日本では1993年12月、法隆寺地域の仏教建造物(奈良県)と姫路城(兵庫県)が世界遺産(文化遺産)に最初に同時登録されました。ここでは法隆寺地域の仏教建造物(奈良県)についてみていきたいと思います。
法隆寺地域の仏教建造物の登録基準
(平成5年記載)登録基準(1)(2)(4)(6)
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
(1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
具体的には、
(1) 法隆寺の建造物群が、木造建築としての構造・配置両観点から傑作である。
(2) 同建造物群が仏教伝来直後の仏教建築物で、日本の宗教建築に深い影響を及ぼした。
(4) 同建築物群は、中国文化への順応、日本の寺院建築の配置、および、結果的に日本独特の様式を確立した代表的な例である。
(6) 日本への仏教の流入、および聖徳太子の仏教奨励が、同地域への仏教の浸透に際立った特徴を示している。
法隆寺地域の仏教建造物 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
これは、法隆寺が細かな装飾や外観などさまざまな点で木造建築の傑作であり、仏教建造物としてわが国では最初の時期のものであり、その後の宗教建築に大きな影響を与えていること、中国伝来の寺院建築ではあるが、そこに日本独特の様式が採用されていること。そしてわが国の仏教の浸透に法隆寺が重要な役割を果たしたことが基準になったという事でしょう。
具体的な物件は法隆寺と法起寺です。登録地域の面積は、構成資産 15.3ヘクタール、それを保護する緩衝地帯 570.7ヘクタール合計586.0ヘクタールとなっています。詳しくは世界遺産一覧表記載推薦提案書(文化庁)のサイトで確認できます。
国宝・重要文化財指定建造物目録
法隆寺は、西院と東院と子院群で構成されており、世界遺産に登録されているのは47棟。そのうち8世紀以前に建造された金堂、五重塔、中門、回廊は、現存する世界最古の木造建造物です。
法隆寺西院
西院では、回廊に囲まれて東西に金堂・塔が配置され、左右非対称となっています。この配置は、創建以後多少の改変はありましたが、創建当初の名残を残しているという事です。さらに付属する建造物も現存しているため、古代仏教寺院の構成の全貌がほぼ完全に残っています。現在、金堂や塔をはじめとして15棟が国宝に、6棟が重要文化財に指定されています。金堂は遅くとも680年ごろまでに完成し、それに続いて五重塔・中門・回廊、710年ごろには伽藍全体が完成しています。
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1.金堂
- 世界最古の木造建造物で、西院伽藍最古の建築です。 内部は土築の仏壇を構え、中の間、東の間、西の間に分かれ(これらの間に仕切はありません)、それぞれ釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来を本尊として安置されています。
重要文化財指定年月日:1897年12月28日、国宝指定年月日:1951年6月9日 -
2.五重塔
- 日本最古の塔である五重塔は、五重目の軸部が初層の半分の大きさになっています。一番下の初重の内部には、東面・西面・南面・北面の4つの方角それぞれに塑造の群像(粘土の彫刻の事)が安置されています(塔本四面具)。心柱の下にある心礎には、仏舎利が納められているようです。
重要文化財指定年月日:1897年12月28日、国宝指定年月日:1951年6月9日 -
3.中門
- 中門は現在入り口として使われていません。中門の左右には日本最古の金剛力士立像が安置されています。大きく口を開いて右に立つのが阿形像。口を閉じてやや左下をにらみつけて左に立つのが吽形像です。
重要文化財指定年月日:1897年12月28日、国宝指定年月日:1951年6月9日 -
4.回廊
- 回廊は東側の鐘楼、中央の大講堂、西側の経蔵、五重塔と金堂を囲んでいます。法隆寺の回廊は左右対称ではありません。このことによりバランスがよく見えるのだそうです。また、この回廊の柱は上下の太さが異なる「エンタシス」というスタイルになっています。これもバランスを考えての事と思われます。
重要文化財指定年月日:1899年4月5日、国宝指定年月日:1951年6月9日 -
5.大講堂
- 法隆寺の建物の中でもひときわ大きい大講堂では、法隆寺伝統の行事が開かれています。大講堂の須弥壇上(仏教寺院において本尊を安置する場所)には薬師三尊像と四天王像「薬師三尊像」と「四天王像」が安置されています。
重要文化財指定年月日:1899年4月5日、国宝指定年月日:1951年6月9日 -
6.経蔵
- 経蔵は楼造りの堂舎であり、現存する楼造の建物のなかでは日本最古と言われています。天文や地理学を日本に伝えたという百済の学僧、観勒僧正坐像が安置されています。
重要文化財指定年月日:1899年4月5日、国宝指定年月日:1951年6月9日 -
7.鐘楼
- 経蔵と対称位置に建ち、時を知らせる梵鐘を奉納されている建物です。925年、大講堂とともに落雷により焼失し、現在の鐘楼は経蔵の様式にならって平安時代中期に再建されたものです。
重要文化財指定年月日:1899年4月5日、国宝指定年月日:1951年6月9日 -
8.上御堂
- このお堂は奈良時代、天武天皇の皇子である舎人親王の発願によって建立したといわれていますが、定かではありません。当初の建物は、台風で倒壊したことを伝える記録があり、現在の建物は鎌倉時代に再建されたものです。堂内には平安時代の釈迦三尊像と室町時代の四天王像が安置されています。
重要文化財指定年月日:1898年12月28日 -
9.南大門
- 法隆寺には大門が三ヶ所あり、その中で一番大きな門です。正面玄関にあたる門で、現在みることのできる南大門は室町時代中期に再建されました。平安時代より以前では、現在の中門あたりに造営されていたと云われていますが、寺域の拡大により現在の場所に移されたと言われます。創建時のものは、1435年に焼失してしまい、現在の南大門は1438年に再建されました。一重の門で、本柱四本の前後にそれぞれ控え柱が合わせて八本ある八脚門で、屋根は室町様式の単層入母屋造りとなっています。
重要文化財指定年月日:1901年3月27日、国宝指定年月日:1953年3月31日 -
10.西円堂
- 峯の薬師と呼ばれ、薬師如来像を安置する八角円堂の西円堂があります。現在の建物は1250年に再建されています。 堂内中央の薬師如来像を取り囲むように十二神将像が、また東面には千手観音像、北面には不動明王像が安置されています。また、西円堂の内部の薬師如来坐像の周囲には、刀剣や鏡が安置されているようです。
重要文化財指定年月日:1901年3月27日、国宝指定年月日:1955年2月2日 -
11.聖霊院
- 聖徳太子の尊像(平安末期)を安置するために、東室の南端部を改造したのがこの聖霊院です。このときの聖霊院は東室の一部でしたが、弘安七年(1284)に全面的に建て替えられ、現在の姿になりました。聖霊院の内部には聖徳太子及び眷属像、如意輪観音半跏像、地蔵菩薩立像が安置されています。例年・3月22日の聖徳太子の命日の時に特別に一般公開されます。
重要文化財指定年月日:1901年3月27日、国宝指定年月日:1952年11月22日 -
12.東室
- 西院伽藍の東西には、それぞれ東室・西室という南北に長い建物があります。東室は法隆寺西院回廊の東側に位置する僧房で、法隆寺に住む僧が生活していた建物です。基本的には奈良時代の建築で、現在の建物は、1284年(弘安7年)にやや規模を大きくして新造されたものです。
重要文化財指定年月日:1942年6月26日、国宝指定年月日:1965年5月29日 -
13.食堂
- もとは政所という法隆寺の寺務所であったといわれますが、平安時代に多数の僧侶が食事をする食堂としてとして使われるようになりました。細殿とともに双堂と言われる建築様式を今に伝えています。
重要文化財指定年月日:1901年3月27日、国宝指定年月日:1952年11月22日 -
14.細殿
- 食堂と並んで双堂と言われる建築様式。食堂は国宝、細殿は重要文化財に指定されている。
重要文化財指定年月日:1901年3月27日 -
15.東大門
- 「中ノ門」ともよばれるこの門は、かつては鏡池の東側に南向きで造営されていたようですが、平安時代に西院と東院の間に移設されてきたようです。 この門は奈良時代の三棟造りという様式の門です。(三棟造りとは門またはその他の建築で、棟とその両脇の母屋桁から棟下に向けて垂木を打ち流し、下から見ると山形が2つ連なった姿に見える造り方のことです。)
- 重要文化財指定年月日:1904年2月18日、国宝指定年月日:1952年11月22日
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16.三経院・西室
- 三経院は、聖徳太子の撰と伝えられる法華経・勝鬘経・維摩経の三経の注釈書の総称で「三経義疏」にちなんで付けられた名称で、僧の住まいである西室の南端部を改造して建てられました。三経院には、阿弥陀如来座像、持国天、多聞天立像が安置されています。西室では毎年、夏安居の3ヶ月間(5月16日~8月15日)、三経の講義を行っています。
- 重要文化財指定年月日:1908年4月23日、国宝指定年月日:1955年2月2日
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17.妻室
- 東室の東に建つ細長い建物。東室と同様に僧坊としての建物です。本来は東室小子房といい、東室の大房と一組をなしているようです。大房には上位の僧侶が住み、小房にはその僧侶に仕える者が住んでいたようです。
- 重要文化財指定年月日:1942年6月26日
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18.綱封蔵
- 聖霊院の東に建つ、奈良時代から平安初期までの倉庫。この倉は当初は綱封蔵ではありませんでしたが、平安時代から鎌倉時代初頭の間に境内にもう1つあった綱封蔵が倒壊したために、その時から綱封蔵になったものと考えられます。部材の材質や手法から、建立年代は平安時代中ごろと推定されます。双倉として現存する例は東大寺正倉院宝庫とこの綱封蔵の二棟だけですが、本来の双倉の姿で残るのは、法隆寺の綱封蔵だけです。
- 重要文化財指定年月日:1942年12月22日、国宝指定年月日:1967年6月15日
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19.大湯屋
- 法隆寺の住職の住居である「本坊・西園院」の奥、築地塀で囲まれた内側にあります。湯屋とは、簡単に言うと昔の「お風呂」がある施設となっており、僧侶たちがここで「身を清める」ための沐浴を行っていたとされています。
- 重要文化財指定年月日:1942年12月22日
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20.大湯屋表門
- 大湯屋の北側、築地塀にあります。築地塀は粘土を突き固めて作った塀の事で単に築地とも言います。
- 重要文化財指定年月日:1942年12月22日
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21.大垣
- 南大門の左右に伸びています。粘土を突き固めて作った築地塀で、西院大垣 3棟と東院大垣 3棟 があります。
- 重要文化財指定年月日:1943年6月9日
法隆寺東院
8世紀前半に建設した伽藍で、13世紀には、夢殿と伝法堂以外の建造物は建替えられています。現在の建造物はこのときのものです。夢殿をはじめ3棟が国宝、6棟が重要文化財に指定されています。
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22.夢殿
- 高僧の行信が、奈良時代に聖徳太子の遺徳を偲んで斑鳩宮跡に建立した八角円堂です。高い基壇の上に立つ八角円堂の夢殿は東院の本堂で、元は「仏殿」と呼ばれていましたが、平安時代ごろから「夢殿」と呼ばれるようになりました。現在の堂は1230年に大改造を受け、屋上の宝珠露盤などに天平の面影を残しています。八角円堂の中央の厨子には、救世観音像を安置し、その周囲には聖観音菩薩像、乾漆の行信僧都像、平安時代に夢殿の修理をされた道詮律師の塑像(平安時代)なども安置しています。
- 重要文化財指定年月日:1897年12月28日、国宝指定年月日:1951年6月9日
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23.南門
- 東院礼堂の南側に位置する別名不明門ともいい、あかずの門となっています。 1459年建立。
- 重要文化財指定年月日:1900年4月7日
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24.四脚門
- 東院四脚門は鎌倉時代の建立で、夢殿がある東院伽藍の入り口にあたります。四脚門とは日本の門の建築様式のひとつで、門柱の前後に控柱を2本ずつ、左右合わせて4本立てたもので四足門とも呼ばれます。
- 重要文化財指定年月日:1900年4月7日
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25.礼堂
- 夢殿を囲む回廊の南に位置する堂が礼堂です。現在の礼堂は鎌倉時代に再建されたもので、昭和の修理時に旧形式に復原されています。
- 重要文化財指定年月日:1900年4月7日
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26.廻廊
- 夢殿を囲むように回廊があります。回廊南側に礼堂、北側に舎利殿が立っています。
- 重要文化財指定年月日:1900年4月7日
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27.鐘楼
- 下層に覆いをつける袴腰形式としては現存する日本最古のものです。内部には「中宮寺」と陰刻された奈良時代の梵鐘が吊るされ、舎利殿の舎利を奉出するときや、東院伽藍で法要が営まれる時の合図として撞かれています。
- 重要文化財指定年月日:1900年4月7日、国宝指定年月日:1955年2月2日
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28.伝法堂
- 伝法堂は聖武天皇の夫人である橘古那可智の住宅を仏堂に改造したものです。内陣は中の間、東の間、西の間に分かれ、それぞれ乾漆造阿弥陀三尊像が安置されています。他に梵天・帝釈天立像、四天王立像、薬師如来坐像、釈迦如来坐像、弥勒仏坐像、阿弥陀如来坐像も安置されています。
- 重要文化財指定年月日:1900年4月7日、国宝指定年月日:1951年6月9日
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29.舎利殿・絵殿
- 絵殿には、摂津国(現在の大阪府)の絵師である秦致貞(はたのちてい、はたのむねさだ)が延久元年(1069年)に描いた「聖徳太子絵伝」の障子絵(国宝)が飾られていました。太子の生涯を描いた最古の作品ですが、明治11年(1878年)、当時の皇室に献上され、現在は「法隆寺献納宝物」として東京国立博物館の所蔵となっています。代わりに「聖徳太子絵伝」が飾られています。舎利殿には聖徳太子が2歳の春に東に向って合掌した際、掌中から出現したという舎利(釈迦の遺骨)を安置しています。舎利殿と絵殿で1棟。
- 重要文化財指定年月日:1900年4月7日
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30.大垣
- 西院大垣 3棟と東院大垣 3棟 があります。
- 重要文化財指定年月日:1943年6月9日
法隆寺子院その他の建造物
子院に関する資料はあまりないようですが、平安時代末期には既に存在していたようです。当初 の子院 は、子院 を囲む築地 もなく坊合のみで生囲などで周囲 をめ ぐらしていたと考えられます。1261年になると寺内の大整備が行われ、子院の築地が築かれました。16世紀から17世紀にかけて最も盛んに子院が建設されました。子院の建造物のうち、13世紀から17世紀にかけて建造された本堂・客殿・門など17棟が重要文化財に指定されています。
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31.北室院本堂
- 重要文化財指定年月日:1904年2月18日
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32.北室院表門
- 重要文化財指定年月日:1911年4月17日
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33.北室院太子殿
- 重要文化財指定年月日:1943年6月9日
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34.地蔵堂
- 重要文化財指定年月日:1908年4月23日
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35.新堂
- 重要文化財指定年月日:1911年4月17日
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36.宗源寺四脚門(勧学院表門)
- 重要文化財指定年月日:1921年4月30日
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37.福園院本堂
- 重要文化財指定年月日:1942年6月26日
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38.西園院客殿
- 重要文化財指定年月日:1942年12月22日
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39.西園院上土門
- 重要文化財指定年月日:1942年12月22日
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40.西園院唐門
- 重要文化財指定年月日:1943年6月9日
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41.宝珠院本堂
- 重要文化財指定年月日:1942年12月22日
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42.薬師坊庫裡
- 重要文化財指定年月日:1943年6月9日
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43.中院本堂
- 重要文化財指定年月日:1947年2月26日
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44.律学院本堂
- 重要文化財指定年月日:1976年5月20日
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45.旧富貴寺羅漢堂
- 重要文化財指定年月日:1971年12月28日
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46.東南隅子院築垣
- 重要文化財指定年月日:1943年6月9日
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47.西南隅子院築垣
- 重要文化財指定年月日:1943年6月9日
法起寺
法起寺は7世紀に創建された寺院ですが、いまは三重塔のみが残っており、同時代の法隆寺西院建造物と共通する特徴を備える建物です。ただ、着工年は法隆寺の五重塔の方が古く、世界最古の木造の塔は法隆寺の五重塔とされていますが、三重塔としては世界最古となります。
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48.三重塔
- 「法起寺三重塔露盤銘」という史料により、創建は706年だということがわかっています。建立後は、何度も大修理が行われたため、建立当初の形式が明らかでないところもありますが、昭和45年から50年にかけての解体修理の際、それまでの研究成果を踏まえた復元がされ、現在に至っています。
初重内部は土間で四天柱と八角の心柱を立て、四天柱の上に肘木と斗を組んでいますが、二重以上は骨組がいっぱいに組まれています。初重にある仏壇は近世のもので、法隆寺の五重塔のような須弥山が作られた形跡や古い仏壇の痕跡がないので、当初の状況は明らかではありません。
法隆寺について
飛鳥時代、百済から仏教が伝わり、廃仏派(物部氏)と崇仏派(蘇我氏)は衝突を繰り返しました。戦いは蘇我氏の勝利に終わり、ここから蘇我氏の独裁政治が始まりました。蘇我氏は強大な力を背景に女帝を誕生させました。それが推古天皇で、その時に摂政(政治のすべてを任された)の地位についたのが厩戸皇子(聖徳太子)です。厩戸皇子(聖徳太子)は仏教をより盛んにするために法隆寺(別名斑鳩寺)を建築しました。建立に関しては諸説あるものの、聖徳太子こと厩戸皇子が建立したことはほぼ間違いがないようです(「聖徳太子が、じつは存在しなかった」という学説が唱えられて以来、いままでは「聖徳太子」と書かれていたのが、最近の教科書では「厩戸王子(聖徳太子)」という表現に変わっているようです)。
法隆寺の国宝(美術品)
世界遺産として登録されているのは建造物ですが、他にも法隆寺が保有している国宝は美術品として20件あります。文化財の数え方は「件数」で、例えば「木造四天王立像」は四体まとめて一件と数えます。
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彫刻
(仏像は重要文化財のうち彫刻に分類されます。仏像は大きく「如来」「菩薩」「明王」「天部」の4グループに分類されます。このほか神像や高僧像などもあります) - 乾漆行信僧都坐像(所在夢殿)…行信は法隆寺東院の復興に尽力した奈良時代の僧で、乾漆(乾漆とは石膏などで型を作り、麻布を貼り合わせて作る技法です)の仏像です。
- 乾漆薬師如来坐像(西円堂安置)…乾漆の仏像で、薬師如来は病気をいやしてくれる如来です。
- 塑造塔本四面具(五重塔安置)…東面が菩薩と維摩居士の問答、西面が釈迦仏舎利、南面が弥勒浄土、北面が釈迦涅槃(釈迦の入滅)の様子を塑造(粘土で作られた彫刻の事)の群像で表しています。
- 塑造道詮律師坐像(所在夢殿)…道詮は法隆寺夢殿を再興し、法隆寺の学問振興に力を注いだ僧で、律師とは僧官の職位です。塑像の高僧像です。
- 銅造阿弥陀如来及両脇侍像(伝橘夫人念持仏) 木造厨子…伝橘夫人が身辺に置き私的に礼拝するための仏像で、木造の厨子(仏像などを安置する仏具の一種)に阿弥陀三尊像が安置されています。中央に阿弥陀如来像左に勢至菩薩右に観音菩薩三体一組で阿弥陀三尊像といいます。
- 銅造観音菩薩立像(夢違観音)…夢違観音は通称で正式には聖観音で、人々の願いに応じて姿を変えます。聖観音は観音菩薩の基本的な姿です。
- 銅造釈迦如来及両脇侍像〈止利作/(金堂安置)〉…銅像の阿弥陀三尊像です。
- 銅造薬師如来坐像(金堂安置)…銅像の薬師如来像です。
- 木造観音菩薩立像(九面観音)…頭上に九面ありあらゆる方向を見て人々を救います。(通常十一面だと思うのですが、なぜ九面なのかわかりませんでした)
- 木造観音菩薩立像(夢殿安置)…通称「救世観音」とも呼ばれます。これも聖観音です。
- 木造観世音菩薩立像(百済観音)…聖観音です。
- 木造四天王立像(金堂安置)…日本最古の四天王像で、南東に持国天、南西に増長天、北西に広目天、北東に多聞天がたっています。
- 木造釈迦如来及両脇侍坐像(上堂安置)…木造の阿弥陀三尊像です。
- 木造聖徳太子〈山背王、殖栗王/卒末呂王恵慈法師〉坐像(聖霊院安置)…正装の聖徳太子像です。笏を持ち、豪華な冠を付けていることから正装であることがわかります。
- 木造地蔵菩薩立像…地蔵菩薩は地獄など、あらゆる世界を巡って人々を救う菩薩です。
- 木造毘沙門天立像(金堂安置)・ 木造吉祥天立像(金堂安置)…毘沙門天・吉祥天はともに天部で仏教の敵から守るために働きます。毘沙門天は福徳と戦闘の神で北方を守護する多聞天の別名です。吉祥天は五穀豊穣をもたらす美しき女神です。
- 木造薬師如来及両脇侍坐像(講堂安置)…木造の薬師三尊像です。薬師如来像の左に月光菩薩・右に日光菩薩が配置されています。一般的には薬師如来像を坐像、月光菩薩・日光菩薩を立像となっていますが、ここの像はともに坐像となっています。
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工芸品
- 玉蟲厨子…仏教工芸品で装飾に玉虫の羽を使用していることからこの名前が付けられたようです。
- 黒漆螺鈿卓…黒漆の卓(細長いちゃぶ台のようなもの)です。
- 四騎獅子狩文錦…錦織物で、染織物としてはとても大きなもののようです。
法隆寺の基本情報
- 住所
- 〒636-0115 生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
- TEL/FAX
- 0745-75-2555 / 0745-75-0102
- 拝観時間
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2/22~11/3 :午前8時~午後5時11/4~2/21 :午前8時~午後4時半
※閉館時間が近づくと入れない施設がございます。 - 拝観料
西院伽藍内/大宝蔵院/東院伽藍内共通 - 個人料金(1名に付き)
一般1,500円 / 小学生750円
団体料金(30名以上 1名に付き)
一般1,200円 / 大学・高校生1,050円 中学生 900円 / 小学生600円
※生徒人数が30名に満たない小学校、中学校は、減免申請書(見本参照)を拝観窓口に当日提出すると団体扱いになります。
減免申請書には、教育委員会、または学校長の公印が必要です。
法起寺の基本情報
- 住所
- 〒636-0102 生駒郡斑鳩町岡本1873
- TEL
- 0745-75-5559
- 拝観時間
- 2月22日~11月3日:午前8時30分~午後5時
11月4日~2月21日:午前8時30分~午後4時30分 - 拝観料
- 個人料金(1名に付き)
一般300円 / 小学生200円
団体料金(30名以上 1名に付き)
一般250円 / 大学・高校生200円 / 中学生150円 / 小学生100円