「鮭の聖地」の物語~根室海峡一万年の道程~(日本遺産)

「鮭の聖地」の物語~根室海峡一万年の道程~ について

2020年、根室管内の1市3町(標津町・根室市・別海町・羅臼町)連名の『「鮭の聖地」の物語~根室海峡一万年の道程~』が日本遺産に認定されました。

一万年以上にわたって繰り返されてきた鮭の遡上は、この土地の人々の生活に根強く関わってきました。そして今もなお、根室海峡沿岸地域の基幹産業として位置づけられています。

構成市町村
標津町、根室市、別海町、羅臼町
認定日
2020年6月19日
タイプ
シリアル型

「鮭の聖地」の物語~根室海峡一万年の道程~ストーリーの概要

北海道最東の海、根室海峡。この地では遥か一万年の昔から、絶えず人々の暮らしが続いてきました。その支えとなったのは、大地と海とを往来し、あらゆる生命の糧となった鮭です。毎年秋に繰り返される鮭の遡上という自然の摂理の下、当地では人と自然、文化と文化の共生と衝突が起こり、数々の物語と共に、海路、陸路、鉄路、道路という、根室海峡に続く「道」が生まれます。一万年に及ぶ時の流れの中で、鮭に笑い、鮭に泣いた根室海峡沿岸。ここはいまも、人と自然、あらゆるものが鮭とつながる「鮭の聖地」です。

サブストーリー

1.世界に開かれた野付半島と人々を魅了し続けた鮭

北海道最東端、眼前に国後島を望む根室海峡。その沿岸中央部に特異な形の半島が突き出ています。強い沿岸流が運ぶ砂礫の堆積が生み出した、全長 28kmに及ぶ日本最大の砂嘴《野付半島》です。左右に海が迫る野付の一本道を行くと、トドワラ、ナラワラという立ち枯れた樹林が広がります。その荒涼とした光景はまさに“最果ての地”。

砂嘴(さし)とは沿岸流により運ばれた砂が、長年に渡って堆積して作られた、嘴(くちばし)形の地形のことをいい、野付半島は、全長約26kmで日本最大の砂嘴となっています。野付半島内には江戸時代の中頃まで、トドマツ・エゾマツ・ハンノキ・カシワなどの樹種から成る原生林がありました。しかし、地盤沈下により、海水に浸食された森が立ち枯れてしまいました。かつて「トドワラ」*1は、立ち枯れた木々が幻想的と評判になったこともありましたが、現在も浸食が進んでおり、今の野付半島は、枯れ木は土に還ったり流されるなどして、減少し、最果ての地という雰囲気が漂っています。

しかし縄文時代から江戸時代に至るまで、野付は国後島への渡海拠点となり、時にはその先の千島列島を通じ、世界とつながっていました。日本列島の東門として、絶えず人々が往来する「道」の役割を担ってきたのです。その最盛期の賑わいは、かつて先端に歓楽の場があったという『幻のまちキラク伝説』として語り継がれています。

この半島は、古代北方文化の時代から江戸時代に至るまで、国後島への交通の要所として繁栄してきました。江戸時代の中期から末期にかけては、北方警備の任にあたる武士が駐在する通行屋も設けられていました。その賑わいは、かつて先端に歓楽の場があったという『幻のまちキラク伝説』として語り継がれていますが、それを立証する明確な記述はありません。

時代を越え人々の往来を誘ったのは、根室海峡沿岸の山海川の恵みであり、その最大の産物は、大地と海とをつなぎ、当地のあらゆる生命を支えた鮭でした。アイヌの伝承で「知床の沖にいるカムイ(神)からの贈り物」とされる鮭は、いまも根室海峡沿岸の代表的生産品です。毎年12月になれば民家の軒先に干される《鮭とば》、江戸時代から伝わる鮭の塩蔵熟成法《山漬け》、そして家ごとに受け継がれた味を持つ《鮭飯寿司》など、鮭は当地の暮らしに深く根付いています。毎年秋に繰り返される鮭の遡上という自然の摂理の下、当地では鮭を巡って人と自然、文化と文化の衝突と交流が起こり、数々の物語と共に、根室海峡に続く幾筋もの「道」が誕生するのです。

 個人的にとばを軒先で見かけたことはありませんが、飯寿司は一昔前(?)冬になると各家庭で造っていました。それぞれ家庭の味があるようで、塩加減、野菜の量や入っている野菜が違っていました。「山漬け」は今では極上の塩を使い、流通による温度管理も徹底しているのでおいしいと感じられるものが多くなっていますが、昔は家でまず塩抜きをしなければ塩分が多すぎて(しょっぱくて)食べられませんでした。塩分を多くすることで日持ちがよくなるという、昔ながらの知恵だったのでしょう。

2.鮭を求めて一万年~人と自然の共生~

野付から北へ約10kmの場所に、激しく蛇行を繰り返すポー川が流れています。その流域には、無数のクレーターのようなくぼみが延々と連なる独特の景観が広がっています。このくぼみは古代の堅穴住居跡です。くぼみの数は4400を超え、日本最大の竪穴群《標津遺跡群》を形成しています。この遺跡は、一万年前から17世紀に至るまで途切れることなく人が暮らし続けた結果、いまに残されました。

遺跡を発掘すると、あらゆる時代の堅穴から多量の鮭の骨が見つかります。標津の大規模竪穴群は、毎年秋、鮭を求め各地から集まる人々の「道」の集積地であり、自然との長い共生の歴史をいまに伝えています。

「標津町ポー川史跡自然公園」として整備されている園内には、無数の古代住居のくぼみが連なっています。これは古代の堅穴住居跡で、日本最大の竪穴群「標津遺跡群」を形成しています。約1万年前から約800年前の竪穴住居跡や、約500年前の アイヌ文化のチャシ跡などが残され、遺跡を発掘調査すると、あらゆる時代の竪穴住居跡から多量の サケ科魚類の骨がみつかります。標津の大規模竪穴群は、縄文時代前期から一貫して、サケ科魚類の利用にかなりの比重を置いた暮らしが営まれてきたことを物語っています。

標津遺跡群に集まった人々の道程は、根室海峡沿岸に残るチャシ跡の存在から推測できます。チャシ跡とは崖際などを溝で区画した、13~18世紀にかけて利用されたアイヌの遺跡です。時代と共に様々な役目を担いましたが、その本質は、コタン(村)共有の神聖な場所としての役割にありました。チャシ跡周辺には同時代のコタンが必ず存在するだけでなく、古代の竪穴住居跡も確認できます。そこが暮らしの拠点として、長きにわたり利用され続けたことがわかるのです。北海道各地に残るチャシ跡の多くは、内陸部の河川合流点付近にあり、当時川筋を「道」とする交通網が発達したことが読み取れます。しかし根室海峡沿岸では、野付や沿岸一帯の河川河口付近において、海に面してチャシ跡が築かれています。この地域では河口を湊とし、古くから海を「道」とする交通網を発達させてきたのです。海を臨む根室海峡チャシ跡群が伝えているのは、鮭を求め標津遺跡群へと往来した人々の道程であり、チャシ跡から見渡せる景観は、当地で繰り広げられた一万年の物語の舞台なのです。

チャシ跡は16世紀~18世紀にアイヌ民族が構築したもので、聖地や戦闘時の砦のほか、談判や祭祀を行う場としての役割がありました。北海道各地に残るチャシ跡の多くは、内陸部の河川合流点付近にあり、当時川筋を「道」とする交通網が発達したことが読み取れますが、根室海峡沿岸では、海に面してチャシ跡が築かれています。この地域では河口を湊とし、古くから海を「道」とする交通網を発達させてきたのがわかります。

3.幕末会津藩士が育てた産業の灯火~文化と文化の衝突と交流~

江戸時代、根室海峡沿岸に進出した和人は、当地の鮭の質・量の豊かさに驚き、ここに鮭漁の漁場を拓きます。しかしその搾取的経営は、労働力となったアイヌの反感を買い、幕府をも巻き込む騒動にまで発展したこともありました。

江戸時代、根室海峡沿岸に進出した和人は、鮭漁の漁場を拓き、アイヌの人たちを強制的に働かせました。この過酷な労働にアイヌの人たちは反発し、1789年クナシリ・メナシの戦いが起こります。

根室の《金刀比羅神社》、標津の《標津神社》は、いずれも海峡沿岸一帯の鮭漁を管理した「根室上会所」、「根室下会所」の社を前進とし、北海道最東の海を全国へとつないだ船の「道」の歴史をいまに伝えています。
18世紀以降千島列島周辺では、鮭を求め北上する和人と、ラッコの毛皮を求め南下するロシア人の衝突が繰り返されます。幕末には択捉島とその先のウルップ島の間で最初の日ロ国境が定められました。野付にある「會」旗を掲げた墓石は、日本東門の国境警備と開拓を担った《会津藩士の墓》です。

1855年、日魯通好条約において、択捉島とウルップ島との間に、平和裡に国境が確定しました。幕末の1859年、幕府は、東北六藩に、蝦夷地の警備を命令、会津藩は北方交易の拠点だった標津を担当します。藩士は家族を伴って標津で過酷な冬を過ごしましたが、過酷の警備で多くの藩士が命を落としています。野付半島を走る道道950号野付風蓮公園線の途中にある会津藩士の墓は、蝦夷地に派遣され、ここで亡くなった藩士の墓石です。

当時標津代官を務めた南摩綱紀は、文化の異なるアイヌと和人が共に開拓に臨む水産業のまちづくりを構想し、その思いを「標津番屋屏風」に込めます。当時鮭は高級魚で、中でも当地の鮭はその品質の良さから、他地域とは比べものにならないほどの価値があり、江戸時代のブランドの一つとなっていました。

「標津番屋屏風」は絵師星暁邨が描いたもので、標津の水産資源と木材資源の豊かさを表現し、幕末に会津藩が目指そうとした未来像を伝えているのです。文化の異なるアイヌと和人が共に開拓に臨む水産業のまちづくりを構想し、その思いを「標津番屋屏風」に描きました。

《加賀家文書》には徳川将軍家にも献上されたことが記されています。南摩はこの高品質の鮭を基盤に、当地にまちの礎を築きました。

明治11年、北海道開拓使が西別川河口に《別海缶詰所》を開設します。工場はやがて民営化し、国後島を含む海峡沿岸に続々と増設され、鮭缶詰はヨーロッパやオーストラリアなど、世界市場に輸出されます。北海道最東の海から続く船の「道」は世界に延び、根室海峡沿岸一帯のまちは大きく隆盛したのです。

1878年、開拓使は別海村の西別川河口(現別海町本別海)に缶詰所を設置しました。缶詰所は「コの字形」で二階建てとなっていました。また、缶詰所の近くには「生徒舎」と呼ばれる建物があり、缶詰製造技術を日本に導入するため招かれていたトリートらから缶詰の製造を学びました。1986年に、北海道庁が設置されると、各地にあった缶詰所は民間に払い下げられました。1987年、官営別海缶詰所は民間に払い下げられ、藤野缶詰所となりました。戦後、鮭鱒の不漁などを背景に1934年頃、藤野缶詰所は廃止されました。その後、缶詰所の建物は一部改築されて別海中学校の校舎となり、現在は別海漁協の倉庫として使われています。

4.鮭の物語は大地へと続く~再び人と自然の共生に向けて~

明治時代半ば以降、天然魚に頼った鮭漁は、次第に資源が枯渇します。明治24年には人工ふ化事業に着手しますが、その成果を得るのはまだ先のことでした。西欧諸国と肩を並べようと国を挙げて邁進した明治時代、日本東門の安定と発展は不可欠であり、鮭漁を補う新たな産業の確立が求められました。現在、根室海峡では、根室の昆布や野付湾のホッカイシマエビなど、多彩な水産品が水揚げされています。これらは鮭資源の減少に直面した漁業者が、ここで生きるために選んだ漁の姿です。また野付で目にする《海辺の牛舎跡》は、漁業者が漁の傍ら、副業として畜産農業を行った、かつての半農半漁の暮らしの名残です。

この畜産農業の一つ酪農が、大正末期以降、冷涼で安定した農業を阻み続けた根釧台地内陸部に拡がり、全国から集まった開拓者の手で、一大産業へと成長しました。《根釧台地の酪農景観》には、北海道や国の農業施策はもとより、不屈の精神で厳しい自然と向き合い、広大な原野を切り拓いた開拓者の思いと歴史が込められています。別海の《旧奥行臼駅逓所》や標津の《旧根室標津駅転車台》など、根釧台地の内陸交通遺産は、《酪農建造物群》など農業遺産と共に、持続可能な産業の確立を目指し、海から大地へと展開した先人たちの、内陸の「道」の歴史をいまに伝えています。
いま根室海峡沿岸で目にする数々の一次産業は、半世紀に及ぶ鮭資源減少時代に、人々が日々の暮らしをつなぎ、当地の発展を夢みて臨んだ、新たな挑戦の結晶なのです。

明治後半から鮭が次第に不漁となり、人工ふ化事業が始まります。また、鮭漁を補うため、コンブ漁やホタテ、北海シマエビなども水揚げされるようになります。

この地域には多くの開拓移民が入植し、農耕を営んでは挫折を繰り返していました。保水力に乏しく痩せた火山灰地の上、日照時間が短く低温かつ冷涼な気候のため稲作や畑作に適さなかったのです。そこで、北海道庁長官だった佐上 信一氏は、問題を解決するため現地を視察し農業の合理化を推進「根室原野農業開発5ヵ年計画」を策定、北海道の気候・風土に適したてん菜、酪農への転換を進めました。

5.鮭を求める人々はいまも

昭和40年代、人工ふ化事業がついに結実し、長く不漁が続いた鮭漁は、前年比2倍もの驚異的漁獲量更新を繰り返します。かつての高級魚は、日本の食卓を彩る最もポピュラーな食材の一つとなり、全国の店頭には日々塩鮭が並んでいます。鮭を巡る状況が大きく変わる中、かつて内陸開拓を牽引した標津線は、東北地方からの季節労働者「青森衆」を招く「道」となり、不足する鮭漁期の労働力補強に貢献しました。鉄道が廃線となったいまは、アスファルトの「道」を通り、全国そして世界から、鮭加工に従事するため集まる「シャケバイ」と呼ばれる若者達の姿が、毎年秋の風物詩となっています。そして毎年12月になれば民家の軒先に干される《鮭とば》や、江戸時代から伝わる塩蔵法《山漬け》など、熟成させ旨味を増す鮭の保存法、さらに家ごとに受け継がれた味を持つ《鮭飯寿司》など、一尾を余すところなく使い切る豊かな鮭の食文化が、いまも当地に伝えられています。

一万年にわたり、当地で織りなされた数々の物語。そこには常に鮭との関りがありました。鮭に笑い、鮭に泣いた根室海峡沿岸は、人も自然も、あらゆるものが鮭とつながる「鮭の聖地」であり、いまもその恵みへと通じる「道」に、人々の往来が続いています。

ぎょれん販売株式会社の通販サイトです。サイトで個別に捜したところ、別海産の鮭は今もなおブランド力のある商品で、このサイトでも販売していました。

「鮭の聖地」の物語~根室海峡一万年の道程~構成文化財

標津町

標津遺跡群伊茶仁カリカリウス遺跡(1976年06月21日国指定史跡)

国指定史跡伊茶仁カリカリウス遺跡は、ポー川史跡自然公園の中にあります。

ポー川史跡自然公園

園内には史跡伊茶仁カリカリウス遺跡と、天然記念物標津湿原の、2つの国指定文化財が保存されているほか、ビジターセンターや、開拓時代の建物を復元した開拓の村が併設されています。

所在地
〒086-1602 北海道標津郡標津町字伊茶仁2784番地

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連絡先
電話番号:0153-82-3674
FAX番号 : 0153-82-3674
開園時間
 9:00~17:00(入園は16:30まで)
開園期間
4月29日~11月23日(開園期間中無休)
入園料
【ビジターセンター内】
無料
【開拓の村・遺跡エリア】
一般:330円、大学生・高校生110円、中学生以下無料
※20名以上は団体割引として半額

タブ山チャシ跡(2017年04月04日標津町指定史跡)

根室海峡を望む崖際にU字状の壕が4基連なる多郭連結型のチャシ跡。

【所在地】

北海道標津郡標津町字茶志骨75番地1

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標津神社とその奉納品(奉納品のみ標津町指定有形文化財【工芸品】)

標津神社

【所在地】
〒086-1631 

標津郡標津町北1条西1丁目1番2号

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連絡先
電話番号:01538-2-2038
FAX番号 :01538-2-2038
御朱印受付時間
 9:00~17:00
祭神
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
金刀比羅大神(ことひらのおおかみ)
市杵島神(いちきしまのかみ)

会津藩士の墓(標津町指定有形文化財【墓碑】)

【所在地】

〒086-1622 北海道標津郡標津町茶志骨

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海辺の牛舎跡

【所在地】

〒086-1622 北海道標津郡標津町茶志骨

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根室市

根室半島のオホーツク文化出土品

北構保男氏が、亡くなる3年前の2017年に、戦前から各地で発掘、収集した土器や骨角器など13万点を根室市に寄贈しました。北構保男氏は5~12世紀頃にオホーツク海沿岸で栄えた「オホーツク文化」を80年以上研究し、遺跡の発掘や保存に取り組みました。寄贈された資料の一部は「根室市歴史と自然の資料館」に展示されています。

俄羅斯舩之圖及びワシレイラフロウ之圖(1993年6月29日根室市指定有形文化財【古文書】)

「根室市歴史と自然の資料館」に保管・展示されています。

根室市歴史と自然の資料館

所在地
〒087-0032 北海道根室市花咲港209番地

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連絡先
電話番号:0153-25-3661
ファックス:0153-25-3661
開園時間
 9:30~16:30
休館日
月曜日(月曜日が祝祭日の場合は月曜日と火曜日)
祝祭日、年末年始(12月31日 – 1月5日)
入館料
無料

根室半島チャシ跡群(1983年04月26日国指定史跡)

根室市内には32ヶ所のチャシ跡が残り、うち24ヶ所は「根室半島チャシ跡群」として国指定史跡に指定されています。また、日本100名城にも選定されています。現在、見学先として整備されているのはノツカマフ1号・2号チャシ跡とヲンネモトチャシ跡の2ヶ所です。

ノツカマフ1・2号チャシ跡

【所在地】

〒087-0002 北海道根室市牧の内

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ヲンネモトチャシ跡

【所在地】

〒087-0166 北海道根室市温根元

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※ヲンネモトチャシ跡見学の際は指定の駐車場のみ駐車願います。漁港内、私有地や作業場に立ち入るなどすると今後見学が禁止される恐れがあります。

西月ヶ岡遺跡(1976年08月28日国指定史跡)

標高20~30mの台地上に位置し、擦文土器の時代を中心とする集落跡です。

【所在地】

〒087-0025 根室市西浜町6丁目9

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金刀比羅神社

境内には第1展望台と第2展望台があり、根室港や市内、天気が良ければ知床方面も一望できます。

所在地
〒087-0055 根室市琴平町1丁目4番地

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連絡先
電話番号:01532-3-4458
ファックス:01532-3-4474
開館時間
8:30~17:00
祭神
大物主神(おおものぬしのかみ)
事代主神(ことしろぬしのかみ)
倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
入館料
無料(駐車場あり)

碓氷勝三郎商店の酒蔵

1887年創業の老舗で、日本最東端の酒造メーカーです。

公式サイトURL

http://www.marimo.or.jp/~honda/cybermkt/mall/usui/

根室海峡沿岸の缶詰ラベル

根室海峡沿岸地域の一次産業生産品の缶詰ラベルは、「根室市歴史と自然の資料館」や「北海道立文書館」「別海町郷土資料館」などで見ることができます。

珸瑤瑁獅子神楽(1969年1月9日根室市指定無形民俗文化財【民俗芸能】)

珸瑤瑁獅子神楽は、富山県黒部市から珸瑤瑁に移住してきた中村源三郎氏により伝えられ、1913年、光明寺(歯舞)が新築落成した際に舞ったのが、最初の公式発表とされています 。

毎年10月に開催される珸瑤瑁金刀比羅神社例大祭や、根室市文化祭や花咲港金刀比羅神社例大祭などで披露されています。

金刀比羅神社例大祭

8月第2金曜日~日曜日

金曜:宵宮祭

土曜:本祭・渡御(往路)

日曜:渡御(復路)・還御祭

花咲港金刀比羅神社の例大祭

10月10日となっています。

〒087-0032 北海道根室市花咲港82−1

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根室の昆布漁

根室市では、コンブ漁が例年6月から10月頃まで採取されます。この時期になると砂浜にコンブが並びます。

 

別海町

野付通行屋跡遺跡

別海町郷土資料館にある展示資料に「野付通行屋・番屋跡遺跡」に関するものがあります。野付通行屋跡遺跡には石碑が立っていますが、案内なしに行くことは難しい場所のようです。野付半島ネイチャーセンターや別海町郷土資料館では、野付通行屋・番屋跡遺跡を訪ねるツアーが開催されることがあります。ツアーを利用してたり、別海町観光協会や別海町郷土資料館に問い合わせてみると良いでしょう。

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こちらの記事の「知床ねむろ・北太平洋シーニックバイウェイで歴史・文化を学ぼう」で「別海町郷土資料館・別海町 加賀家文書館」を紹介しています。

goldsky.hatenablog.com

加賀家文書(1999年4月8日別海町指定有形文化財【古文書】)

加賀家文書は、別海町郷土資料館の附帯施設となっている「加賀家文書館」で一部が公開されています。

こちらの記事で「加賀家文書館」を紹介しています。

goldsky.hatenablog.com

旧開拓使別海缶詰所(2013年2月4日別海町登録歴史文化遺産【建造物】)

1878年に設置された缶詰所の一部で、開拓使が設置した缶詰所の中で唯一現存する、別海町では最古の木造建造物です。

戦後、缶詰所の建物は一部改築されて別海中学校の校舎となり、現在は別海漁協の倉庫として使われています。

野付湾の打瀬網漁

打瀬船は浅い海底の状況と生息を育む密集したアマモを傷つけないための独特の漁法で、明治から続く漁法です。今も打瀬網漁でホッカイシマエビ漁は継承され、漁期は6月中旬から7月末までと、10月中旬から11月中旬までです。

旧奥行臼駅逓所(2011年9月21日国指定史跡)

旧奥行臼駅逓所主屋は、保存修理工事を実施し、一般公開されています。休館時も建物内部以外は見学可能ですが、冬期間の除雪はされていません。

【所在地】

〒086-0213 北海道野付郡別海町奥行15−12

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旧別海村村営軌道風蓮線奥行臼停留所(1997年5月19日別海町指定有形文化財【建造物】)

待合室兼職員住宅の他、自走客車、ディーゼル機関車、牛乳運搬車、転車台跡などを保存しています。

【所在地】

〒086-0213 北海道野付郡別海町奥行15−55

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旧奥行臼駅逓所・旧国鉄奥行臼駅・旧別海村営軌道風蓮線奥行臼停留所建物内部一般公開 について

連絡先
別海町郷土資料館
TEL:0153-75-0802
建物内部公開時間
10:00 ~ 16:30
休館日
月曜日(祝日・国民の休日の場合は開館)
11月4日~4月30日
入館料
無料(駐車場あり)

別海町では、駅逓、国鉄、簡易軌道という三種類の異なる時代の交通遺産が集中する「史跡旧奥行臼駅逓所」とその周辺を、「奥行臼史跡公園」として2030 年の工事完了を目指して整備していこうと構想しています。

根釧パイロットファーム関連文化財群

明治時代の開拓期、根釧台地に入植した人たちは、冷涼な気候に適する酪農を始めました。その後も、北海道庁による積極的な酪農振興が進められましたが、大きな転機となったのは、昭和30年 (1955年) から始まった「根釧パイロットファーム」事業です。いまや国内最大とも いえる酪農地帯となっています。

別海町の生乳を使った商品はふるさと納税の返礼品となっています。

画像をクリックすると「ふるなび」サイトに切り替わります。

 

画像をクリックすると「さとふる」サイトに切り替わります。

 

羅臼町

松法川北岸遺跡出土品(2015年09月04日国指定重要文化財【考古資料】)

羅臼町郷土資料館の「重要文化財展示室」に展示されています。

羅臼町郷土資料館

住所
〒086-1751 北海道目梨郡羅臼町峯浜町307番地 

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電話
0153-88-3850
開館時間
9:00~17:00
休館日
土日、祝祭日、年末年始(7月1日~9月上旬は無休)
入館料
無料

タチニウス北岸チャシ跡

タチニウス(ウシ)川はアイヌ語でダケカンバ*2のあるところを意味します。羅臼町の公式サイトで観光情報をみると、自然を感じる「癒しの森コース(約3km/1.5時間)」、チャシ跡やダケカンバの純林をめぐる「学びのコース(約5.2km/約2時間)」の2コースが紹介されています。

お問合せ先

羅臼町役場産業創生課 0153-87-2126

 

標津町・別海町

野付半島

〒086-1645 野付郡別海町野付

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根釧台地の酪農建造物群

「腰折れのギャンブレル屋根を持つ牛舎」とはどんな屋根だろうと検索して納得。酪農地帯には必ずある建物の屋根。建物を見ると酪農家であることがわかります。今は使われていないのか。と、ちょっと驚きです。

根釧台地の格子状防風林

〒086-0345 北海道野付郡別海町中西別

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標津線関連資産群(標津町指定史跡)

現在は始終着駅根室標津駅の歴史を物語る「旧根室標津駅転車台」と、現存する唯一の標津線駅舎「奥行臼駅」が残されています。

 

標津町・根室市・別海町・羅臼町

根室海峡沿岸の鮭・鱒遡上河川

河川で産まれ、大海で群れをなして生活をし、9月になると生まれ故郷の川の上流を目指し、強い流れに逆らい前へ前へと進んでいきます。その様子は北海道の河川のあちこちで見ることができます。眺めながら「がんばれー」と声をかけたくなり、登っていく姿を見て勇気をもらえる。そんな光景です。

鮭とばを干す風景

山漬の製法

鮭飯寿司の文化

何れも北海道の冬には欠かせない鮭加工品です。鮭飯寿司は、昔は各家庭で作られていたのですが、今は店でもネットでも購入できます。

ここではぎょれん販売株式会社の通販サイトで見つけた商品を載せています。画像をクリックすると通販サイトにかわります。

山漬は切り身で販売されている甘塩の鮭や生鮭の冷凍のものとは違います。

山漬は塩をたっぷりと使い、「山のように積み上げ」て、その重みで鮭の水分が抜けることで熟成され、うまみが増します。

飯寿司は種類がいろいろある寿都産の商品です。現在は道東よりも道央圏のほうが種類が豊富で主流のように感じます。通販サイトではあまり見かけません。多分好き嫌いが分かれると思うので納得です。

鮭とばは産地が違います。(北海道でもこちらは日高のものです)鮭とばは通販ではあまりありませんね。北海道では頻繁に見かけるのでどこにでも売っているものだと思っていました。

 

これまでに認定された北海道の日本遺産

こちらの記事で紹介しています。

 

goldsky.hatenablog.com

*1:トドマツがそのまま残る観光スポット

*2:カバノキ科カバノキ属の落葉広葉樹

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