2017年4月28日、「江差の五月は江戸にもない-ニシンの繁栄が息づく町-」というタイトルのストーリーが「日本遺産」に認定されました。北海道では第1号の認定です。
【ストーリーの概要】
認定されたストーリーは以下の通りです。
江差の海岸線に沿った段丘の下側を通っている町並みの表通りに、切妻屋根の建物が建ち並び、暖簾・看板・壁にはその家ごとの屋号が掲げられている。緩やかに海側へ下っている地形にあわせて蔵が階段状に連なり、海と共に生きてきた地域であることがうかがえる。
この町並みは、江戸時代から明治時代にかけてのニシン漁とその加工品の交易によって形成されたもので、その様は「江差の五月は江戸にもない」と謳われるほどであった。 ニシンによる繁栄は、江戸時代から伝承されている文化とともに、今でもこの地域に色濃く連綿と息づいている。
「日本遺産ポータルサイト」より
江差町のニシンの繁栄の歴史
1604年家康から松前慶広に発給された黒印状で、松前藩は、蝦夷(アイヌ)に対する交易独占権を認められていました。松前藩では、江戸時代稲作が皆無で自給自足が不可能なため、蝦夷地で生産される海産物の交易を管理し、松前・箱館・江差の三港以外での交易を禁じ、沖ノ口番所を設置して交易を支配して収入を得ていました。江差港の後背に広がる檜山七山から伐採されたヒノキアスナロ材の林産物、ニシンや干鮑・海参いりこなどの海産物、その他蝦夷地の交易品を大阪に運んでいましたが、江戸時代の中頃になると、松前藩はアイヌと交易する場所の経営権を商人たちに委ねる場所請負制度*1をはじめました。交易が盛んになってくると、本州から多くの商人が江差に移り住み、町家が形成されていきました。この町なみは、現在「いにしえ街道」と呼ばれています。そしてこの商人たちは江差からはニシン加工品などの海産物を出荷し、本州からは米・酒・塩・衣類などの生活品を入荷する「北前船」へと転換していきました。
これらの物資と共に文化の移入ももたらし、その文化と、江差の風土が融合し、独特な文化が生まれました。信州馬子唄・伊勢松坂節を起源とした「江差追分」、京都祇園祭りを基調とし絢爛豪華な山車行列の「姥神大神宮渡御祭」、出稼ぎ労働者が持ち込んだといわれているヒノキアスナロ伐採の安全操業を願い町内各地に伝わる「鹿子舞」、ニシン漁の音頭として定着した「江差沖上げ音頭」など、今日にまで伝わっている民俗芸能の基礎が形づくられました。
また、江差町域北部の厚沢部川流域では、松前藩が幕末期に本州から農夫を移住させて水田耕作を行い、今日まで引き継がれています。
「日本遺産(Japan Heritage)」のストーリーに関連する文化財
「江差の五月は江戸にもない -ニシンの繁栄が息づく町-」の構成文化財は以下の通りです。
※()内は文化財の指定・未指定の別、文化財の分類です。
- 江差の町並み(未指定)
- 旧中村家住宅(国指定重要文化財【昭和46.12.28指定 】)
- 江差姥神町横山家(道指定有形民俗文化財【昭和38.12.24 指定】)
- 旧檜山爾志郡役所庁舎(道指定有形文化財【 平成4.3.31指定 】)
- かもめ島(未指定)
- 折居伝説とその資料(未指定)
- 瓶子岩(未指定)
- 姥神大神宮(未指定)
- 北前船係船柱及び同跡(江差町指定史跡【昭和57.7.22指定】)
- 厳島神社(未指定)
- 厳島神社の石鳥居(未指定)
- 厳島神社の手水石(未指定)
- かもめ島の階段跡(未指定)
- 江差商人の宴席跡(未指定)
- ニシン漁とニシン交易の古文書(未指定)
- 江差沖揚音頭(道指定有形民俗文化財【昭和38.12.24 指定】)
- 江差鮫踊り(町指定無形民俗文化財【 平成3.11.26指定】)
- 江差追分(道指定無形民俗文化財【昭和52.4.13 指定】)
- 江差追分踊り(町指定無形民俗文化財【 平成7.6.13指定】)
- 江差三下り(道指定無形民俗文化財【昭和57.6.30指定】)
- 姥神大神宮渡御祭(町指定無形民俗文化財【 平成7.6.13指定】)
- 姥神大神宮祭礼山車松寳丸及び附属品(道指定有形民俗文化財【昭和38.12.24 指定】)
- 姥神大神宮祭礼山車神功山人形及び附属品(道指定有形民俗文化財【昭和38.12.24 指定】)
- 江差餅つき囃子(道指定無形民俗文化財【昭和57.6.30指定】)
- 三平汁(未指定)
- ニシン漬け(未指定)
「日本遺産」のまちとしての江差町の見どころ
江差町は、北海道の中でも早くから和人の往来があり、檜材交易、ニシン漁とニシン取り引きによる隆盛は明治初期まで続きました。そして江差町には、こうした歴史に関連して、問屋や蔵、商家、町屋、社寺などの歴史的建造物や史跡、旧跡が数多く残されています。江差町では、歴史的資源が、数多く集積している下町地区である「中歌町、姥神町一帯の旧国道沿い地区」を、通称「いにしえ街道地区」と呼んでいます。この「いにしえ街道地区」には日本遺産の構成文化財が数多く点在しています。
もう一つ、天然の良港を築くかもめ島。カモメが羽を広げた形をしているかもめ島は、ニシン漁や北前船交易の舞台で、ここにも日本遺産の構成文化財が点在しています。
いにしえ街道地区
貴重な景観を後世に永く伝えるため、江差町では『景観に配慮した街なみづくり』を推進し、整備を進めています。その核となるのが、中歌、姥神町一帯の旧国道沿い地区の「いにしえ街道」です。ここは、昔ながらの街並みを形成している地区で、歴史的建造物や史跡、旧跡が数多く残されています。
もとは旧国道で一方通行の狭い道だったのですが、対面通行ができるように道幅を広げ、電柱を地中化してレトロな昔の町並みを再現しています。
いにしえ街道地区にある日本遺産の構成資産
日本遺産の構成資産の中でいにしえ街道地区にあるものは以下の通りです。構成資産とストーリーとの関連を簡潔に記載された「H29年度日本遺産の申請書類」より引用しています。
- 江差の町並み
海岸段丘の下側に伸びている町並み。津花岬を角としてL字型に展開しています。ニシン交易を担った商家が切妻屋根建物の暖簾・看板・壁には家ごとの屋号が掲げられている。 - 旧中村家住宅
近江商人の大橋家が設けた出店で、後に中村家へ譲られた。通りに面した主屋
だけが店と住居で、残りの3棟は交易品などを保管する漆喰塗りの蔵。屋根には灰色の若狭瓦が葺かれている。 - 江差姥神町横山家
能登国(石川県)から移り住んできた横山家が構えた店。通りに面した主屋以外は、交易品などを保管する蔵が一列に立ち並んでいる。 - 旧檜山爾志郡役所庁舎
明治20年(1887)に建てられた北海道庁の出先機関。洋風建築であるが、基礎には深い青色の笏谷石が、屋根には黒い能登瓦が用いられていて、ニシン交易の影響をうかがうことができる。 - ニシン漁とニシン交易の古文書
江差のニシン漁とニシン交易について記録した古文書資料。旧檜山爾志郡役所(江差町郷土資料館)に所蔵されています。 - 姥神大神宮
「折居伝説」でニシンをまねいた姥が祀っていた神像を、江差の人々が皆で祀るようになったとの由緒を持つ神社。 - 姥神大神宮祭礼山車松寳丸及び附属品
姥神大神宮渡御祭に出される山車。1845年に作られ、交易船をかたどっている。 - 姥神大神宮祭礼山車神功山人形及び附属品
姥神大神宮渡御祭に出される山車に載る人形。1751~1764年間に作られたとされ、神功皇后をかたどっている。
いにしえ街道地区にある日本遺産関連スポット
旧中村家住宅
江戸時代からのメインストリート「いにしえ街道」に面して建っています。明治時代に近江国(滋賀県)から来た商人の大橋宇兵衛がこの場所で商いをし、大正4年(1915)に同じ近江商人の中村米吉に建物が譲られました。通りに面した主屋だけが店と住居で、残りの3棟は交易品などを保管する漆喰塗りの蔵。屋根には灰色の若狭瓦が葺かれている。
江戸末期から明治にかけて建てられたとされる、海産物の仲買で財を築いた近江商人大橋宇兵衛の屋敷。「主屋」「文庫倉」「下ノ倉」「ハネダシ(復元)」という4棟が一列に連なり、主屋と貴重品を納める文庫倉は明治20年代、商品倉庫の下ノ倉は江戸時代
末の建築です。表通りに建つ主屋から海側に建つハネダシまでをトオリニワという1本の通路で結ぶ当時の代表的な問屋建築で、昭和46年に国の重要文化財に指定されています。1974年に建物が江差町に寄付され、一般公開が行われ、昔の生活道具などが展示されています。
- 所在地
- 〒043-8560 北海道檜山郡江差町字中歌町22
- TEL/FAX
- 0139-52-1617
- 入館料
- 個人:大人300円/小中高100円
団体(5名以上):大人270円/小中高90円
※「旧中村家住宅」「旧檜山爾志郡役所」「旧関川家別荘」の3施設共通入館券
大人500円/小中高150円(団体割引はありません)
※江差町民の方・満70歳以上の方・障がい者手帳をお持ちの方は入館無料です。 - 開館時間
- 9:00~17:00
- 休館日
- 4月~10月は無休
10月~3月は月曜日・祝日の翌日
年末年始
旧檜山爾志郡役所(江差町郷土資料館)
旧檜山爾志郡役所は「いにしえ街道」に沿った高台に建てられています。北海道庁の出先機関である郡役所と警察署の業務を執り行なう建物として、1887年に建てられました。1992年には、道内でただひとつ現存する郡役所として、道指定有形文化財の指定を受け、現在は江差町郷土資料館となっています。
- 所在地
- 〒043-0034 北海道檜山郡江差町字中歌町112
- TEL/FAX
- 0139-54-2188
- 入館料
- 個人:大人300円/小中高100円
団体(5名以上):大人270円/小中高90円
※「旧中村家住宅」との共通入館券
大人500円/小中高150円(団体割引はありません)
※江差町民の方・満70歳以上の方・障がい者手帳をお持ちの方は入館無料です。 - 開館時間
- 9:00~17:00
- 休館日
- 4月~10月は無休
10月~3月は月曜日・祝日の翌日
年末年始
姥神大神宮
北海道最古の神社とされますが、創立年代はよくわかっていません。当初は津花町浜手に鎮座していましたが、1644年に現在の地に遷座しました。
姥神大神宮祭礼山車松寳丸及び附属品や姥神大神宮祭礼山車神功山人形及び附属品は姥神神社祭礼(8月9~11日)で見ることができます。
- 所在地
- 〒043-0041 北海道檜山郡江差町姥神町99番地
- TEL/FAX
-
0139-52-1900/0139-52-1910
- 祭神
- 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
住吉三柱大神(すみよしのみはしらおおかみ)
春日大神(かすがのおおかみ)
姥神神社祭礼
蝦夷地最古の祭りで、その年のニシン漁を終え、蝦夷地きっての景気にわきかえる夏の江差で、豊漁に感謝を込めて行われたのが始まりです。8月9日に宵宮祭、10日本祭<渡御祭> 下町巡行・11日本祭<渡御祭・遷霊祭> 上町巡行が行われています。12台の御所車ふうの台車に、二層、三層の桟敷を設けた山車と、1台だけ船の形をした『松寳丸』の計13台の山車(ヤマ)が町中を練り歩き、絢爛豪華に繰りひろげられます。
折居社跡
ニシン漁の始祖として漁業家の信仰をあつめ、「姥神大神宮縁起」として伝えられる折居姥をまつっています。1774年に元江差港入口から現在地に移され、現在の社殿は1836年に再建されたもので姥神大神宮境内にありますが、元々の折居社があったと伝わる場所も残されています。
- 所在地
- 〒043-0051 北海道檜山郡江差町字津花町
- 問合せ先
- 江差町役場
TEL 0139-52-1020 FAX 0139-52-0234
かもめ島
檜山道立自然公園の特別区域に指定され、江差のシンボルでもあります。「かもめ散歩道」という一周約2時間ほどの散策道が整備されています。
かもめ島にある日本遺産の構成資産
日本遺産の構成資産の中でかもめ島にあるものは以下の通りです。構成資産とストーリーとの関連を簡潔に記載された「H29年度日本遺産の申請書類」より引用しています。
- 瓶子岩(未指定)
「折居伝説」で語られる岩。神から託された瓶子が岩と化したもの。 - 北前船係船柱及び同跡(江差町指定史跡)
かもめ島の北東にあるニシン交易船の係船跡。 - かもめ島の階段跡(未指定)
かもめ島の島上にある厳島神社へ参るための階段。ニシン交易船の乗員が航海安全を願うため、江戸時代から設けられていた。 - 江差商人の宴席跡(未指定)
かもめ島の西側に広がる「千畳敷」に掘られた8つの柱穴。ニシン交易で利益を上げた江差商人は、この地に仮小屋を建てて宴を催していた。 - 厳島神社(未指定)
かもめ島に係船したニシン交易船の乗員たちが、航海安全を祈願した神社。慶長20年(1615)創建。 - 厳島神社の石鳥居(未指定)
加賀国橋立(石川県加賀市)の船頭たちが寄進をした鳥居。天保9年(1838)の建立。 - 厳島神社の手水石(未指定)
江差商人の村上家と取引をしていたニシン交易船関係者が寄進をした手水石。1859年の建造。 - かもめ島(未指定)
江差市街地の沖に浮かぶ南北に細長い島。外洋からの風濤を防ぐ天然の防波堤であり、交易発展の基となった。
かもめ島にある日本遺産関連スポット
瓶子岩(へいしいわ)
今から500年ほど昔、様々な予言をするひとりの姥がいました。あるとき、姥はかもめ島で翁から小さな瓶を渡され、教えられたとおり瓶を海に投げたところ、江差にニシンが群来るようになったという伝説があります。この瓶が石と化して海上に現われ、瓶子岩になったと伝えられ、姥は人々から折居様と呼ばれ神のようにうやまわれたといいます。毎年7月の第一土日に開催される「かもめ島まつり」では、町内の若者たちによって全長30mにおよぶ〆縄がかけられます。
- 所在地
- 〒043-0045 江差町字鴎島
- 問合せ先
- 江差町役場
TEL 0139-52-1020 FAX 0139-52-0234
千畳敷
かもめ島の東崖に見られ、日本海からの激しい波や風による浸蝕の跡で、たくさんの畳を敷きつめたような形態から、千畳敷と呼ばれるようになりました。
- 所在地
- 〒043-0045 江差町字鴎島
- 問合せ先
- 江差町役場
TEL 0139-52-1020 FAX 0139-52-0234
厳島神社
1615年、回船問屋仲間が海上安全の願いをこめ、弁財天社として建立。北前船関係者、商家の信仰をあつめ、1868年に厳島神社と改称されました。
境内には1814年に建立された松尾芭蕉の句「いかめしき音やあられの檜笠」をしるした碑があります。
鳥居の柱
天保年間、回船問屋仲間が海上安全や商売繁盛のため社前の鳥居とともに、弁財天社(後の厳島神社)の第一の鳥居として建立。その後、波等で破損後、現在は一部を境内横に設置。
北前船がもたらした江差の文化
北前船により本州からわたってきた⽂化と、江差の⾵⼟が融合して独自の文化も生まれています。
江差の文化で日本遺産の構成資産になっているもの
日本遺産の構成資産の中で江差の文化と思われるものは以下の通りです。構成資産とストーリーとの関連を簡潔に記載された「H29年度日本遺産の申請書類」より引用しています。
- 折居伝説とその資料(未指定)
江差にニシンがやってくるようになった由来を語る「折居伝説」を示す古文書や絵画資料。 - 江差沖揚音頭(道無民)
江差繁栄の基となったニシン漁の様を現在に伝える民俗芸能。 - 江差鮫踊り(町無民)
漁民がニシン漁の邪魔をするサメを駆除していたが、その霊を 慰めるため行われたという民俗芸能。 - 江差追分(道無民)
ニシン交易で栄えた江差へやってきた船乗りたちによって伝えられたという民謡。 - 江差追分踊り(町無民)
江戸時代末、江戸から興行でやってきた歌舞伎役者によって振付けられたという、「江差追分」に合わせて踊られる芸能。 - 江差三下り(道無民)
ニシン交易で栄えた江差へやってきた船乗りによって伝えられたという民謡。 - 江差餅つき囃子(道無民)
ニシン交易で繁栄していた商家で行われていた年末の餅つきの様子を伝える民俗芸能。 - 三平汁(未指定)
豊富に獲れたニシンを用いた郷土料理。塩漬けや糠漬けにしたニシンを様々な野菜とともに煮たもの。 - ニシン漬け(未指定)
豊富に獲れたニシンを用いた郷土料理。身欠きニシンと様々な野菜を 麹とともに漬けたもの。 - 姥神大神宮渡御祭(町無民)
江戸時代から伝わる姥神大神宮の祭礼。
関連記事
*1:松前藩が交易を商人に請け負わせ、運上金を藩に納める制度
コメント