ヘリテージ~受け継ぐべきもの

日本の宝を未来に遺すために今すべきこととは

アフィリエイト広告を利用しています

美術品の宝庫~醍醐寺

日本で5件目の世界遺産として京都府京都市・宇治市、滋賀県大津市の2県3市に点在する構成資産17件(寺13、神社3、城1)から成る古都京都の文化財(京都市,宇治市,大津市)が1994年、世界遺産として登録されました。なお、文化遺産としては3件目となります。 その中でここでは醍醐寺についてみていきたいと思います。

醍醐寺

醍醐寺は平安初期の874年に創建された真言宗醍醐派の総本山で、山上の伽藍(上醍醐)と、西麓の平地伽藍(下醍醐)とに分かれています。907年醍醐天皇の発願により山上に諸伽藍が建てられ、寺域が整うと、さらに麓の地域にも多くの堂宇や塔が建立されていきました。その後、15世紀の戦乱期には衰微し、戦災によってほとんどの建物が焼失しましたが、16世紀末から17世紀初頭にかけて金堂の移築再建、五重塔の修理、三宝院庭園の前身である庭園の築造をはじめとする復興が行われ、現在見られる姿が形成されました。

山上伽藍の薬師堂、清瀧宮拝殿、平地伽藍の五重塔、金堂、三宝院の殿堂表書院、唐門の6棟の国宝建造物、特別名勝である三宝院庭園の他、9棟1基の建造物が重要文化財に指定され、世界遺産に登録されています。

世界遺産に登録されている醍醐寺の建造物/庭園目録

F1.五重塔 国宝指定年月日1897.12.28

952年に落成した五重塔は、京都における現存最古の建造物であり、雄大で安定感のある立面構成とともに、初層内部に描かれた両界マンダラ壁画が密教寺院の特性を示している。 18世紀中期と1954年から1959年に解体修理が行われ、1954年からの解体修理の際には10世紀の建築技法が明らかになるとともに創建当初の姿に復元されました。

F2.金堂 国宝指定年月日 1908.08.01

926年に創建された建物で、釈迦堂といわれていました。2度の火災にあい、現在の金堂は紀州から満願寺金堂を移築したもので、1600年に完成しました。本尊薬師三尊像を安置した中心の堂で、正面7間、側面5間、入母屋造本瓦葺の建物は板床敷の内陣、外陣を持つ平安末期の仏堂様式を完全に残しています。1929年解体修理が行われています。

F3.清瀧宮本殿 重要文化財指定年月日 1954.09.17

下伽藍にある醍醐寺の鎮守社です。1097年に、最初に建立された上醍醐より分身を移し祀りました。その後、文明の兵火により焼失し、現在の社殿は1517年に再建されたもので、1599年に拝殿の整備が施されました。1939年に山火事により焼失し、その後、現在の建物が再建されました。

F(1) 中門 重要文化財指定年月日1954.09.17

清瀧宮本殿の正面に位置する門で1517年に再建されたときのものです。

F4.清瀧宮拝殿 国宝指定年月日 1901.03.27

上伽藍にある、清瀧宮礼拝のための殿舎です。醍醐寺の鎮守社清瀧宮拝殿は、1088年建立、1410年焼失の後、1434年現在のものに再建されています。南斜面に建つため東側を正面とした正面3間、側面7間の妻入、懸造であり、屋根は入母屋造檜皮葺で正面に唐破風造の向拝が設けられた住宅建築風の拝殿です。1919年解体修理が行われています。

F5.薬師堂 国宝指定年月日 1901.03.27

薬師堂は上伽藍にある薬師三尊像を安置した堂宇で、907年に建立され、後に倒壊、現在のものは1121年に再建されたものです。乱石積基壇の上に建つ正面5間、側面4間、入母屋造、檜皮葺で、平安時代初期の礼堂を持たない仏堂の規模や様式を伝えています。1907年に解体修理が行われています。

F6.開山堂 重要文化財指定年月日1954.09.17

醍醐寺の開山、聖宝・理源大師を奉安したお堂で、最初は御影堂といい、911年に創建されましたが、1260年に焼失し、現在のお堂は1606年に豊臣秀頼によって再建されたもので、桃山時代の特徴をよく表した上醍醐最大のお堂です。中央に醍醐寺開山聖宝理源大師像、左に真言宗宗祖弘法大師像、右に醍醐寺第一世座主・観賢僧正像が安置されています。

F7.如意輪堂 重要文化財指定年月日1954.09.17

醍醐寺開山の際、最初に建てた建物で、創建を876年の創建とされています。1605年に焼失し、1606年に豊臣秀頼によって再建されたもので本尊如意輪観音と共に脇の間に毘沙門天、吉祥天が祀られています。

F8.三宝院殿堂玄関 重要文化財指定年月日1897.12.28

三宝院殿堂への入口です。三宝院は醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主が居住する坊で、1115年に創建されました。1598年に豊臣秀吉が大規模な花見(「醍醐の花見」)を催すにあたって、増築、改造し、今も桃山時代の華やかな雰囲気を伝えています。

F9.三宝院殿堂 勅使の間、秋草の間及び葵の間 重要文化財指定年月日1897.12.28

玄関の奥に続く控の間で、それぞれに襖絵が描かれています。勅使の間は広さ十畳(附書院付)で竹林花鳥図が描かれており、秋草の間は広さ十五畳で、秋の七草が点在する広々とした風景が描かれています。葵の間二十畳の広さで、襖絵には下鴨神社から上賀茂神社へ向かって行列している葵祭の様子が描かれています。

F10.三宝院殿堂表書院 国宝指定年月日 1897.12.28

三宝院殿堂表書院は殿堂の中心となる接客用の殿舎で、1598年に豊臣秀吉が大規模な花見を催すにあたって、増築、改造したものです。縁側に勾欄をめぐらし、西南隅に泉殿を設けるなど、平安時代の寝殿造の様式を取り入れた優雅なものです。

F11.三宝院殿堂宸殿 重要文化財指定年月日1897.12.28

宸殿については調べてみましたが、明確なものがなくよくわかりませんでしたが、三宝院の居間のようなものだと思われます。江戸初期に建てられたといわれ、田の字型の間取りで、主室の上座の間には、床棚書や帳台構(武者隠し)が備えられています。

F12.三宝院殿堂庫裏 重要文化財指定年月日1897.12.28

寺僧常住の殿舎です。庫裏とはもともと台所のようなものだったようです。ここも1598年、豊臣秀吉が花見を催すときに増築あるいは改築されたもののようです。

F13.三宝院殿堂純浄観 重要文化財指定年月日1897.12.28

客殿であり、豊臣秀吉が「醍醐の花見」で建立したものを槍山から移設したものといわれています。

F14.三宝院殿堂護摩堂 重要文化財指定年月日1897.12.28

三方院の本堂で、 本尊が快慶作の弥勒菩薩であるため、別名「弥勒堂」ともいわれています。脇仏として向かって右に宗祖弘法大師、左に開祖理源大師が安置されています。本堂の裏に護摩壇があるため「護摩堂」と呼ばれています。 

F15.三宝院唐門 国宝指定年月日1898.12.28

三宝院唐門は 朝廷からの使者を迎える時に開かれる門で、黒漆塗装や金箔貼がなされ、扉には菊花と桐花が彫刻された、檜皮葺の平唐門で、平成22年に約1年半かけて、桃山時代の壮麗な姿に修復されました。

F16.三宝院宝篋印塔 重要文化財指定年月日1956.06.28

宝篋印塔とは墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種です。

F17.醍醐寺三宝院庭園 特別名勝指定年月日1923.03.07

1598年に豊臣秀吉が大規模な花見を催すにあたって、秀吉が直接指示して作らせた豪奢なものです。池泉廻遊式庭園と枯山水庭園の折衷様式ですが、建物内部からの景を重視した庭園となっています。1981年に護岸石組の改修整備がなされています。

※( )付の数字で示された建造物は、国宝もしくは重要文化財に指定された建造物に付随するものとして、国が指定した文化財です

関連資料

世界遺産一覧表記載推薦提案書(文化庁)

文化遺産オンライン(文化庁)

醍醐寺の拝観について

住所:〒601-1325 京都市伏見区醍醐東大路町22
TEL:075-571-0002 FAX:075-571-0101
開門時間
  • 3月1日〜12月第1日曜日までの期間~午前9時〜午後5時まで
  • 12月第1日曜日の翌日〜2月末日までの期間~午前9時〜午後4時30分まで

※拝観券の発券は閉門1時間前までです。

 
拝観券(三宝院・霊宝館・伽藍) 【春期・秋期】
個 人 大 人 1,500円
中学・高校生 1,000円
※小学生以下 無料
団 体 大人 20名以上 1,300円
中学・高校生 20名以上 800円
※春期・秋期…3月20日〜5月15日、10月15日〜12月10日
拝観券(三宝院・霊宝館・伽藍) 【通常期】
個 人 大 人 800円
中学・高校生 600円
※小学生以下 無料
団 体 大人 20名以上 700円
中学・高校生 20名以上 500円
※通常期…春期・秋期以外の期間

「醍醐の花見」という言葉は聞いたことがありましたが、豊臣秀吉が亡くなった年にとり行われていたのは初めて知りました。自ら足を運び殿舎の造営や庭園の改修を指揮したというのですから、思い入れもひとしおだったのでしょう。今でも醍醐寺では毎年4月の第2日曜日に「豊太閤花見行列」を催しているようです。台風により伐採せざるを得ないなんて言う情報もありました。それでもきっと復興されてまた美しい桜と出会えるのでしょうが、台風被害にあう前の桜も一度見てみたかったです。

醍醐寺の美術品

昭和10年に霊宝館が開館しました。 空海の教えを伝える醍醐寺は密教の祈祷に用いる仏像・仏画など美術品の宝庫ともいわれます。醍醐寺に伝わる仏像や仏画の多くは実際の儀式で使われたもので、中でも平安から鎌倉時代の作は密教美術の神髄ともいえるようです。それら殆どの宝物が霊宝館に保管されています(霊宝館を訪れる際は展示目録のチェックしてからの出かけた方がよさそうです)。ここでは醍醐寺に保管されている仏像・仏画などを少しだけ紹介したいと思います。

五大明王像

不動明王(高さ86.9cm)・金剛夜叉明王(高さ118.5cm)・降三世明王(高さ122cm)・軍茶利明王(高さ124cm)・大威徳明王(高さ81.8cm)の五体で平安時代のものです。人体とほぼ同じ大きさで造られた不動明王を中心に4明王が少し小ぶりなものとなっています。明王は仏の教えに従順でない者たちに対して調伏し、また教化する仏です。そのため、それぞれの怒りの表情がよくあらわれ、それぞれの役割を果たしているように思われます。

如意輪観音坐像

高さ49cmで平安時代のものです。如意輪観音は法力により人々を救う観音様です。もともと観音様は人々に救いの手を差し伸べてくれる仏様です。このお顔を見ただけでも救われた気持ちになります。

絹本著色

醍醐寺にはたくさんの絹本著色が保管されています。絹本著色とは東洋の絵画で、絹に色が塗られている絵画をいいます。絹は適度な吸水力があり、絵を描くにはちょうど良かったように思われます。

紙本著色絵因果経

絵因果経は仏教経典の代表的なもののひとつですが、奈良時代のものを古因果経といい、奈良時代絵画の研究上、重要な資料とされています。画風の元は中国だと思われますが、中国にこの時代のものは残っていないそうです。この古い紙本著色が残っているのは日本の紙の質の高さでしょうか。

醍醐寺聖教類

醍醐寺では桃山時代にすで文書の保管に着手していたようです。その後『醍醐寺文書記録聖教目録』を作成、今はデジタル化が進み目録はデータベース化に移行しているという事です。この文書の数が6万点を超えていますが、まだ他にも同価値の資料が残っているという事です。

個人的にはまだ訪れたことのない醍醐寺ですが、もしまた京都に行く機会があったら桜の時期に行ってみたい。そして数々の宝物をじっくりと鑑賞したいものです。ここも上醍醐・下醍醐と広い範囲に及んでいますし、霊宝館の展示物もじっくり見たいと思うので一日では足りないようです。霊宝館は何度も足を運ばなければすべては見られないとの事ですから。