最古の拝殿となります。

I3 摂社春日神社本殿 

重要文化財指定年月日:1912.02.08 建立年代:13世紀後半-14世紀前半
宇治上神社の境内にある一間社流造の小さな社です。

関連資料

世界遺産一覧表記載推薦提案書(文化庁)
文化遺産オンライン(文化庁)

拝観について

住所
〒611-0021 京都府宇治市宇治山田1
連絡先
TEL.0774-21-3041 FAX.0774-24-3901
拝観料
無料
参拝時間
境内自由
祈祷
16時まで受付

宇治上神社の見どころ

桐原水

宇治七名水で現存する最後の一つ。宇治と言えばお茶が有名ですが、そのお茶に欠かせない水。宇治茶の象徴として「宇治七名園」があり、その名園にそれぞれ名水が定められていてそれが「宇治七名水」とされました。その中でこの桐原水だけが今なお枯れることなく涌き出しているのだそうです。桐原水は、 拝殿の横に、祠のような建物の中にあります。

さわらびの道

宇治上神社、源氏物語ミュージアムなど、源氏物語・宇治十帖ゆかりの古跡などを巡る散策道です。源氏物語散策の道としても親しまれています。

宇治上神社の物語

見返り兎に関する逸話

菟道稚郎子命が河内から宇治に向かう際道に迷い、兎に導かれ無事に目的地へたどり着くことができました。その時兎が何度も振り返りながら道を進んでいたことから「みかえり兎」が祀られるようになり、正しい道を教えてくれたことから兎を神の使いとしてあがめられているという逸話があります。

日本書紀に記載されている物語

菟道稚郎子命は、父応神天皇の寵愛を受けて皇太子にたてられましたが、菟道稚郎子命は異母兄の大鷦鷯尊(仁徳天皇)に皇位を譲るために自害し兄が皇位を継いだという美談です。

これは日本書紀にのみ記載されている内容のため真意がわからないということで、ここでは物語として紹介します。詳しい内容は宇治上神社に置かれています。

平等院と末法思想

日本で5件目の世界遺産として(文化遺産としては3件目)京都府京都市・宇治市、滋賀県大津市の2県3市に点在する構成資産17件(寺13、神社3、城1)から成る古都京都の文化財(京都市,宇治市,大津市)が1994年、世界遺産として登録されました。その中で宇治市のお寺、平等院についてみていきたいと思います。

H.平等院

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平等院

建造物、庭園目録(世界遺産登録一覧より)

H1 鳳凰堂中堂(国宝指定年月日1897.12.28 建立年代1053 - 本尊阿弥陀如来像を安置する堂宇)

H2 鳳凰堂翼廊(北)(国宝指定年月日1897.12.28 建立年代1053 - 中堂の北につながる廊 )

H3 鳳凰堂翼廊(南)(国宝指定年月日1897.12.28 建立年代1053ー 中堂の南につながる廊 )

H4 鳳凰堂尾廊(国宝指定年月日1897.12.28 建立年代1053- 中堂の後方につながる廊 )

H5 観音堂( 重要文化財指定年月日1902.04.17 建立年代13世紀中頃 - 十一面観音立像を本尊とする堂 )

Ha 平等院庭園( 名勝指定年月日1922.03.08 建立年代11世紀中頃 - 鳳凰堂とその前面の池を中心とした浄土式の庭園)

関連資料

世界遺産一覧表記載推薦提案書(文化庁)

文化遺産オンライン(文化庁)

平等院について

794年桓武天皇は奈良から京都へ遷都しました。これにより交流軸のコースは大和川から淀川に移り、大阪から京都への淀川ルートが水運交流の主軸となり、その先の琵琶湖まで交流軸は続きました。平安京に都が遷都されると、宇治には貴族の別荘が造られるようになりました。平等院も最初は別荘でしたが、1052年に藤原頼通により寺院として改められました。1053年に、阿弥陀堂(現在の鳳凰堂)が造られ、12世紀初めまでに、阿字池を中心とする浄土庭園と諸伽藍が造営されました。

1331年に戦火により鳳凰堂を除く伽藍は焼失し、15世紀後半に伽藍再興と鳳凰堂の修理が行われ、17世紀後半にも修理が行われました。その後、1902〜1906年に鳳凰堂の半解体修理・1950〜1957年解体修理(創建当初の姿に復原されるとともに、創建時より14回におよぶ修理が施されていることが判明)が行われました。

平等院参拝について

所在地 〒611-0021  京都府宇治市宇治蓮華116
0774-21-2861
定休日 無休
営業期間 8時30分~17時30分(入園受付は15分前まで)
鳳翔館
9時~17時(入館受付は閉館の15分前まで)
料金 大人 600円
中学・高校生 400円
小人 300円
(鳳翔館入館含む)
※身障者手帳をお持ちの方は、本人および介添人1名を半額

平等院の見どころ

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池に写る平等院

庭園

庭園をゆっくり歩いて回るといろいろな表情の平等院が楽しめます。

阿弥陀如来坐像

平安時代後期、定朝が寄木造りの技法により制作し、これにより日本独自の仏像技法「和様」が完成したとされています。信仰が深く、善行を積んだ最高級の善人を迎えることを示す「阿弥陀定印」を結び、穏やかな表情をしています。

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池越しに阿弥陀如来のお顔が見えるようになっています。

平等院梵鐘

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平等院梵鐘

現在鐘楼に吊されている鐘は、寸分違わぬ姿で復元された二代目のものです。実物は鳳翔館で見ることができます。

鳳翔館

国宝の梵鐘、雲中供養菩薩像、鳳凰一対や重要文化財の十一面観音立像など見ることができます。
茶房

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茶房

宇治茶をじっくりお楽しみください。

内部拝観

内部拝観については別料金となります。受付で時間券を購入するのですが、時間と人数に制限があるため、混んでいるときは待ち時間が長くなります。最初に内部拝観の申し込みをすると、見学の順路を時間に合わせて決めることができ、効率よく周れると思います。私が行ったときは1時間程度待ち時間があったので、まずミュージアム鳳翔館に行ってから内部拝観しました。内部拝観の際は職員の説明も聞くことができます。 お寺や神社などいろいろ見学してきましたが、個人で行って、職員の説明が聞けるところはあまりありませんでした。平等院、鳳凰堂の内部拝観については職員の説明が聞くことができ、とてもためになりました。

浄土信仰の広まり

平安末期から鎌倉時代は武士や僧侶の権力争いが続き、天変地異による疫病と飢餓が流行りました。動乱の中、人々は末法の到来を恐れました。

末法とは

  • ブッタ入滅(涅槃に入ることつまりブッタが亡くなった年)から500年ないし1000年の期間を正法といいブッタの教えがよく保たれ、正しい修行により覚りが得られる時代です。
  • 次の500年ないし1000年は像法といい、教法・修業は行われますが、覚りが得られなくなる時代です
  • 次の1000年は末法といい教えが説かれても修行するものがなく、覚りを開くものがいなくなった時代です。
  • 最後に法滅といい仏法が滅びます

平等院が寺院として改められた1052年がブッタの入滅後1500年目にあたり、末法の初年となります。

この風潮を背景に広まってきたのが浄土信仰です。死後への不安から、天皇や貴族も仏教に帰依し、極楽往生を願いました。平等院鳳凰堂は極楽浄土の模写ともいわれ、その象徴のようなものだったのでしょう。

 

真言宗御室派の総本山 仁和寺

日本で5件目の世界遺産として京都府京都市・宇治市、滋賀県大津市の2県3市に点在する構成資産17件(寺13、神社3、城1)から成る古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市)が1994年、世界遺産として登録されました。なお、文化遺産としては3件目となります。 その中で仁和寺についてみていきたいと思います。

G. 仁和寺 ( にんなじ )

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仁和寺は真言宗御室派の総本山で、真言宗御室派の歴史は仁和寺の開創に始まり、応仁の乱の戦火で、仁和寺が全焼したことが原因で衰退、江戸時代に入り、江戸幕府による資金援助で再興を果たしました。一度は他の真言宗派と合同になりましたが、1900年仁和寺を本山とする真言宗御室派として独立を果たしました。1941年、古義真言宗・新義真言宗系の宗派が政府の政策によって合同で大真言宗が成立しましたが、戦後独立し1946年、再度真言宗御室派として発足し現在に至っています。

世界遺産登録一覧より

建造物、庭園目録に掲載されているのは以下のとおりです。

G1 金堂 国宝指定年月日1900.04.07 建立年代1613(本尊を安置した中心仏堂 )

G2 五重塔 重要文化財指定年月日1900.04.07 建立年代1644

G3 観音堂 重要文化財指定年月日1973.06.02 建立年代1641-1644 (千手観音菩薩をまつる堂宇)

G4 中門 重要文化財指定年月日1973.06.02 建立年代1641-1644 (金堂南側正面の門 )

G5 二王門 重要文化財指定年月日1931.01.19 建立年代1641-1644  (境内入口に建つ正門 )

G6 鐘楼 重要文化財指定年月日1973.06.02 建立年代1644(鐘をつるす建物 )

G7 経蔵 重要文化財指定年月日1973.06.02 建立年代1641-1644(経を納めてある建物 )

G8 御影堂 重要文化財指定年月日1908.08.01 建立年代17世紀前半(弘法大師をまつる堂) 
G9 御影堂中門 重要文化財指定年月日1973.06.02 建立年代1641-1644 (御影堂前面の門)

G10 九所明神本殿中殿 ・G11 九所明神本殿左殿 ・G12 九所明神本殿右殿 重要文化財指定年月日1973.06.02 建立年代1641-1644 (任和寺の守護神をまつる社殿 )

 G13 本坊表門 重要文化財指定年月日1973.06.02 建立年代17世紀前半 (住職の住む院の正門 )

G14 遼廓亭 重要文化財指定年月日1937.07.29 建立年代17世紀後半  (茶室)

G15 飛濤亭 重要文化財指定年月日1937.07.29 建立年代19世紀前半 (草庵風の茶席)

関連資料

世界遺産一覧表記載推薦提案書(文化庁)

文化遺産オンライン(文化庁)

 

拝観について

拝観受付時間

  • 3~11月9:00~16:30
  • 12~2月9:00~16:00

〒616-8092
京都府京都市右京区御室大内33
TEL/075-461-1155
FAX/075-464-4070

仁和寺について

仁和寺は仁和4年(888)に宇多天皇により完成した勅願寺で、宇多天皇が退位後出家して定住して以来明治維新まで、皇子、皇孫が門跡を務めたことから「御室御所」といわれています。

応仁の乱により全伽藍を焼失しましたが、現在の伽藍は1641〜1644年に再興、このとき当時御所にあった紫宸殿と常御殿が移築されて、それぞれ金堂と仁和寺御殿(1887年焼失)と改められました。また清涼殿の古材を用いて御影堂が造営されたほか、ニ王門・中門・五重塔などが建てられ、境内の整備が進められました。現在みられる伽藍は、主としてこのときのものです。その後、1693年と1742年に伽藍建物の修理が行われています。

金堂は、正面7間、側面5間の大規模な建物で、屋根が檜皮葺から本瓦葺へ改められているものの、蔀戸(しとみど)をめぐらせるなど飛鳥時代の建築物として重要な役割を果たしています。

仁和寺のピックアップ写真

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ここ仁和寺は私が古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市)を世界遺産として意識した初めての場所でした。仁王門左右の金剛力士像を見て「これが世界遺産なんだ」と訳もなく感動しました。ちなみに金剛力士は天部にあたるらしいのです。仏敵が入ることを防ぐ守護神としてここに安置されているのだとか。怒りの表情なので明王だと思っていました。

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写真の勅使門は世界遺産のリストには入っていません。
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高さ36mの五重塔は屋根の大きさがあまり変わらないのが特徴らしいです。大きなお寺や神社には塔があるのはなぜか調べてみると、仏塔のことでした。

美術品の宝庫~醍醐寺

日本で5件目の世界遺産として京都府京都市・宇治市、滋賀県大津市の2県3市に点在する構成資産17件(寺13、神社3、城1)から成る古都京都の文化財(京都市,宇治市,大津市)が1994年、世界遺産として登録されました。なお、文化遺産としては3件目となります。 その中でここでは醍醐寺についてみていきたいと思います。

醍醐寺

醍醐寺は平安初期の874年に創建された真言宗醍醐派の総本山で、山上の伽藍(上醍醐)と、西麓の平地伽藍(下醍醐)とに分かれています。907年醍醐天皇の発願により山上に諸伽藍が建てられ、寺域が整うと、さらに麓の地域にも多くの堂宇や塔が建立されていきました。その後、15世紀の戦乱期には衰微し、戦災によってほとんどの建物が焼失しましたが、16世紀末から17世紀初頭にかけて金堂の移築再建、五重塔の修理、三宝院庭園の前身である庭園の築造をはじめとする復興が行われ、現在見られる姿が形成されました。

山上伽藍の薬師堂、清瀧宮拝殿、平地伽藍の五重塔、金堂、三宝院の殿堂表書院、唐門の6棟の国宝建造物、特別名勝である三宝院庭園の他、9棟1基の建造物が重要文化財に指定され、世界遺産に登録されています。

世界遺産に登録されている醍醐寺の建造物/庭園目録

F1.五重塔 国宝指定年月日1897.12.28

952年に落成した五重塔は、京都における現存最古の建造物であり、雄大で安定感のある立面構成とともに、初層内部に描かれた両界マンダラ壁画が密教寺院の特性を示している。 18世紀中期と1954年から1959年に解体修理が行われ、1954年からの解体修理の際には10世紀の建築技法が明らかになるとともに創建当初の姿に復元されました。

F2.金堂 国宝指定年月日 1908.08.01

926年に創建された建物で、釈迦堂といわれていました。2度の火災にあい、現在の金堂は紀州から満願寺金堂を移築したもので、1600年に完成しました。本尊薬師三尊像を安置した中心の堂で、正面7間、側面5間、入母屋造本瓦葺の建物は板床敷の内陣、外陣を持つ平安末期の仏堂様式を完全に残しています。1929年解体修理が行われています。

F3.清瀧宮本殿 重要文化財指定年月日 1954.09.17

下伽藍にある醍醐寺の鎮守社です。1097年に、最初に建立された上醍醐より分身を移し祀りました。その後、文明の兵火により焼失し、現在の社殿は1517年に再建されたもので、1599年に拝殿の整備が施されました。1939年に山火事により焼失し、その後、現在の建物が再建されました。

F(1) 中門 重要文化財指定年月日1954.09.17

清瀧宮本殿の正面に位置する門で1517年に再建されたときのものです。

F4.清瀧宮拝殿 国宝指定年月日 1901.03.27

上伽藍にある、清瀧宮礼拝のための殿舎です。醍醐寺の鎮守社清瀧宮拝殿は、1088年建立、1410年焼失の後、1434年現在のものに再建されています。南斜面に建つため東側を正面とした正面3間、側面7間の妻入、懸造であり、屋根は入母屋造檜皮葺で正面に唐破風造の向拝が設けられた住宅建築風の拝殿です。1919年解体修理が行われています。

F5.薬師堂 国宝指定年月日 1901.03.27

薬師堂は上伽藍にある薬師三尊像を安置した堂宇で、907年に建立され、後に倒壊、現在のものは1121年に再建されたものです。乱石積基壇の上に建つ正面5間、側面4間、入母屋造、檜皮葺で、平安時代初期の礼堂を持たない仏堂の規模や様式を伝えています。1907年に解体修理が行われています。

F6.開山堂 重要文化財指定年月日1954.09.17

醍醐寺の開山、聖宝・理源大師を奉安したお堂で、最初は御影堂といい、911年に創建されましたが、1260年に焼失し、現在のお堂は1606年に豊臣秀頼によって再建されたもので、桃山時代の特徴をよく表した上醍醐最大のお堂です。中央に醍醐寺開山聖宝理源大師像、左に真言宗宗祖弘法大師像、右に醍醐寺第一世座主・観賢僧正像が安置されています。

F7.如意輪堂 重要文化財指定年月日1954.09.17

醍醐寺開山の際、最初に建てた建物で、創建を876年の創建とされています。1605年に焼失し、1606年に豊臣秀頼によって再建されたもので本尊如意輪観音と共に脇の間に毘沙門天、吉祥天が祀られています。

F8.三宝院殿堂玄関 重要文化財指定年月日1897.12.28

三宝院殿堂への入口です。三宝院は醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主が居住する坊で、1115年に創建されました。1598年に豊臣秀吉が大規模な花見(「醍醐の花見」)を催すにあたって、増築、改造し、今も桃山時代の華やかな雰囲気を伝えています。

F9.三宝院殿堂 勅使の間、秋草の間及び葵の間 重要文化財指定年月日1897.12.28

玄関の奥に続く控の間で、それぞれに襖絵が描かれています。勅使の間は広さ十畳(附書院付)で竹林花鳥図が描かれており、秋草の間は広さ十五畳で、秋の七草が点在する広々とした風景が描かれています。葵の間二十畳の広さで、襖絵には下鴨神社から上賀茂神社へ向かって行列している葵祭の様子が描かれています。

F10.三宝院殿堂表書院 国宝指定年月日 1897.12.28

三宝院殿堂表書院は殿堂の中心となる接客用の殿舎で、1598年に豊臣秀吉が大規模な花見を催すにあたって、増築、改造したものです。縁側に勾欄をめぐらし、西南隅に泉殿を設けるなど、平安時代の寝殿造の様式を取り入れた優雅なものです。

F11.三宝院殿堂宸殿 重要文化財指定年月日1897.12.28

宸殿については調べてみましたが、明確なものがなくよくわかりませんでしたが、三宝院の居間のようなものだと思われます。江戸初期に建てられたといわれ、田の字型の間取りで、主室の上座の間には、床棚書や帳台構(武者隠し)が備えられています。

F12.三宝院殿堂庫裏 重要文化財指定年月日1897.12.28

寺僧常住の殿舎です。庫裏とはもともと台所のようなものだったようです。ここも1598年、豊臣秀吉が花見を催すときに増築あるいは改築されたもののようです。

F13.三宝院殿堂純浄観 重要文化財指定年月日1897.12.28

客殿であり、豊臣秀吉が「醍醐の花見」で建立したものを槍山から移設したものといわれています。

F14.三宝院殿堂護摩堂 重要文化財指定年月日1897.12.28

三方院の本堂で、 本尊が快慶作の弥勒菩薩であるため、別名「弥勒堂」ともいわれています。脇仏として向かって右に宗祖弘法大師、左に開祖理源大師が安置されています。本堂の裏に護摩壇があるため「護摩堂」と呼ばれています。 

F15.三宝院唐門 国宝指定年月日1898.12.28

三宝院唐門は 朝廷からの使者を迎える時に開かれる門で、黒漆塗装や金箔貼がなされ、扉には菊花と桐花が彫刻された、檜皮葺の平唐門で、平成22年に約1年半かけて、桃山時代の壮麗な姿に修復されました。

F16.三宝院宝篋印塔 重要文化財指定年月日1956.06.28

宝篋印塔とは墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種です。

F17.醍醐寺三宝院庭園 特別名勝指定年月日1923.03.07

1598年に豊臣秀吉が大規模な花見を催すにあたって、秀吉が直接指示して作らせた豪奢なものです。池泉廻遊式庭園と枯山水庭園の折衷様式ですが、建物内部からの景を重視した庭園となっています。1981年に護岸石組の改修整備がなされています。

※( )付の数字で示された建造物は、国宝もしくは重要文化財に指定された建造物に付随するものとして、国が指定した文化財です

関連資料

世界遺産一覧表記載推薦提案書(文化庁)

文化遺産オンライン(文化庁)

醍醐寺の拝観について

住所:〒601-1325 京都市伏見区醍醐東大路町22
TEL:075-571-0002 FAX:075-571-0101
開門時間
  • 3月1日〜12月第1日曜日までの期間~午前9時〜午後5時まで
  • 12月第1日曜日の翌日〜2月末日までの期間~午前9時〜午後4時30分まで

※拝観券の発券は閉門1時間前までです。

 
拝観券(三宝院・霊宝館・伽藍) 【春期・秋期】
個 人 大 人 1,500円
中学・高校生 1,000円
※小学生以下 無料
団 体 大人 20名以上 1,300円
中学・高校生 20名以上 800円
※春期・秋期…3月20日〜5月15日、10月15日〜12月10日
拝観券(三宝院・霊宝館・伽藍) 【通常期】
個 人 大 人 800円
中学・高校生 600円
※小学生以下 無料
団 体 大人 20名以上 700円
中学・高校生 20名以上 500円
※通常期…春期・秋期以外の期間

「醍醐の花見」という言葉は聞いたことがありましたが、豊臣秀吉が亡くなった年にとり行われていたのは初めて知りました。自ら足を運び殿舎の造営や庭園の改修を指揮したというのですから、思い入れもひとしおだったのでしょう。今でも醍醐寺では毎年4月の第2日曜日に「豊太閤花見行列」を催しているようです。台風により伐採せざるを得ないなんて言う情報もありました。それでもきっと復興されてまた美しい桜と出会えるのでしょうが、台風被害にあう前の桜も一度見てみたかったです。

醍醐寺の美術品

昭和10年に霊宝館が開館しました。 空海の教えを伝える醍醐寺は密教の祈祷に用いる仏像・仏画など美術品の宝庫ともいわれます。醍醐寺に伝わる仏像や仏画の多くは実際の儀式で使われたもので、中でも平安から鎌倉時代の作は密教美術の神髄ともいえるようです。それら殆どの宝物が霊宝館に保管されています(霊宝館を訪れる際は展示目録のチェックしてからの出かけた方がよさそうです)。ここでは醍醐寺に保管されている仏像・仏画などを少しだけ紹介したいと思います。

五大明王像

不動明王(高さ86.9cm)・金剛夜叉明王(高さ118.5cm)・降三世明王(高さ122cm)・軍茶利明王(高さ124cm)・大威徳明王(高さ81.8cm)の五体で平安時代のものです。人体とほぼ同じ大きさで造られた不動明王を中心に4明王が少し小ぶりなものとなっています。明王は仏の教えに従順でない者たちに対して調伏し、また教化する仏です。そのため、それぞれの怒りの表情がよくあらわれ、それぞれの役割を果たしているように思われます。

如意輪観音坐像

高さ49cmで平安時代のものです。如意輪観音は法力により人々を救う観音様です。もともと観音様は人々に救いの手を差し伸べてくれる仏様です。このお顔を見ただけでも救われた気持ちになります。

絹本著色

醍醐寺にはたくさんの絹本著色が保管されています。絹本著色とは東洋の絵画で、絹に色が塗られている絵画をいいます。絹は適度な吸水力があり、絵を描くにはちょうど良かったように思われます。

紙本著色絵因果経

絵因果経は仏教経典の代表的なもののひとつですが、奈良時代のものを古因果経といい、奈良時代絵画の研究上、重要な資料とされています。画風の元は中国だと思われますが、中国にこの時代のものは残っていないそうです。この古い紙本著色が残っているのは日本の紙の質の高さでしょうか。

醍醐寺聖教類

醍醐寺では桃山時代にすで文書の保管に着手していたようです。その後『醍醐寺文書記録聖教目録』を作成、今はデジタル化が進み目録はデータベース化に移行しているという事です。この文書の数が6万点を超えていますが、まだ他にも同価値の資料が残っているという事です。

個人的にはまだ訪れたことのない醍醐寺ですが、もしまた京都に行く機会があったら桜の時期に行ってみたい。そして数々の宝物をじっくりと鑑賞したいものです。ここも上醍醐・下醍醐と広い範囲に及んでいますし、霊宝館の展示物もじっくり見たいと思うので一日では足りないようです。霊宝館は何度も足を運ばなければすべては見られないとの事ですから。

延暦寺 諸堂めぐり

1994年、日本で5件目の世界遺産として京都府京都市・宇治市、滋賀県大津市の2県3市に点在する構成資産17件(寺13、神社3、城1)から成る古都京都の文化財(京都市,宇治市,大津市)が世界遺産として登録されました。なお、文化遺産としては3件目となります。その中で延暦寺についてみていきたいと思います。

延暦寺

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1200年前最澄が国の安泰と国民の幸せを祈って日本人に合った仏教を比叡山に開きました。後に法然、栄西、親鸞、道元、日蓮ら日本の仏教各派の祖師の修行されたお寺でもあります。このように、いろいろな宗派の高僧たちが修行してきた山なので、日本仏教の母山と言われるのもわかります。
比叡山は大きく三塔の地域に分けられ、これらを総称して比叡山延暦寺と言います。10世紀後期にはこの三地域を中心に堂舎が整備され、隆盛を築いていました。その後、火災のたびに再建が繰り返され、1571年には兵火により峰の西側に建つ瑠璃堂、相輪を除く全てが焼失し、再建が行われました。

延暦寺(世界遺産としての)の建造物、庭園目録

E1根本中堂

国宝指定年月日:1899.04.05
総本堂である国宝の根本中堂は、887年、正面11間、側面4間孫庇付の1棟として創建され、938年に再建、980年には孫庇幅を広げ回廊、中門が加えられました。その後、1435年、1499年、1589年に再建され、現在のものは1631年に倒壊後、1640年に再建されたものです。正面11間、側面は内陣4間、礼堂にあたる中陣1間、外陣1間の計6間、入母屋造、瓦棒銅板葺という大規模な仏堂で、板敷の外陣、中陣に対し、三基の宮殿を安置した内陣は土間床石敷、小組格天井の格の高い仕様となっています。こうした形態と規模は平安時代まで遡ると考えられますが、架構や細部は、和様を駆使した江戸時代前期の気風を示しています。1954年には半解体修理が行われています。

E2根本中堂廻廊

重要文化財指定年月日:1899.04.057
根本中堂と中庭を挟んで位置する回廊です。980年根本中道の孫庇幅を広げ、回廊・中門が加えられました。その後、1435年、1499年、1589年に再建され、現在のものは1631年に倒壊後、1640年に再建されたものです。

E3転法輪堂

重要文化財指定年月日:1900.04.07
釈迦如来を本尊とする堂(西塔の本堂にあたります)です。釈迦如来像が安置されているので釈迦堂とも呼ばれています。三井圓城寺の金堂が移設されたもので、延暦寺のお堂の中で一番古い建物となります。円城寺の記録によると1347年に建立されたもののようです。1958年に解体修理が行われています。

E4戒壇院

重要文化財指定年月日:1901.08.02
天台宗の僧が受戒するための場所で、中央に釈迦如来、両脇侍に文殊菩薩と弥勒菩薩が祀られています。828年に創建され、現在の戒壇院は1678年に再建されたものです。

E5瑠璃堂

重要文化財指定年月日:1912.02.08
1571年の織田信長による焼討ちの兵火を免れた貴重な建物で、室町時代末期の建立と推定されています。薬師瑠璃光如来が本尊として祀られています。1971年と1939年に解体修理が行われています。

E6相輪とう

重要文化財指定年月日:1917.08.13
法華経、大日経などを納めた塔です。普通の塔の相輪に柱をつけて、地上に立てたような形式をしています。最澄(さいちょう)が820年に創建したものが、その始まりと伝えられています。その後、1179年をはじめとして数回修理がおこなわれたようですが、現在のものは、1895年頃に完成した青銅製のものです。

 E7常行堂

重要文化財指定年月日:1955.06.22
法華堂と並行して建ち、廊下でつながっています。二つ合わせてにない堂と言います。常行堂の中央には阿弥陀如来像があり、90日間その周りをひたすら心に阿弥陀様を念じながら昼夜歩き続ける(常行三昧という)修業をする道場です。1595年に建てられ、1967年には解体修理が行われています。

E8法華堂

重要文化財指定年月日:1955.06.22
常行堂と並行して建ち、廊下でつながっています。二つ合わせてにない堂と言います。法華堂は、21日間坐禅と普賢菩薩の周囲を回り歩く行道を繰り返す半行半座の修行を(法華三昧という)する道場です。1595年に建てられ、1967年には解体修理が行われています。

E(1)廊下

重要文化財指定年月日:1955.06.22
常行堂と法華堂をつなぐ廊下です。この廊下をにない棒に見立てて、常行堂と法華堂併せてにない堂と呼ばれています。

E9大講堂

重要文化財指定年月日:1987.06.03
大講堂は僧侶が経法を講じ、講義を行う堂です。1571年の信長の焼き討ち後、1642年に復興されましたが、1956年の火災で焼失しました。現在のお堂は1964年に山麓坂本にあった讃仏堂を移築したもので、中にはご本尊の大日如来と、その左右には比叡山で修行した各宗派の宗祖の木像が祀られています。
※( )付の数字で示された建造物は、国宝もしくは重要文化財に指定された建造物に付随するものとして、国が指定した文化財である

関連資料
世界遺産一覧表記載推薦提案書(文化庁)
文化遺産オンライン(文化庁)

延暦寺拝観について

延暦寺諸堂巡拝時間

東塔地区
3月~11月 8時30分〜16時30分
12月 9時〜16時
1月~2月 9時〜16時30分
西塔・横川地区
3月~11月 9時〜16時
12月 9時30分〜15時30分
1月~2月 9時30分~16時

※巡拝受付は閉堂の30分前までとなります。
※冬季期間は降雪等の為、閉堂時間が早くなることがあります。
※場合により入堂を制限されることがあります。(法要など)

延暦寺諸堂巡拝料

東塔・西塔・横川共通券
  大人 中高生 小学生
個人 700円 500円 300円
団体(20名~) 600円 400円
国宝殿(宝物館)拝観料
  大人 中高生 小学生
個人 500円 300円 100円
団体(20名~) 400円 200円
国宝殿拝観料と巡拝料のセット価格
  大人 中高生 小学生
個人 1,200円 800円 セット料金は無し
団体(20名~) 1,000円 600円

※巡拝料は各巡拝受付所での支払いとなります。
※色々なところで割引券配布しています。割引券がある場合は支払いの前に出しましょう。

諸堂めぐり

延暦寺を最大限見学できるよう今回はシャトルバスで周りました。比叡山頂から横川まで行き、帰りのバス時間を確認しながら横川地域、西塔地域、東塔地域を周りましたが、時間とのにらめっこで「もう少しゆっくりと周りたかった」というのが本音です。とにかく歩く場所が多く、すべて歩くと時間内には見ることができないと思い、後ろ髪惹かれる思いでバスに乗りましたが、それでも東塔地域につく頃には、拝観時間がもうほとんどない状態でした。

横川地域

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横川地域

延暦寺三塔の中で一番北にあり、シャトルバスではここが終点となっています。円仁によって開かれ源信・親鸞・日蓮・道元などが修行した地です。受付を通って横川中堂・恵心堂・鐘楼・元三大師堂(四季講堂)とぐるっと一回りするとちょうどバスの時間(帰りの)が気になりだし、もう少し見たい気持ちもありましたが、次のバスでは最後まで回り切れないと思い、バス停に向かう事にしました。
ちなみに、元三大師堂はおみくじ発祥の地でもあります。おみくじは要予約となっており、私たちが普段引いているおみくじとはちょっと勝手が違います。道に迷ったときにここでおみくじを引きお話を聞くことができるありがたいもののようです。

 

峰通バス停

西塔地域に行く前に峰通バス停で降り、伝教大師尊像を拝み、琵琶湖を眼下にちょっと一休み。

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峰通バス停

西塔地域

美しい杉木立と小鳥のさえずりが聞かれる静寂境。にない堂(常行堂と法華堂)を通り、釈迦堂(転法輪堂)・椿堂・などがあります。横川地域や東塔地域に比べて、ここはあまり人と行きかうこともなく、見る場所もあまりない、本当に静かな雰囲気の場所でした。

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西塔地域

東塔地域

比叡山永暦時の中心で、総本堂の根本中道・大講堂・阿弥陀堂・法華総寺院東塔・文珠楼・萬拝堂・大黒堂などがあります。根本中道は大改修中でした。

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東塔地域

一日がかりで延暦寺を周りましたが、ちょっと時間配分を間違えたような気がします。もし機会があったら、今度は時間がなくてあまり見られなかった東塔をゆっくりと見たいですね。もしかしたら大改修も終わっているかもしれません。

「清水寺」と平成からの大改修について

日本で5件目の世界遺産として京都府京都市・宇治市、滋賀県大津市の2県3市に点在する構成資産17件(寺13、神社3、城1)から成る古都京都の文化財(京都市,宇治市,大津市)が1994年、世界遺産として登録されました。なお、文化遺産としては3件目となります。 その中で清水寺についてみていきたいと思います。

清水寺

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清水寺

780年に坂上田村麻呂によって私寺として建立された寺であり、798年大規模な伽藍を立てましたが、私寺建立禁令の中問題視されました。しかし、当時の平安京に官寺が少なかったことから官寺に準じた扱いを受ける事となり、805年に勅願寺となりました。
主要伽藍は、西門、三重塔、経堂、開山堂、朝倉堂、本堂、阿弥陀堂が西から東に並び、本堂の西に轟門、北に鎮守社である地主神社の社殿、阿弥陀堂の南北に奥の院、釈迦堂が配置されています。
国宝本堂の他、18棟の重要文化財建造物、江戸時代初期の借景式庭園である名勝指定の成就院庭園が世界遺産に登録されています。

清水寺の建造物、庭園目録

 

D1 本堂 国宝指定年月日1897.12.28

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本堂

本尊を安置する中心仏堂 です。780年に建立されましたが、9回の火災焼失がありその都度再建されてきました。現在の本堂は1633年に再建されたものです。音羽山の断崖に建ち、前半部が崖に乗る形となっています。ここには本尊の千手観音菩薩が祀られています。写真は修復中の本堂です(2021年3月完成予定)。

D2 仁王門 重要文化財指定年月日1966.06.11

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仁王門

境内入口に立つ正門 です。1467~1477年の戦によって焼失しましたが、1629年の火災からは免れたため、仁王門は1467~1477年に再建されたときのものと考えられます。その後2003年に解体修理され、色鮮やかな丹塗りの朱色であることから赤門とも呼ばれています。

D3 馬駐 重要文化財指定年月日1952.03.29

境内入口に建つ馬をとどめ置くための建物です。1467~1477年の戦によって焼失しましたが、その後再建され、1629年の火災からは免れたため、1467~1477年の再建時のものと考えられます。

D4 鐘楼 重要文化財指定年月日1908.04.23

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鏡楼

梵鐘をつるす建物です。平安期に建造され、江戸時代中期の1607年に現在の場所に再建・移築されました。装飾が多く絢爛豪華な桃山建築様式の粋を凝らしたつくりとなっています。

D5 西門 重要文化財指定年月日1908.04.23

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西門

三重塔の西に建つ門です。創建後9回の火災焼失があり、その都度再建されており、現在の建物は1631年再建の時のものです。門の前方と後方に柵が立ち、立ち入りができなくなっています。

D6 三重塔 重要文化財指定年月日1966.06.11

高さ約31メートルで、国内最大級の三重塔で、創建は847年、創建後9回の火災焼失があり、その都度再建されており、現在の建物は江戸時代の1632年に再建されたときのものです。大日如来像を祀り、四方の壁に真言八祖像、天井・柱などには密教仏画や飛天・龍らが極彩色で描かれています。

D7 経堂 重要文化財指定年月日1966.06.11

経文を納める堂宇です。創建後9回の火災焼失があり、その都度再建されており、現在みられるのは1633年に再建された時のもので、2000年に解体修理されました。堂内には釈迦三尊像が祀られ、鏡天井に江戸時代の絵師・岡村信基筆の墨絵の円龍が描かれています。

D8 田村堂 重要文化財指定年月日1966.06.11

清水寺を開山した延鎮上人、清水寺を創建した坂上田村麻呂夫妻、行叡(清水寺創建に尽力した僧)の像が祀られている堂です。創建後9回の火災焼失があり、その都度再建されており、現在みられるのは1633年の再建時のものです。

D9 朝倉堂 重要文化財指定年月日1966.06.11

本堂の西隣に建つ堂で、越前朝倉氏にちなんでこう呼ばれています。現在みられるのは1633年の再建時のものです。創建当初は朱色だったのが、現在では全面白木造りとなっています。堂内中央の宝形造り唐様厨子内に十一面千手観音、脇士に地蔵菩薩、毘沙門天の三尊像が祀られています。

D10 轟門 重要文化財指定年月日1966.06.11

本堂西側に建つ八脚門という形式の建物です。伽藍の中では中門にあたりますが、切妻造り、本瓦葺きで、妻や天井の構造は東大寺転害門を縮小した造りとなっています。現在みられるのは1630年代の再建時のものです。

D11 本坊北総門 重要文化財指定年月日1966.06.11

塔頭である成就院の表門で、薬医門と呼ばれる形式の建物です。成就院は清水寺の再建に尽力した「願阿上人(がんあしょうにん)」が寝泊りした場所で、現在は清水寺の住職の住居として存在しています。

D12 鎮守堂 重要文化財指定年月日1966.06.11

寺を守る神をまつる社殿です。もともと春日社という名称でしたが、神仏分離令の影響で鎮守堂と改められたようです。
建立年代17世紀前半

D13 釈迦堂 重要文化財指定年月日1966.06.11

釈迦三尊像を安置する堂宇です。創建後9回の火災焼失があり、その都度再建されており、現在みられるのは1631年の再建時のものです。1972年の豪雨による土砂崩れで倒壊しましたが、1975年に旧材を用いて復旧されています。

D14 阿弥陀堂 重要文化財指定年月日1966.06.11

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本堂の東側山麓に並ぶ堂の一つで、阿弥陀如来像を安置する堂宇です。1631年に再建されました。本尊は阿弥陀如来。入母屋造り、桟瓦葺の建築様式です。浄土宗の開祖・法然上人が日本で最初に常行念仏道場とした場所であることから、法然上人二十五霊場第十三番札所として多くの参拝者が訪れます。※法然上人二十五霊場は、上人自作の御影、自筆の名号などが現存する寺院や、上人滅後や弟子に関係のある寺院も霊跡とされ、巡拝することで念仏の教えの尊さを知る喜びを得ることを目的としています。

D15 奥院 重要文化財指定年月日1966.06.11

本堂の東側にあり、本堂同様に舞台を備えた建物です。本堂と同時期の1633年に再建されました。2017年に修復が完了しました。本堂と同様の懸造りです。

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D16 子安塔 重要文化財指定年月日1966.06.11

本堂舞台の正面に見える小さな三重塔で、小安観音を安置する三層の塔です。小さな木組みの部材に「明応九年五月四日」の記述が発見されたことから、現在の建物は1500年に建立されたものと判明しました。檜皮葺の三重塔の内部には、子安観音(千手観音)が祀られています。

D17 地主神社本殿 重要文化財指定年月日1966.06.11

神霊をまつる社殿で、江戸時代までは清水寺の鎮守社でしたが、明治政府の神仏分離令により、明治時代以降独立した神社となりました。
建立年代:1631年

D18 地主神社拝殿 重要文化財指定年月日1966.06.11

礼拝のための殿舎です。
建立年代:1631年

D19 地主神社総門 重要文化財指定年月日1966.06.11

地主神社の正門です。
建立年代:1631年

Da 成就院庭園 名勝指定年月日1943.02.19

借景式の池庭。成就院は清水寺の再建に尽力した「願阿上人(がんあしょうにん)」が寝泊りした場所で、現在は清水寺の住職の住居として存在しています。
建立年代17世紀

関連資料

世界遺産一覧表記載推薦提案書(文化庁)

文化遺産オンライン(文化庁)

清水寺の拝観案内

清水寺

住所
〒605-0862 京都市東山区清水一丁目294
電話
075-551-1234
拝観時間
6:00~18:00(閉門時間はシーズンによって異なります)
拝観料
大人:400円 小・中学生:200円

地主神社

住所
〒605-0862 京都市東山区清水一丁目317
電話
075-541-2097
拝観時間
9:00~17:00(閉門時間はシーズンによって異なります)
拝観料
清水寺の拝観料のみ必要

平成の大改修について

今回、9棟の国宝・重要文化財の修理がおこなわれています。現在の堂塔はほとんどが1629年の大火災で焼失した後に再建されたもので、約400年前の建物です。定期的に修理されてきましたが、本堂をはじめとする貴重な建築を未来に残すため、2008年から総事業費約40億円をかけて、大改修が執り行われることとなりました。建物の状態により全解体、柱を残した半解体など、工事の内容も大掛かりなものとなっています。

馬駐

平成20年8月~平成22年11月 解体修理
破損部分の補修のほか、後世の改造部分の復原、地盤沈下対策として基礎の新設が行われました。

本坊北総門

平成21年1月~平成22年7月 解体修理
破損部分の補修を基本として修理が行われました。

朝倉堂

平成22年3月~平成25年8月 半解体修理
後世の改造部分の復原、耐震性向上のための構造補強をあわせて行われました。

子安塔

平成21年2月~平成25年8月 解体修理
後世の改造部分の復原、塗装等の塗り直し、暴風対策としての構造補強が行われました。

阿弥陀堂


平成23年3月~平成29年6月 半解体修理

破損部分の補修のほか、屋根を桟瓦葺から檜皮葺に改めるなど、後世の改造部分の復原が行われました。

奥院

平成23年3月~平成29年6月 半解体修理
後世の改造部分の復原、外側上半部を中心とする彩色等の塗り直しをあわせて行われました。

轟門

平成25年1月~平成28年7月 解体修理
破損部分の補修のほか、後世の改造部分の復原、耐震性向上のための構造補強が行われました。

釈迦堂

傷みの生じている檜皮葺屋根の葺き替え、建具など漆塗の塗り直し、内部の彩色の補修などが行われる予定です。

修理の経過と今後の予定

 平成30年度 檜皮葺の葺き替え
 令和元年度 建具など漆の塗り直し

本堂

屋根葺替と破損部分の部分修理を主に行われるよていです。

修理の経過

  • 平成21年度~ 檜皮の購入
  • 平成22年度  構造診断
  • 平成23年度  舞台下の発掘調査
  • 平成25年度  舞台下束柱の根継ぎ補修
     舞台下斜面崩落防止のための鋼管杭の埋設
  • 平成25年度~ 舞台下斜面表層の土間叩き補修
     建具の漆塗補修
  • 平成28年度  素屋根の建設(平成29年1月~7月)
  • 平成29年度~ 檜皮葺の葺き替え
    漆喰壁の塗り直し
  • 令和元年度  檜皮葺完了・素屋根の解体(令和2年3月に完了予定)

今後の予定

 令和2年度 舞台の破損部分等の補修

現状

令和2年5月 舞台修理のための足場を組み、舞台上の西半分に仮囲いを設けています。なお、東半分ではこれまで通り舞台に立ち入ることができます。

関連資料

京都府 教育庁 指導部 文化財保護課より

 

 

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改修中の清水寺

清水と言えば「清水の舞台」。そこが修復中で、今しか見られない状態を見ることができたのは貴重な体験だったと思います。写真ではよくわからないと思いますが、ここには木造建築の匠の技が詰まっているのだと思います。日本の伝統的な建築技法と、最新の建築技術が融合されて修復が行われているのですから、素人の私でもここを見るとワクワクしてしまうくらいですから、専門の方が見たらきっともっと感激するのではないでしょうか。ネットがけの舞台を見て最初はがっかりしましたが、こんな機会めったにないと、逆に得した気分になりました。

おすすめ

今回「隋求堂の胎内めぐり」を体験してきました。暗いので気を付けるようにと言われ、暗いとはどの程度か自分なりに想像して入りました。そしてこんな暗さがあることを初めて知りました。初めて体験する真っ暗闇。この暗さは想像を超えていました。
ここを拝観して以来、清水に行くと聞いたら、「『隋求堂の胎内めぐり』は拝観してね」が口癖になりました。ここを拝観する方は、一言の願い事を考えて参拝してください。一つだけ願いをかなえてくれるそうです。

寺域も伽藍も平安時代のまま~東寺の名で知られる教王護国寺

日本で5件目の世界遺産として京都府京都市・宇治市、滋賀県大津市の2県3市に点在する構成資産17件(寺13、神社3、城1)から成る古都京都の文化財(京都市,宇治市,大津市)が1994年、世界遺産として登録されました。なお、文化遺産としては3件目となります。その中で教王護国寺きょうおうごこくじ(通称:東寺)についてみていきたいと思います。 

教王護国寺(通称:東寺)は、金堂、五重塔、大師堂、蓮華門の4国宝の他、内部に21尊の仏像が安置される講堂、密教の重要な儀式である伝法灌頂を行う灌頂院、11世紀の建築である校倉造の宝蔵など9棟1基の重要文化財建造物が、世界遺産に登録されています。

教王護国寺きょうおうごこくじ(通称:東寺)

教王護国寺(通称:東寺)は、金堂、五重塔、大師堂、蓮華門の4国宝の他、内部に21尊の仏像が安置される講堂、密教の重要な儀式である伝法灌頂を行う灌頂院、11世紀の建築である校倉造の宝蔵など9棟1基の重要文化財建造物が、世界遺産に登録されています。

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東寺


東寺は平安京造営に際し、796年国家鎮護のために羅城門の東西に建立されたふたつの官寺、東寺、西寺のひとつです。当時の区画規模を現在まで維持し、平安京復原の基準としての意味を持っています。823年には弘法大師空海に下賜され真言密教の道場となりました。
伽藍配置は南大門を入って金堂・講堂少し隔てて食堂が、左右に五重塔と灌頂院が配置されています。度重なる内乱等による焼失にも、その都度元の姿に再建されてきました。

C1 金堂 国宝指定年月日1897.12.28

本尊を安置する東寺一山の本堂です。 796年に創建されましたが、1486年に焼失し、現在の堂は1603年に再建されたものです。その後、1940年に金堂の解体修理が行われました。入母屋造、本瓦葺の天竺様の構造法を用いた豪放雄大な桃山時代の代表的建築です。

C2 五重塔 国宝指定年月日1897.12.28

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五重塔

826年に創建着手され、883年竣工しましたが、1055年焼亡、1086年再建、1270年焼亡、1293年再建、1563年焼亡、1594年再建、1635年焼亡、1644年再建と、4度の焼亡と再建を繰り返しました。しかし、地震で倒壊したという記録はないことから、地震に強い構造になっていることがうかがわれます。高さ55mと現存する五重塔のうち最高の高さを誇り(雷が落ちやすかったのではないかとの見方もあるようです)、東寺の象徴として親しまれています。

C3 大師堂 国宝指定年月日1897.12.28

弘法大師の住房として建てられました。1379年に焼失しましたが、翌1380年に再建され、1390年には北側に大師像を拝するための礼堂と中門を増築し、現在に至っています。入母屋造りの礼堂、切妻の中門、平安時代の住房形式である寝殿造を受け継いだ檜皮葺の緩やかな屋根が、優美な形態をきわ立たせています。

C4 蓮花門 国宝指定年月日1902.04.17

西大門に相当する境内西側に開く門です。796年に創建され、12世紀末に再建されて現在に至っています。

C5 北大門 重要文化財年月日1907.08.28

境内北側に開く門です。1992年に解体修理を行っています。 
建立年代12世紀後半

C6 慶賀門 重要文化財指定年月日1907.08.28

天皇の勅使が使用した門で、東大門の北に開く門です。1990年に解体修理が行われました。
建立年代12世紀後半

C7 東大門 重要文化財指定年月日1910.08.29

境内東側に開く門です。
建立年代1605

C8 南大門 重要文化財指定年月日1910.08.29

境内南側に開く門です。1953〜1958年に解体修理が実施されました。
建立年代1601

C9 宝蔵 重要文化財指定年月日1925.04.24

寺宝を納める建物で、11世紀の建築である校倉造となっています。1953〜1958年に解体修理が実施されました。
建立年代11世紀

C10 講堂 重要文化財指定年月日1940.10.14

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講堂

僧侶が経法を講じ、講義を行う堂で、内部に21尊の仏像が安置されています。825年着工され、835年頃完成しました。その後、台風や災害により大破し何度も修理を重ねましたが、1486年の戦火で焼失しました。現在の講堂は1491年に再興されたものです。

C11 灌頂院 重要文化財指定年月日1940.10.14

密教の重要な儀式である伝法灌頂を行う場所です。1953〜1958年に解体修理が実施されました。
建立年代1629

C12 灌頂院東門 重要文化財指定年月日1955.06.22

灌頂院東側に位置する門です。
建立年代13世紀中頃

C13 灌頂院北門 重要文化財指定年月日1955.06.22

灌頂院北側に位置する門です。
建立年代13世紀中頃

C14 五重小塔 重要文化財指定年月日1955.06.22

大師堂に安置される五重塔のミニチュアです。
建立年代1240

関連資料

世界遺産一覧表記載推薦提案書(文化庁)

文化遺産オンライン(文化庁)

 

所在地

〒601-8473 京都市南区九条町1番地

お問合せ

TEL.075-691-3325 / FAX. 075-662-0250

開門時間

午前5時 開門、午後5時 閉門

拝観時間 金堂、講堂:午前8時〜午後5時(午後4時30分 受付終了)
宝物館、観智院:午前9時〜午後5時(午後4時30分 受付終了)
拝観料

御影堂、食堂などの拝観は無料

有料拝観となる金堂・講堂・五重塔は、通年で公開していますが、時期により料金が異なりますので、詳しくは東寺HP拝観のご案内にてご確認ください。
※五重塔初層内部、宝物館の公開は、特別公開や特別参拝などの会期中に限られています

 

仏像について

東寺は、寺域も伽藍の配置も平安時代と変わっていない唯一の場所です。そして講堂の仏像21体のうち15体は空海が制作を直接指導したという事です。そしてそれは空海の構想した「立体曼荼羅」として、当時の配置のまま鎮座しています。ここで仏像についてちょっとだけ補足しておきます。

仏の分類

仏は大きく分けて四つに分類することができます。

如来

 「真理そのものとして来たれる者」の意で、悟りを開いたものを意味しています。

菩薩

悟りを求める者で菩提薩埵の略です。人々を救済することを願い、自ら修業を積んで如来を目指すもののことを言います。

明王

密教特有の尊像で、大日如来の使者あるいは変身とされています。反仏教的衆生を調伏する役割を持っています。

天部

古代インドの神々で、仏教を保護する護法神とされました。

祖師とは

仏教の教えを広めるために宗派を開いた高僧の事です。

まとめ

東寺に行ったときはちょうど秋期特別公開期間だったので、五重塔初層内部、宝物館も観ることができました。御影堂は修理中で、仮御影堂がありました。紅葉が鮮やかで景色も見ごたえがありましたが、そんな中でも、すべての建物が輝いて見えました。お寺や神社を参拝すると数多くの像がそこかしこに安置されています。穏やかな表情や、怒ったような表情などお顔を拝見すると一つとして同じものはありません。仏の分類を理解するだけでも、穏やかな表情の如来像は「悟りを開いているから」ということがわかりますし、不動明王などは悪を抑え鎮める役割だから怖いお顔をしていることがわかります。