北海道遺産「積丹半島と神威岬」

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神威岬

2004年に「積丹半島と神威岬」が北海道遺産52件の内の1件に認定され、次の世代に引き継ぎたい北海道の大切な宝物であると認められました。

積丹半島開発の歴史は古く、江戸時代からのニシン漁などにより北海道の中では早くから開け、明治期には商業活動で発展し、その遺構である番屋、揚場跡、袋澗、トンネル、旧街道などが保存されています。さらに、ニシン漁から生まれたソーラン節の発祥の地でもあり、2008年には、実際に鰊場へ働きに出かけた人達が中心となり、保存会を立ち上げています。 

半島部はおよそ北西の日本海に向かって約50km突き出した半島で、地形は平野部が少なく急峻で、半島先端部の余別岳、積丹岳を始めとする1,000m級の山が連なるほか、延長がおよそ165kmの複雑な海岸線は、独特の絶景を生み出しています。とくに、“積丹ブルー”と形容される透明感のある青色をした神威岬の海岸は絶景で、観る人を魅了しています。積丹半島はニセコ積丹小樽国定公園に含まれており、積丹の海は北海道で唯一、海域公園に指定されています。

島武意海岸展望台より海岸へ下る遊歩道につきましては、現地確認の結果、施設の冬季期間における安全性が確保できないため、立入禁止を継続いたします。

積丹岬遊歩道(シララの小道)の立入禁止解除について – お知らせ

 島武意海岸

「日本の渚百選」のひとつである島武意海岸は、断崖絶壁が続くなか唯一波打ち際まで下りられるスポットです(階段があり、結構急な階段ですから、体力に自信のない方は展望台で我慢しましょう)。展望台へは名物の暗いトンネルを抜けます。トンネルを抜けるとそこには絶景が待っています。

カモメやオオワシなどの鳥類のほか、冬季にはアザラシも観察できます。

 

島武意海岸への交通アクセス

ドライブスポットとして親しまれている島武意海岸ですが、公共交通機関を使っても行くことが可能で、JR札幌駅から函館方面行に乗り、小樽駅もしくは余市駅で下車します。JR札幌駅から小樽駅は通勤圏内となっていますので通勤時間には混みあうかもしれません。小樽駅が終点の列車が多いので小樽駅には容易に行くことができますが、余市駅まで行くには然別行きや倶知安行に乗らなければいけません(ちょうどよく余市行に乗ることができれば所要時間は少なくなります)。JR小樽駅または余市駅からは「北海道中央バス積丹線」または「高速しゃこたん号」に乗り、「島武意海岸入口」で下車します。停留所から徒歩15分程度となっています。バスについては本数が少ないため必ず時刻表などでチェックしてからお出かけください。

※神威岬への交通アクセスも参考にしてください。路線は同じです。

島武意海岸名前の由来

地名はアイヌ語からきていて、「シュマ・ムイ」は岩の入り江を意味します。ちなみに「シュマ」は石や岩を、「ムイ」には傾く意味があるようです。

積丹岬自然遊歩道「シララの小道」

島武意海岸の駐車場を起点にする西側からのコースと、バス停「入舸会館前」で下車して歩く東側コースがあります。西側コースでは、島武意海岸トンネルの入口から、出岬灯台までおよそ300mで灯台のところに展望デッキが設置されています。さらに600m歩けば2つめの展望デッキがあり、女郎子岩の展望デッキまで歩くと入口から約2km。往復すると、全コース約4km、所要時間約1時間30分のコースとなります。

シャコタンブルーが印象的「神威岬」

積丹半島にある岬で、積丹半島の観光名所の一つです。先端部へは「チャレンカの小道」をたどっていきます。遊歩道の高台からは両側に日本海の雄大な眺めが広がり、右手は断崖絶壁になっており、「水無しの立岩」が望めます。左手は起伏に富みダイナミックな景観を造る神威岬の景観が望めます。遊歩道最先端付近からは周囲300度が見渡せます。

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神威岬への交通アクセス

神威岬へのドライブは海岸線が最高に気持ちよくおすすめですが、公共交通機関を使っても行くことが可能です。ただ、期間限定の路線となっていますのでご注意ください。

JR札幌駅から北海道中央バス「高速しゃこたん号」が出ています。こちらのサイトでご確認ください。

北海道中央バス
北海道内観光名所・スポットを巡る定期観光バスと都市間高速バスでお客様の旅をお手伝いします。

その他の拠点からバスを利用する方はこちらでご確認ください。

北海道中央バス株式会社

どちらの路線も夏季限定となっています。

※島武意海岸への交通アクセスも参考にしてください。路線は同じです。

神威岬 名前の由来

神威(カムイ)とはアイヌ語で「神」を意味します。日本語での地名表記などにおいては、多くの場合「神威」や「神居」と表記されています。カムイという言葉は一般的には「神」と訳されますが、「荒神」と訳すべき時もあり、多くは地形上の難所などで「恐ろしい荒神のいる場所」とした方が実際のイメージに近いようです。神威岬沖も、海難事故につながる暗礁が多く「魔の海」とも呼ばれるほどの難所として知られていました。

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女人禁制の門(今は女性も通ることができます)※人を消すため加工しています

遊歩道の入り口にある女人禁制の場所だったことを表す門があります。積丹町が1995年に設置した、歴史を伝えるためのもので、女性でも通ることができます。また、この岬は日本海最大の難所としても知られた場所です。

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「チャレンカの小道」

神威岬入り口にはゲートがあり、時期により開閉時間が変わります。下記の時間が開いています。神威岬は遊歩道の先端まで往復40分程かかりますので、閉門時間を確認の上、時間がない場合は、女人禁制の門からの景色を楽しみましょう。

4月 開園時間 8:00~17:30(入園時間 8:00~16:30)
5月 開園時間 8:00~18:00(入園時間 8:00~17:00)
6月 開園時間 8:00~18:30(入園時間 8:00~17:30)
7月 開園時間 8:00~18:00(入園時間 8:00~17:00)
8月~10月 開園時間 8:00~17:30(入園時間 8:00~16:30)
11月 開園時間 8:00~16:30(入園時間 8:00~15:30)
12月~3月 開園時間 10:00~15:00(入園時間 8:00~14:00)

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黄金岬

美国港の先から海へ突き出した黄金岬へは遊歩道「チャシナの小道」が整備され、3カ所の入り口から展望台を目指すことができます。入口から560mほどで先端の展望台。最高点は53.0mの三角点がある尾根沿いの道で、両側は切り立った断崖ですが、柵などがあるので安心して歩くことができます。展望台からは、青く澄んだ日本海と断崖絶壁が続く海岸線、さらに美国の街並みも見渡せます。

積丹にまつわる3つの物語

チャシナ伝説

酋長の娘・チャシナは、下僕の若者と恋に落ちました。しかし、父である首長に反対され、若者は捕らわれの身に。その年、海に魔物が現れてニシン漁も不漁になり、首長は退治した勇敢な若者を娘の婿として迎えるとの触れを出しました。多くの若者が命を落とすなか、首長は囚われの身となった若者にも命じました。若者は夢のお告げとチャシナの密かな協力を得て、見事魔物を退治しましたが、首長に約束を守るつもりがないことを知ったチャシナは、岬の先端へ駆け上り、海に身を投げたのです。それを知った若者も、チャシナの後を追って自らの命を絶ちました。すると、若者の被っていた兜が岩となり、ニシンの群来(くき)を呼び、手に持っていた剣が、立岩となったと伝え残されています。その岩が宝島だといわれています。

 

チャレンカ伝説

平泉で自害したとされる源義経、実は生き延びて北へ逃れ、津軽から蝦夷地に渡ったという伝説が残されています。「チャレンカ伝説」は、この義経にまつわるものです。

蝦夷に渡った義経主従は、平取のアイヌの長の許に身を寄せ、その長の娘であるチャレンカ姫と恋仲になりました。しかし、義経が生きていることを聞きつけた頼朝の追手は、蝦夷地まで捜索の手を広げ、次第に平取にまで近づいてきます。また、義経も蝦夷に留まる意思はなく、遙か彼方の中国大陸を目指して新たな旅に出ようとチャレンカに黙って平取を去り、海伝いに積丹半島へと移動し、そこから船に乗って中国大陸へと旅立ってしまいました。チャレンカが義経の後を追い、神威岬までたどり着いた時には、すでに義経の船は沖の彼方へ。悲しみにくれたチャレンカは、もはや平取に戻ることもなく、「和人の船、婦女を乗せてここを過ぐればすなわち覆沈せん」と恨みの言葉を残し、そのまま神威岬の突端から身を投げたのです。悲しみと恨みを抱いたチャレンカの身体は神威岩と化し、以来、その周辺に女性を乗せた船が近づくとチャレンカの嫉妬にあい、必ず沈没させられると言われ、神威岬は明治時代初期まで女人禁制の地とされました。 

 

シララ伝説

源頼朝に追われ、神威岬を旅立ち大陸へ向かった義経でしたが、船はすぐに大時化に遭い、難破してしまいます。源義経の一行は、積丹岬の入舸という部落の海岸に辿り着きました。この時大きな怪我を負っていた義経を見つけ、手当をし、介抱をし続けた心優しい娘が、入舸の酋長の娘「シララ姫」だったのです。義経は首長の娘シララと恋に落ち、二人の間には子供が生まれ、幸せな時間を過ごしていました。義経が生存していることを噂に知った頼朝が、執拗に追手を差し向けてくるようになったことで、入舸の民に、追手による迷惑がかからないように、義経はまたしても逃亡の旅に出なければならなくなります。厳しい逃亡の旅に女や子供を連れて行くわけにはいきません。満月の晩、家来とともに義経はシララ姫と幼い我が子が見送る中、ひっそりと積丹半島から旅立って行きました。シララは、絶壁の上から遠のく船を見つめて泣き叫びながら見送り続けました。立ちつくす乙女シララは岩になり、それが女郎子岩だといわれています。

ここに紹介した物語。どれも見るものによって少しずつ内容が違っています。アイヌの伝説は言葉で伝えられてきたため、伝える人により内容が少しずつ変わってきているようです。また、脚色されているか、もしくは創作伝説の可能性もあるそうです。いずれにしても、この三つの伝説の女性の名前が積丹半島の三大名所の小道につけられています。小道を歩く時にこんな物語があることを、頭の片隅においていただければと思います。

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