「カムイと共に生きる上川アイヌ〜大雪山のふところに伝承される神々の世界〜」のストーリーの概要
「日本遺産ポータルサイト」より引用
日本遺産ポータルサイトのURLは https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/index.html です。
美しく厳しい大雪山のふところに、カムイ~神~を見出し共に生きた“上川アイヌ”。彼らは激流迸る奇岩の渓谷に魔神と英雄神の戦いの伝説を残し、神々への祈りの場として崇めた上川アイヌの聖地には、クマ笹で葺かれた家などによりコタンを形成し祈りを捧げ続ける。
上川アイヌは「川は山へ溯る生き物」と考え、最上流の大雪山を最も神々の国に近く、自然の恵みをもたらす、カムイミンタラ~神々の遊ぶ庭~として崇拝してきた。
神々と共に生き、伝承してきた上川アイヌの文化は、この大地に今も息づいている。
アイヌ文化について
日本には、和人だけではなく、アイヌ民族も昔から住んでいました。「和人」は、アイヌ民族と並べて呼ぶときの呼び名です。
アイヌ民族は、東北地方北部から北海道(蝦夷ヶ島)、サハリン(樺太)、千島列島を生活圏として、交易、狩猟、漁労、粗放的農業などを営み、独自の社会・文化を発展させてきました。北海道や東北北部、千島列島、サハリンには古くからアイヌの人たちが使っていたであろう地名が今も残っています。
アイヌ民族の伝統の暮らし
アイヌ民族はコタンと呼ばれる村を作り、交通の便利な海や川のそばに20㎡~100㎡くらいの大きさのチセと呼ばれる家を共同で建てて生活していました。部屋には、神々が出入りするとされる窓が設けられ、床には草などを敷きつめてすだれを載のせ、その上にござなどを敷きます。屋外にはいのりの場である「祭壇」や食料をかんそうさせるための「物ほし」、食料をたくわえておく「倉」、つかまえた子グマをかうための「オリ」、男女別の「便所」などが設けられ、家から少し離れたところに、ごみ捨て場を設けました。祭壇は、神々が出入りするとされる窓の外側正面に設けられました。
アイヌ民族の信仰
アイヌ民族はこの世のあらゆるものに〈魂〉が宿るとし、動物や植物、火や水、生活用具など暮らしに欠かせないもの、天候など人間の力が及ばないものを「カムイ(神)」として敬いました。カムイは、人間に恵みをあたえたり、いろいろな役わりを果たしたりするために自然や物にすがたを変えて人間の世界にやって来ると言われますが、地震や津波などの自然災害や命を落とす病気などは、人間が太刀打ちできない恐ろしい力を持ったカムイであるとされています。
人間の世界での役わりを果たしたカムイは、やがて家族や仲間が待っているカムイの世界へ帰ることになります。人間が動物などを捕らえて肉や毛皮を手に入れるのは、その動物の命を奪うことになりますが、その肉や毛皮を受け取るかわりに、最高の礼をつくしてカムイを神々の世界へ送り帰します。その際、自分たちの生活に必要なカムイがふたたびやって来ることを願い、カムイを神々の世界に送り帰す儀式を行うのです。
「クマのカムイを送る儀式」「サケを迎える儀式」「伝染病のカムイを避ける祈り」「先祖供養の儀式」など、アイヌの人たちは事あるたびに、神への祈りを行います。そして、どの神に祈るときにもまずアペフチカムイと呼ばれる火の神に祈り、そしてその祈願が正しく神に届くようにお願いします。アペフチカムイは、囲炉裏の火に宿っていて、人間の願いを他の神々に伝えてくれる、最も身近で重要な神です。
アイヌ民族の口承文芸
口頭で伝承されてきた文学を、口承文学あるいは口承文芸と呼びます。アイヌ民族は長い間、口承による文化や歴史の継承をはかってきました。大きく「神謡」(アイヌ語では、カムイユカラ、オイナなどと呼ばれる)、「英雄叙事詩」(ユカラ、サコロペ、ハウキなど)、「散文説話」(ウウエペケレ、トゥイタクなど)の3つのジャンルに分けられています。
※明治以降、カタカナやローマ字でアイヌ語を書き表すようになり、最近では、 アイヌの口承文芸を素材にしたアイヌ語学習のテキストも出版されるようになりました。
英雄叙事詩(ユカラ、サコロペ、ハウキなど)
時間は、短いもので数十分、長いものでは数時間にわたり、短いメロディーを繰り返しながら、物語の言葉をのせるように語られます。内容は、空を飛んだり、切られても生き返ることができたりする超人的な英雄が、一族の敵と戦ったり、連れ去られたいいなずけを取り返すために敵と戦った、という壮大なストーリーや血湧き肉躍るような場面が多いことも特徴とされています。
神謡(カムイユカラ、オイナなど)
たいてい数分から十数分ですが、長いものには1時間以上かかるものもあります。主人公である動物や植物などの神が、神の世界や人間の世界で体験した自分の身の上を物語るというのが一般的で、短いメロディーを繰り返しながら、 物語の言葉をのせるように語られます。その際、 決まった言葉が繰り返し挿入されることが特徴です。
カムイユカラでは、アイヌの女性・知里幸恵の書いた『アイヌ神謡集』が特に有名で、この本には、13編の神謡が、 アイヌ語のローマ字表記と日本語訳で収録されています。
散文説話(ウエペケレ、トゥイタク・ウチャシクマなど)
時間は十分前後から数時間で、内容はバラエティーに富んでいますが、一般的には、主人公がいろいろな苦労や危険にあいながらも、最後には心がけの良い者は幸せになり、悪い者にはばちがあたるという形が多く、社会や自然の中で生きていくための心がけを示したものが多くあります。
アイヌ文化についてはこちらの記事でも紹介しています。
アイヌ語
北海道の開拓が始まる明治の初めまでは、アイヌ民族なら誰でもアイヌ語を話すことができましたが、明治になってから、政府が行った同化政策により、アイヌ語を話す人が激減しました。そのため現在では、アイヌ語を話すことのできる人は、とても少なくなりました。
現在、アイヌ語教室など、アイヌ語を学ぶための事業の多くが、北海道で実施されていることもあり、アイヌ語を話すことのできる人は、主に北海道に住んでいます。
アイヌ語は、北海道ばかりではなく、サハリンや千島でも話されていましたが、これらの地域で、アイヌ語を話す人はいなくなりました。しかし、サハリンや千島から北海道へ移住して、それぞれのアイヌ語を伝えていた人がいたり、本として残された記録など
があるので、それぞれの地域でどのようなアイヌ語が話されていたのかを知ることはできます。そして、サハリンと千島のアイヌ語は、北海道のアイヌ語とはそれぞれ少しずつ違いますが、文法的には同じ言葉で、方言程度の違いがあるだけのようです。
北海道に数多く残るアイヌ語由来の地名には、アイヌ語の発音に合わせて、読み方の近い漢字があてはめられています。例えば アイヌ語では、川のことを「ペッ」とか「ナイ」といいますが、漢字を当てはめるとに「別」や「内」となり、意味のない地名になってしまっています。漢字にあてはめた地名であっても、もとのアイヌ語が分かれば、アイヌ語の本来の意味でその場所の特徴を知ることができます。
北海道の地名の由来についてはこちらの記事で紹介しています。
「カムイと共に生きる上川アイヌ〜大雪山のふところに伝承される神々の世界〜」の構成資産と構成市町
認定日2018年5月24日で、道内関連で3件目の認定となります。大雪山の自然と、そこに根付くアイヌの生活・文化・伝承がテーマで、構成市町は大雪山をまたぐ上川・十勝管内の自治体2市10町となっています。
()は指定文化財の種類と認定日となります。()のないものは未指定となります。
※ストーリーと概要については「日本遺産ポータルサイト」より引用しています。
カムイと共に生きる~上川アイヌ
神々の遊ぶ庭、大雪山のふところにおいて、アイヌの人々とカムイ(神)は対等の存在として共に生きてきました。
アイヌの人々は、自然・動物・植物・道具など人間をとりまくすべての事物には“魂”が宿っており、神はカムイモシリ(神々の国)から山や川、クマなど様々な事物に姿を変えて“カムイ”としてアイヌモシリ(人間の国)に下りると考えました。
アイヌの人々は、多くの恵みをもたらす“カムイ”に感謝し、祈りや供物を捧げ、カムイもそれにより力を得ます。一方、禍をもたらす“カムイ”には、戒めとして罰を与えた後、改めて、更なる恵みを祈ります。
ペニウンクル(川上に住む人)と呼ばれた上川アイヌの人々は、「川は山へ溯る生き物」であり、最上流の大雪山は、北海道最高峰であり、最もカムイモシリに近いところと考えました。彼らは、石狩川流域にコタン(集落)をつくり、河川の恵みによる交易で栄え、多くの出来事を伝説として語り継いできました。神の里から上川アイヌの聖地、神々の遊ぶ庭まで石狩川を遡り、かつて彼らが見てきた、そして現在も変わらぬ神々の世界を旅してみましょう。
旭川市
- アイヌ古式舞踏(1984年01月21日国指定重要無形民族文化財)
アイヌの人々は、折に触れ、儀礼を通し、神との間に良い関係を築き上げてきた。その儀礼の際には必ず歌(ウポポ)や踊り(リムセ)が披露され,神々に捧げられてきました。「ウェカップ」「イラッウポポ」「ウコウク」は、上川アイヌの発祥であり、「チカプウポポ」は、大雪山に関連する踊りです。
北海道アイヌ古式舞踊連合保存会
アイヌ古式舞踊は、北海道一円に居住しているアイヌの人達によって伝承されている芸能で、熊送り、フクロウ祭り、菱の実祭りなどアイヌの主要な祭で踊られてきたほか、家庭における各種行事の祝宴の際にも踊られる、アイヌ独自の文化に根ざしている歌と踊りで、芸能と生活が密接不離に結びついているところに特色があります。1983年12月「北海道アイヌ古式舞踊連合保存会」が設立され、1984年1月21日、「アイヌ古式舞踊」として国から重要無形民俗文化財の指定を受けました。
神の里”カムイコタン”
石狩川中流域のカムイコタンでは、両岸に奇岩の大岩塊が屹立し、累々と横たわる巨岩の間を大滝のように激流が迸り、いかにも人智の及ばぬものが棲みついているかのような情景を見ることができます。
まだ道路もなく舟が重要な交通手段だった頃、カムイコタンの巨岩と激流は石狩川で一番の難所でした。川を遡ってきたアイヌはこの地を舟着き場とし、陸伝いに上流を目指しました。そのためカムイコタンには、人やモノの流通の場として集落が形成されていきました。
カムイコタンの激流はいくつもの渦をまき、時には舟を難破させ人々を飲み込みました。上川アイヌの人々は、この厳しい自然やその痕跡をカムイの仕業と考え、この地に魔神を見出しました。
激しい渦流によりできた何人も人が入れる大きな穴を「ニッネカムイ・オ・ラオシマ・イ(魔神が残した足跡)」、大口をあけて断末魔の叫びをあげているような形の奇岩を「ニッネカムイ・サパ(魔神の切り落とされた頭)」、首を切り落とされたような崖の上の巨岩を「ニッネカムイ・ネトパ・ケ(魔神の胴体の部分)」と名付けるなど、魔神と英雄神による戦いが繰り広げられたという壮大なストーリーを残しています。
現在においても、カムイコタンの歴史を偲び、「交通の難所・カムイコタンを無事に通れるように」と、川の神に祈りを捧げる儀式が行われています。
旭川市
- 神居古潭 ~魔神と英雄神の激闘~
神居古潭は、丸木舟を使い交流や交易をしていた上川アイヌの人々にとって重要な交通の要衝であり、険しい断崖と激流は、最大の難所でもあった。神居古潭には、これらの環境が魔神の仕業によるものであるという伝説が残っている。アイヌに害を及ぼそうとしたニッネカムイという魔神を、サマイクルという英雄神が征伐しようと刀を振りかざし戦った地。 - 神居古潭おう穴群 ニッネカムイ・オ・ラオシマ・イ ~魔神の足跡~(1966年7月25日旭川市指定記念物)
伝説に出てくる魔神が残した足跡。おう穴とは河床の岩盤の窪みに入った小石が渦流により回転してできた穴。同じ場所で石が回転するため、少しずつ窪みが深くなって行き、時には岩盤を貫通することもある。 - 魔神の胴体ニッネカムイ・ネトパ・ケ
アイヌの伝説に登場する岩。
魔神ニッネカムイの胴体。切り離された頭は、対岸に残されている。 - 魔神の頭ニッネカムイ・サパ
アイヌの伝説に登場する岩。
魔神ニッネカムイの頭。切り離された胴体は、対岸に残されている。 - カムイノミ
カムイコタンを無事に通れるように、神に祈りを込めてイナウと呼ばれる木幣を石狩川に捧げる儀式。
旭川市、比布町、当麻町、愛別町、上川町
- 石狩川
アイヌの人にとって、海から集落をとおり山(大雪山)へ行く生き物と考えられていたとされる石狩川は、食糧、特にサケ類を捕獲するための大切な場であり、また丸木舟による輸送・交通のための重要なルートでもあった。石狩川には、下流域から最上流の大雪山まで、多くのアイヌ伝説が残っている。
石狩川についてはこちらの記事で紹介しています。
上川アイヌの聖地“チノミシリ”嵐山
カムイコタンから石狩川を溯ること十数キロ、川に面した大きな絶壁を持つ、上川アイヌがチノミシリ(我ら祀る山)と呼んだ嵐山です。アイヌの人々が舟でこの絶壁の前を通る際は、衣服を正し被りものをとり、畏敬の念を込めていたとされており、信仰上、極めて重要な地とされています。
その山の麓には、大きな母屋に小さな玄関が併設され、全体がクマ笹で葺かれた数軒のチセ(家)が立ち並びます。母屋は中心に炉があり、1年を通じて火の神が祀られるため、土間が蓄熱し、厳冬期も比較的暖かであったと言われています。部屋の一番奥にある窓は、神々が出入りする神聖な窓であり、そこからチセの中を覗くことは許されませんでした。
チセの隣のクマ笹で葺かれた高床式の食料庫と玄関から少し離れた男性・女性用が別のトイレ、そしてチセの一番奥の窓の外にある神々を祀る祭壇によりアイヌのコタンが構成されています。
今もなお、上川アイヌの神々への祈りは捧げ続けられ、石狩川と嵐山の豊富な自然により繁栄した、かつての上川アイヌの暮らしを垣間見ることができます。
旭川市
- 嵐山 ~チノミシリ~
上川アイヌの人たちが古くからチノミシリ(我ら・祀る・山)と呼び「聖地」として崇拝した地域。この地では動物の頭骨をはじめ、イナウ(木幣),漆の椀などが発見された。動物や器物に宿る魂を天に送り返す儀式が昭和まで行われていた、極めて重要な地。現在は、かつてのアイヌの人々の営みを体験することができる。 - チカプニ
上川盆地の直前、石狩川に面してそそり立つ絶壁がある。上川アイヌは、ここでは、衣服を正し被りものをとり、畏敬の念を込めひれ伏した。ここには、鹿さえも簡単につかんで飛ぶことができる鳥がいたという伝承がある。 - チノミシリカムイノミ
1年の無事に感謝し、コタンの平和や幸福を願う儀式。火の神・家の神・自然の神に祈りを捧げる
旭川市(一部上川町)
- チセ(家)、プ(貯蔵庫)、ヌササン(祭壇)、アシンル(男性用トイレ) メノコル(女性用トイレ)
上川アイヌ独特のチセ等を製作する技術が伝承されている。上川地方のチセは他地域のチセとは異なり、屋根も壁もクマ笹で葺かれ、その厚みは 20cm 程度あり、夏は涼しく暑さをしのぎやすく、冬は暖かい作りになっている。セム(玄関兼物置)という張り出しが付く。また、プ(貯蔵庫)や祭壇であるヌササンなどで
構成する、基本的なアイヌコタンをみることができる。
神々の遊ぶ庭“カムイミンタラ”大雪山
嵐山から石狩川を最上流まで遡れば、かつて上川アイヌが見た情景がそのまま残る、神々の国に最も近い大雪山です。原始的で壮大な山岳風景の中に360度のパノラマが展開し、真夏でも残る白い雪渓と、ハイマツの緑、白や赤で彩られた高山植物の絨毯が敷きつめられ、周辺には大雪山系でしか見られないウスバキチョウが黄色い花びらのように舞い、その美しいコントラストには誰しもが驚かされます。山麓には、天まで広がる絶壁、猛々しさと優美な美しさを兼ね備えた滝、数多の生命を育む湖などの自然の楽園が迎えてくれます。また、日本一早く色づき始める大雪山の紅葉は、天空の花畑を燃え盛るように染め、その壮大なスケールと絶景は観るものを魅了します。
アイヌの人々にとっての大雪山は、神がもたらす豊かな食料の宝庫でもあり、魔神がもたらす天災など人々の暮らしを脅かすものであると考えられ、その様から、カムイミンタラ(神々が遊ぶ庭)として呼ばれ、崇拝と畏怖の対象とされてきました。
大雪山では、最も格式の高いシマフクロウを神々の国に送る儀式や、山に入る者の安全を祈る祭事を現在も行っており、自然と共に生き、自然の恵みに感謝するアイヌの営みを感じることができます。
富良野市、上富良野町、上士幌町、上川町、鹿追町、士幌町、新得町、東川町
- 大雪山 ~カムイミンタラ~(1934年12月4日国指定国立公園 1977年03月15日国指定特別天然記念物)
360 度広がる大パノラマ。万年消えることのない大雪渓。断崖絶壁から落ちる優雅な滝。天空に広がる湖。百花絢爛と咲きほこる高山植物。ここにしか生息しない美しい高山蝶。一面に広がり燃えるような紅葉。そこで神様が舞い踊る。アイヌの人々は、その美しい大雪山をカムイミンタラ(神々が遊ぶ庭)と呼び、崇敬と畏敬の対象とした。石狩川が向かう場所。東川町
- 旭岳(1934年12月4日国指定国立公園 1977年03月15日国指定特別天然記念物)
大雪山最高峰の山。アイヌの人々は、山頂を最も神の世界に近いと考えた。四季折々めまぐるしく変化する大自然の様子は圧巻。高山植物の花々が足元を美しく染める。 - 羽衣の滝(1951年9月6日北海道指定文化財)
落差 270mで、絶壁を7段に屈折しながら落下する複雑な水の流れとなっている。景観の素晴らしさと水の流れが天女の羽衣を思わせる。 - 天人峡
切り立った崖に囲まれ、四季折々に織りなす美しい景観が広がる。空に向かって雄々しく突き出している柱状節理は絶景である。
上川町
- 層雲峡
天高く突き出す奇岩渓谷が約15kmにわたって続く絶景が広がる。 - 銀河・流星の滝
断崖絶壁の間を寄り添うように流れる2本の優雅な滝。 - 黒岳(1934年12月4日国指定国立公園 1977年03月15日国指定特別天然記念物)
高山植物の華麗なお花畑が広がり、その山岳景観は壮大。秋には燃えるような紅葉が広がり、四季により姿を変え、人々を魅了する。 - 大雪高原沼
高原に広がるいくつもの神秘的な沼。静かな湖面には、春夏秋冬の景色を映しだす。 - 大函
柱状節理の巨大な岩壁が屏風のように規則正しく並ぶ壮大な景観が広がる美しい渓谷美。
富良野市
- 原始ヶ原
原始的な風景がそのまま残る高層湿原。
上富良野町、新得町
- 十勝岳(1934年12月4日国指定国立公園 1977年03月15日国指定特別天然記念物)
多彩な高山植物が咲き誇り、360 度の壮大な絶景が広がる。
鹿追町、上士幌町
- 然別湖(ミヤベイワナの生息地)(1968年12月18日北海道指定天然記念物)
雄大な大雪山に囲まれるようにある天空の湖。そこに生息するオショロコマは独特の進化を遂げ、ミヤベイワナと呼ばれている。
上士幌町
- 三国峠の大樹海
大雪山の壮大な山岳風景を上から見渡すことができ、樹海の絶景が広がる。
新得町
- 五色ケ原
大雪山の秘境中の秘境。標高差 350mの傾斜をもって横たわる高原は、広大、かつ、華麗なお花畑が広がる。
士幌町
- ヌプカの里
雄大な大雪山を望むことができる高原。多彩な高山植物を間近で満喫することができる。
- 旭岳(1934年12月4日国指定国立公園 1977年03月15日国指定特別天然記念物)
富良野市、上富良野町、上士幌町、上川町、鹿追町、士幌町、新得町、東川町、
- 高山植物 ~コマクサ等~
200 種類以上にも及ぶ高山植物や華麗なお花畑がいたるところで広がっている。
上士幌町、上川町、鹿追町、新得町、東川町
- 高山蝶 (ウスバキチョウ ・アサヒヒョウモン ・ダイセツタカネヒカゲ ・カラフトルリシジミ)
大雪山系に生息する希少な高山蝶。ウスバキチョウ、アサヒヒョウモンは、大雪山にのみ生息する。
東川町
- ヌプリコロカムイノミ
もっとも神の世界に近いとされる旭岳の麓で行われている祭事。山に入る者の安全を祈る。
上川町
- フクロウ神事
アイヌの神を送る行事として、今から数百年位前までイヨマンテの中で、最も格式の高かったと言われるコタンコロ、モシリコロカムイと呼ばれるシマフクロウを天に送る儀式があった。狩猟で得た動物の霊を神に送るときに使われ、その儀式は、数日に渡って行われたと記録に残る。
カムイと共に生きる人々の営み
明治後期の和人の流入により、上川アイヌの人々は何度も土地を追われ、生活様式が激変し、理不尽な暮らしを余儀なくされました。当時の強制移転に反対し、人々の生活の場を守った上川アイヌの長は、アイヌの聖地で今でも英雄として語り継がれています。北海道土産として有名な木彫熊は当時の厳しい暮らしの中で、新しい産業としてこの地でその技術を誕生させました。大雪山のふところでは、今もなお上川アイヌの営みが息づき、文化や歴史を発信し続けています。
上川アイヌが見出したカムイは、他にも「地獄に通ずる穴」や「アイヌの古戦場」「底無し沼と妖刀」など、数々の伝説や歴史を残し、各地で今も語り継がれています。
これらの自然景観とアイヌが織り成す神秘は永遠であり、手で触れ足で踏みその目で確かめたとき、訪れる人々は、上川アイヌが見出したカムイの世界に引き込まれることでしょう。
旭川市
- 偉大なる祖先を讃える儀式 総乙名クーチンコロ 、松井梅太郎
明治2年、兵部省石狩役所から発せられた強制移転命令に反対し、上川アイヌの人々の生活の場を守りとおしたリーダーであるクーチンコロや、大正末期から木彫熊の創作を始め、振興発展と後進の指導育成に尽力した上川アイヌの木彫りの開祖である松井梅太郎を称える儀式。
旭川市、上川町
- 木彫技術 (木彫り熊)
熊の木彫りは、和人の流入により急激な生活様式の変化に直面した上川アイヌが、新たな生業の一つとして始めたものである。現代では、和人を含めその技術は伝承され、モチーフとなる動物は熊以外にも広がっている。
旭川市
- 上川アイヌに関する資料一式 (川村カ子トアイヌ記念館)
現代においても、上川アイヌの人々によって文化の伝承を続けている重要な拠点には、上川アイヌの歴史・資料が展示してあるほか、アイヌ文化の体験もできる。 - 上川アイヌに関する 資料一式 (旭川市博物館)
アイヌ民族の文化に重点を置いた展示を行っている。アイヌ文化に関する収蔵資料は数千点に及び,上川アイヌの歴史等を学ぶことができる。
比布町
- 突哨山
- 突哨山チャシ
突哨山の麓、石狩川にはサケの産卵床があり、上川アイヌの人々はここを漁場としていた。また、突哨山にはチャシがあったとされ、幾つもの伝説が残されている。 - 獄に通ずる穴 アフン・ル・パル洞穴
突哨山にまつわるアイヌ伝説。突哨山の洞穴の中の世界に入り込んだ二人の老人が命からがらもとの世界に戻る。一人は二度と行きたくない、もう一人はまた行きたいというと、行きたがった老人は、まもなくぽっくりと亡くなってしまった。洞穴の一部は現在も残っている。
- 突哨山チャシ
愛別町
- 石垣山 (サン山の神、アイヌの古戦場)
断崖絶壁の柱状節理がある場所。この山に、病魔などを一喝して追い払う力を持
ったサン・コロ・カムイという神がいたという。また、アイヌの古戦場となったと言う伝説も残り、壕の跡や縄文時代の矢じりなども出土している。
旭川市
- 立岩 ・人喰い刀岩
巨大な2本の赤い岩が今にも倒れそうな危うい感じで立っている。その近くには以前底無し沼があった。底無し沼と妖刀にまつわる伝説の舞台。 - 水神龍王神社
昭和 32 年、祠を私費で修復した篤志家が、工事の際に発見した古刀をご神体として祀った神社。この刀がアイヌの伝説に登場する妖刀と結びつき,伝承・伝説の地となっている。
「カムイと共に生きる上川アイヌ〜大雪山のふところに伝承される神々の世界〜」の各市町の関連スポット
上川町のスポット
層雲峡
層雲峡は北海道上川町にある峡谷で、渓谷入口にはアイヌ語で「ソウンペッ(so-un-pet:滝・ある・川)」と呼ばれる双雲別川があることから、そのアクセントをヒントにつけられた名前だと考えられているようです。1921年にこの地を訪れた大町桂月が命名しました。北海道を代表する観光地でしたが、落石事故が多発したことから、かつてのような賑わいはなくなりました。今は危険箇所をトンネルで全面的に迂回するようにしたり、通行止めにするなどされています。
大函・小函や流星・銀河の滝など、見どころはたくさんありますが、小函については通行できなくなっているため今は見ることができません。
大雪高原温泉 沼巡りコース遊歩道
層雲峡には高原沼・エゾ沼・滝見沼など大小さまざまな沼があります。夏は高山植物、秋は紅葉が美しく、北の方角には緑岳が見えます。遊歩道が設けられ、1周約4時間のコースとなっていますが、熊の出没で1周できないこともあります。コース周辺はヒグマの生息域で、沼巡りコースは、ヒグマと人との軋轢を避けるため、常時巡視員がコース内を観察し、ヒグマとの距離をとるための指導を行っています。入山前に15分ほどのレクチャーを受けてから出発してください。
- 利用拠点
- ヒグマ情報センター
- 〒078-1701 北海道上川町層雲峡 大雪高原山荘
- お問い合わせ
- ヒグマ情報センターには、電話や通信手段はありません。関係機関等にお問い合わせください。
-
環境省大雪山国立公園管理事務所(主担当:ヒグマ情報センター管理運営)
01658-2-2574
北海道上川総合振興局環境生活課(主担当:沼めぐりコース登山道維持管理)
0166-46-5922
上川町産業経済課(主担当:紅葉期間中のマイカー規制)
01658-2-4058
上川町建設水道課(主担当:大雪高原温泉へ至る町道の維持管理)
01658-2-4060
- コースの開設時期
- 6月~10月上旬(紅葉時期マイカー規制あり)
- コース開放時間
- 入山時間 7:00~13:00
- 下山時間 15:00までにヒグマ情報センターへ下山
- 料金
- 無料
峡谷火まつり
古くから受け継がれてきたアイヌの人々の伝統的行事に由来するお祭りで、「フクロウ神事」や火まつり太鼓などが行われます。
こちらの記事で紹介しています。
層雲峡に関してはこちらの記事でも紹介しています。
旭川市のスポット
こちらの記事で紹介しています。
富良野市のスポット
原始ヶ原
登山ルートとなっていて、原始ヶ原入り口には駐車場があります。周辺は「原始的」な風景がそのまま残されています。
愛別町のスポット
石垣山
標高525mの山で、十勝アイヌと石狩アイヌの古戦場にもなったと言われています。アイヌの人たちはこの山を「サン」と呼び、この山には病魔を追い払う力を持つ神「サン・コロ・カムイ」がいたと言われています。
上士幌町のスポット
三国峠
北海道の国道の中で一番標高の高い峠で、峠にはカフェもあります。
〒080-1401 北海道河東郡上士幌町三股(展望台)
士幌町のスポット
ヌプカの里
大雪山国立公園内にある、長期滞在も可能な標高600mの高原に広がるネイチャーリゾートです。コテージ・ロッジヌプカ、キャンプスペースなどの宿泊や喫茶コーナーもあり、周辺には高山植物園やヌプカ牧場など見どころもたくさんあります。
コテージの予約など詳細は公式サイトでご確認ください。
- 住所
- 〒080-1278 北海道河東郡士幌町字上音更21-173
- お問い合わせ
- TEL:01564-5-4274
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